
サービスにモヤるとき、不寛容と幸運を実感する
接客業って大変ですよね。
私はアルバイトでしか経験がないですが、たまに当たる”ユニークな”お客様の対応には困ったものです。
街で働くサービス業の方々の苦労が垣間見えたおかげで、こちらもなるべくいいお客でいようと心がけるようになったので、良い経験にはなりましたが。
ただ、そのせいもあるのでしょうか?
サービスを受けるとき、心が波立つ瞬間があるのです。
カフェでのモヤモヤ
とある限定品を求めてカフェチェーンを訪れたとき。
まだ売っているかを尋ねると、食い気味に「もうないです」と一刀両断した店員さん。
おそらく、朝から何度も同じことを訊かれて、辟易していたのでしょうね。
でも、彼女の射るような目つきは客を見るそれではありませんでした。
即売り切れ必死の人気商品でしたから、「そういうこともあるか」とは思うものの。
反射的に「なんやねん」と思ってしまったのも事実。
店に入ったからには、売り切れでも何か注文しようと思っていたのですが、断りを入れて出てしまいました。
あの場で彼女はウェイトレスではなかったし、私も客ではなかったのです。
次に訪れた店舗では、先ほどの出来事が思い起こされて内心ビクビクしながら同じ質問をしました。
「すみません、もう売り切れてしまって……」と丁重に対応してくれた店員さんには、それだけで感謝の念が湧きましたね。
ただ質問しただけで礼を尽くしてもらえると、心地よく過ごせそうなお店だなと思えるものです。
正直その店舗には、限定品以外に心惹かれるものもありませんでしたが、ドリンクを注文して美味しくいただきました。
あの店員さんの得になるわけではないのでしょうが……
医療機関でのモヤモヤ
医療機関の電話を取った方に、ばっさりとした受け答えをされると、泣きそうになります。
職業的にも忙しい部類でしょうし、接客業とも違いますから、対応に質を求めるのはお門違いかもしれませんが。
医療機関に電話をかける時って、たいてい心身が弱っている時じゃないですか?
深夜に腹痛でうずくまり、歩くこともままならなかったとき、救急電話相談で紹介された機関に「そんな科はない。対応してません」とだけ言われた時は号泣しました。
力を振り絞り、やっとの思いで電話をかけたんです。
なんらかの手違いがあったということは想像できたんですが、救急車を呼ぼうかという考えになるほど苦しかった当時の私には、かなり堪えましたね……
通常の問い合わせでも、そっけなさに話すのが辛くなるようだと、「これきりにしよう」と思ってしまいます。
余分な心労をそっと避けるのは、健康のためです。
レストランでのモヤモヤ
あとは飲食店で、呼び鈴もないのに、ホールに一人だけの店員さんがいないとか。
バックの入り口で長いこと談笑していたのですが、その背に声をかけるのは気が引けました。
基本的にはお客様がいる、ホールや入り口を向いていなければならない。
そう教育されていた私にとっては、理解し難いできごとだったのです。
「え……どういうつもりなんだろう……声をかけたら、冷たくあしらわれるのかな」
なんて心配したのも、今となってはあほらしいですが。
それもこれも幸運ゆえ
こういうちょっとしたモヤモヤを感じると、やっぱり心に小さなトゲが残ります。
仕方ないとか、たまたまだとか、自分を納得させる言葉はいくらでも出てきますが、それはそれ。
気にしすぎと言われても、それはそれ。
向こうも暇じゃありませんから、面倒事を避けるためにも端的に対応することは大事です。
情報がきちんと伝わらないと、後々トラブルに発展したりしますしね。
常に気を張っていろというのも無理な話。
日本人はサービスを求めすぎだ、という意見もありますし、価格帯と見合っていれば問題ないとも思いますが、
なにせ素晴らしい接客をなさるサービスマンが多すぎるのですよ。
いつもありがとう。
低価格帯のお店であっても、恐縮するような対応をしてもらえることは多々あります。
対価以上と思えるサービスを提供してくださる、ホスピタリティに溢れた方に出会ったことは数え切れません。
言葉だけをとっても、「すみません」「ありがとう」「そうでしたか」などのクッション言葉を挟んでくださる方には、平和な心持ちでいられます。
ちょっとしたモヤモヤを感じるたび、
自分が幸運に慣れきった贅沢者な気がして、幸せなような恥ずかしいような。
そして面倒なことに、「自分ならそんなことはしない」という個人的な基準を持って、ジャッジしてしまうこともあるのです。
上の、ホールに出てこない店員さんの話とかがそうです。
これはマナーをどこまで遵守するか、の感覚に近いですね。
人それぞれ感覚は違っていて、正解はない。
けれど、大きなズレがあると心地悪さを感じるのです。
私よりも気にしいな人は、もっとモヤモヤするでしょう。
そしてサービスを提供する側に回ったとたん、私がモヤモヤを生むのは避けられないのです。
サービスに限った話ではありませんが、認識のズレは本当に幸せを運びませんね。
みんなが寛容になればいい、という話でもない気がします。
そこにだって、感覚の個人差はあるのですから。
寛容と規律のバランスは難しいところ。
この手の問題から解放されることは、あるんでしょうかね?
みんながストレスフリーに過ごせたらいいのに。