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自慢の母

親を批判することは、そこから生まれた自分をも批判することになる。
自己否定が癖なのは、親のことを好きになれないからだろうか。
親に対していざこざがある場合、本当の意味で成功できないと、本かなにかで昔読んだ記憶がある。
ある意味それは当たっているのかもしれない。親と仲がいいに越したことはない。現実問題はおいておいて、実のところ私は親に感謝しているのだ。今回は特に母についてその理由を述べようと思う。
まず、母は勉強の面倒を見てくれた。小学校のとき、いわゆる境界知能の私は授業中に先生の言うことが理解できず、家でも宿題のたびに泣きわめいていた。そんな私に母は一から教えてくれた。「ゆっくりでいいのよ」。このころ聞き続けたおっとりとした口調は私も引き継いでいる。良く褒められるこの声は母譲りだろうか。
次に、私の母は人望が厚い。なにかと母の友人などに助けられていることが多い。母は周囲から「癒し系」「料理上手」「しっかりとした母」と思われている。隣の芝生は青く見えるので、その側面がきっと強いのだろうが、その通りだと私も強く思う時がある。私も上記の3点について印象をもたれることがあるが、これも母譲りなのだろう。
最後に、母は私のことをとても考えてくれている。その大半を有難迷惑だと思ってしまう自分がいるが、母は私のことを思って言ってくれているのだろう。その愛は感じられるし、私が健康な体で23年間生きてきたのも、紛れもなく母のおかげなのだ。
そんな母の娘で私は幸せ者だ。noteにはマイナスの側面ばかり書いてしまうが、太極図の陰の中には小さな陽がある。そのわずかな光とも呼べる陽を頼りに、私は今日も強く生きていく。


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