「作る楽しさ」と「簡単さ」の奇跡的なバランス
有賀さんとの往復書簡的なnoteをきっかけに、色々な人からレシピ本の感想をいただいた。そこで気づいたのは、私が有賀さんのレシピを好きな理由が「自己肯定感が高まる」からだ、ということだ。
さらに私はこの方のツイートに深く共感してしまい、どうしてコンソメ使わないとすごい事をした気分になって、妙にテンションが上がるのか考えてみた。
そこで初めて、コンソメを使わない料理のほうが「料理している感じ」が味わえて楽しいからだと気づいた。
結局私にとって、料理は洗濯のような他の家事ほどルーティーンではなく、だからこそちょっとの非日常さ、クリエイティブさ、面白さがほしいものなんだなと気づいた。
洗濯はやらなきゃ着る服がなくなるから、週に2回は必ず洗濯機を回す。それはやらなきゃいけない単純作業でしかない。でも料理は、やらなくても生きていけることがわかっているからこそ、もう少し面白さがほしい。せっかく作るなら、なんかテンション上げて作りたいと思ってしまう。もしかしたら逆かもしれない、「あ、これ作りたい!」というテンションの上がり方がないと、作らない。
その点、コンソメのような「元から味がきまっているもの」を使わないで料理をすることは、「なんか料理上手な感じ」「料理してる感じ」が味わえて、それが楽しい(自分で書きながらばかみたいな感覚だとも思うし、じゃあもっと凝った料理作れよって感じなのですがそうはならないのがわがままでずぼらなところですね)。もしかしたらそういう肯定的なイメージがあるのは、私が化学調味料を使うのを良しとしない家で育ったというのも関係があるのかもしれない。
あとは、使いきれることがまずないストック調味料を使わないでいい、というのも精神衛生上良くて、助かる。
家族が何人いて、ふだんどのくらいの量の食事を、どのくらいの頻度で作る必要があるのかによって、ストック調味料やストック食材の必要性は変わると思うが、私の場合はたいていのものは使いきれずに捨てることが多く、そういうものを常備するにはメリットよりもデメリットの方が大きい。そして「無駄にして捨ててしまった」という気持ちには妙に嫌な罪悪感があり、この経験を重ねすぎると料理に嫌なイメージがついてしまう、という危険もある。
こういう調味料を使えば簡単というのを打ち出したレシピもよくあるけれど、一部の人にとってはその調味料を買うこと自体がハードルになる(例えばやきにくのたれを使った料理は、やきにくのたれを常備してない家では作りにくいように)。めんつゆくらい汎用性が高い調味料だったらいいけれど、ポン酢とかゆず胡椒とかって、一人暮らしの人はどのくらいみんな持っているんだろうか・・・。
ちなみにうちはマヨネーズもケチャップもない。砂糖と塩(塩はなぜか3種類もある、海外のお土産で集まりがち)、味噌、酒、酢、醤油、めんつゆorしろだしがレギュラーメンバーだ。自分でもこんな私がレシピ本を企画して編集してよかったのかと今書いて呆れた。
少ない材料でシンプルにおいしくなる有賀さんのスープのレシピは、簡単なのに「料理の楽しさ」を初心者にもほどよく味わわせてくれる。だから楽しくて、自分からもっと作りたくなる。楽しんで作っている自分が好きになる。それが「自己肯定感が高まる」ということになるのだろう。
noteのタイトルは少し大げさに聞こえるかもしれないけれど、この簡単さと楽しさのバランスは本当に奇跡的だ。スープ自体も懐の大きなレシピだけれど、有賀さんのスープのレシピはとりわけ懐が大きく、万人にやさしい。
一人暮らしだし、料理しなくても生きていける私としては、料理に少し「遊び」を求めているところがあるのかもしれない。だからこそ有賀さんのcakesの連載も、すごく好きだ。今回のレシピも、菜の花なんて使ったことないけれど、「なんか春っぽいし作ってみたいな!」って思わせるものがある。牡蠣のうしお汁を作ったときも同じような気持ちになった。
本を作る中で自分の中の思い込みに気づいたり、気づいていなかった自分を知ったり、トラウマやコンプレックス、抱えていたものが癒されることがよくある。今回の『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』は、料理の習慣が身に付いただけでなく、刊行したあとの有賀さんや読者の方とのやりとりのおかげで、まさにそういう1冊になった。読者の方にとっても、何かしら癒しや安らぎを感じてもらえたら嬉しいです。