宇宙人が介護職(1)
人は毎日約7万回の想像や思考を繰り返しているという。数えたことはないけれど、私の数は、多分絶対それより多いかもしれない。
おまけに記憶力もある。介護職では、トイレの時間の記録を遡ることができる。遥か7時間前まで。
さっき、ただすれ違った誰かの声や会話や発言で、個人的な過去の記憶が猛烈に爆発的に映像として生み出されるのだ。
それは、モーソー癖
と、気づいたのはつい昨日のことである。言葉や声、その雰囲気に縛られていて、30年以上も共に生きていた!
潜在意識って、ホンマすごいなあ。今朝、区役所に所用で行ったらイッセー尾形の「妄想劇場」のチラシが置いてあったよ。言葉や声の関連性に惹かれて、そこに気づいているから、そうなるのかもしれない。
さて。
私が勤務する介護施設は、認知症の方で構成されている。
妄想が症状となって現れる方もいる。習慣に執着がある。
「ブラジャーがないの、誰か盗んだのかしら、おかしいわね」「ブラジャーがないと胸がスースーするのよ」と、眠る時も身に着けているらしいブラジャーへの習慣を告白する。
私が女性だから伝えてくださるのだ。女性という性別に、喜ぶ瞬間のとき。
また数年前から入居されているお風呂が好きな方は、他の入居者さんがお風呂に入ると、このように
「ここでは私はお風呂に入ったことがない」と豪語する。そして職員に静かに告げる。職員は、謝ってその場を対処するしか術はない。
それが数時間に1回のことも数分に1回の頻度もあるし、その方のその日の感情感覚から発生する症状だから、より一層興味深い。
さて少しだけ、私の話をさせて欲しい。
親の不仲、小児喘息、いじめ、引きこもり、不登校(の先駆け)、援助交際やレイプ、性差を超えた不純性交遊、3.11で恐れを感じて(両親が東京出身で故郷が欲しかったも理由の一つ)里山へ移住、アトピー、流産や離婚など
幼少から、私の人生は生きづらい、平安はこの世にはないと思い込んで生きてきたからこんな人生経験があった。コロナのこのご時世、世を纏えばそんな状況にあるのかもしれない。
ビジュアルは人間の30代の女性であり、美大の出身でもある。
でも、就活をするにあたってお金を稼ぐ意欲や希望が見えなかった。今まで一回も就職に挑戦しない上で治療家として個人事業主になった。そしてビンカン精神だから、やたらに気を使ったりや感謝を表す表現が舞台のセリフみたいに機械化して、その貴重な想いの部分をマンネリ化させてしまった。
宇宙人が地球という規模に収まるように、表現する、お金を受け取る楽しみを義務化していた。結婚ももしかしたらそうだったのかもしれない、ちょっぴりとそう、思うこともあったけれど。
この忍耐を通して人間を営むことを選んだのか、と今は、離婚した相手を尊び、自分を慈しみ愛しむ訓練を再開している。
同じ風景でも安らぎの中にいる
内省するこの時期、平等に世界中にいる人間に与えられた試練を通して、自分も他人も同じように愛し扱うことを思い出すと、もしかしたら人生を一緒に遊び楽しみ、会話をするパートナーシップの形も変わるのかもしれない。
今、神様という存在を受け入れクリスチャンになる選択をした。日々祈りを捧げることが神様との会話である。
神様と交わった後に空間を見上げるとスムーズに向かうことがあり、ただ驚いている。
そして今、
介護職として働き始めて、間もないのである。