見出し画像

飛行機恐怖症の私が死ぬ覚悟で飛行機に乗ったらほぼ死んだ話。

私は飛行機が苦手だ。

一番最初に飛行機に乗ったのは、たしか小学校低学年の頃。家族旅行で北海道へ向かった際に利用した。

非常に緊張していた。私の記憶にはほぼないが、親から聞く話によると、飲み物要りますか?というCAさんの質問に応答できないくらいに緊張していたらしい。

その後、ディズニーやUSJ等の遊園地にいくつか行ったが、絶叫と言われる類の乗り物が苦手であることに気づいた。

なんともいえない浮遊感が苦手なのだ。

富士急ハイランドは、自分が死にたくなった時に行こうと思う。絶叫マシンを乗りきったら、死ぬことがバカバカしくなるかもしれない。

私が死にかけた話は、大学時代の話だ。

卒業旅行で片道6~7時間の飛行機旅をすることになった。

乗り継ぎの時点で、なんとも言えない気だるさと頭痛に襲われた。やっぱり飛行機は苦手だ、と後悔したが、ホテルでしっかり寝たら回復した。

滞在先がリゾート地だったため、滞在中は船にも乗ったのだが、これがまた地獄の船だった。

船も幼少期に祖父と釣りに行った以来だった。すでに気持ち悪くなり始めた時、もはや酔い止めは効かなかった。

感覚が麻痺するくらい気持ち悪かったが、吐けるタイプでもないので、我慢に我慢を重ねた。

寝れば体調不良も治るタイプだったので、その後しっかり寝たらまた回復した。

と思った矢先、

ある日の朝食の時だったが、食べ物を目の前にして、何も口に入れたいと思わなくなってしまったのだ。はじめての感覚に戸惑った。さらに、何歩か歩くと「ガクン」と、まるで床を外されたかのようなめまいが続く。

その後帰国し、キャンセルすれば良かったのに、「学生生活最後の思い出」というパワーワードに惑わされ、もう1ヵ国立て続けに渡航してしまった。

これがとどめを刺す出来事となった。

渡航先に着いてから、どうしようも無い頭痛、吐き気、感じたことの無い動悸・息切れ。異国にいる不安感もとてつもないものだった。

2泊3日滞在の予定だったが、到着日翌日の便で1人悲しく帰国した。

そもそも苦手な飛行機に1人で乗るなんてありえなかったが、それ以上に体調がありえなかった。

旅行なのに、空港まで見送ってくれた友人には本当に感謝している。友人と別れてからは、ぶっ倒れる!と思う場面が何度もあったが、1人の状況で倒れるまいとなんとか乗り越えた。

結論。

帰国後、2か月くらいは重めの症状が続いた。何もしていなくても動悸がするし、頭痛と気持ち悪さで動けない日もあった。スマホの画面さえ見るのが辛く、電車にも最初は乗れなかった。

食欲なんてほぼ無く、5キロくらいは痩せたと思う。

内科、胃腸科、脳神経科等たくさんの病院にお世話になった。確たる病名を告げられたわけではないが「自律神経の乱れ」と称された。

4月には入社式が控えているなかで、電車にも乗れない私が会社に行けるのか、そこがまたストレスとなり、親にも相当迷惑をかけた。

入社後の研修期間は胃腸薬とめまい・吐き気止めが手放せなかったが、配属後、怒涛の毎日を送った結果、気づくと症状はまったく出なくなった。

元の健康すぎるマンに戻ったのだ。

何よりも健康が尊いことを痛感した。

ダイエットしなきゃと思う反面、健康に美味しくご飯が食べられることが、なんと幸せなことか。


でも、飛行機には一生乗りたくないので、アメリカまで新幹線で行けるようにしてほしい。

おわり

いいなと思ったら応援しよう!