『春と私の小さな宇宙』 その55
※ジャンル別不能の不思議な物語です。少し暗め。
※一人称と神視点が交互に切り替わります。
以上が大丈夫な方だけ閲読ください。
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バスに乗ったハルは座席に着き、一息ついた。夜遅いためか乗客はいなかった。バスは自宅の方向に進む。
市営バスは同じ道をぐるぐる走行している。見慣れた風景を毎日、 見続けなければならない運転手は大変だとハルは思う。
いつもの平凡な日常を繰り返す。 運転手が変わってもバスは同じ場所を走り続ける。今日と変わらない明日がやってくる。
一定の速度で走っていたバスが、速度を落とした。目的地に到着したようである。ハルはシートベルトを外し、座席から立ち上がる。その時、ハルは自分が大きなミスをしたことに気がついた。
バッグがない。心臓が跳ね飛ぶ。ハルは瞬時に記憶を辿った。大学に来たとき、教授室の隅に置いた。用事を済ました。持ち帰ろうと手に掛けた。伊藤が現れた……。
あの時だ。
ハルは苦虫をかみつぶす思いに駆られた。伊藤が自分を疑ってきたせいで、 その対処に全神経を使ってしまった。だからバッグを持ち帰ることに、全く、気を使っていなかった。
幸い、定期をポケットにしまっていたため無賃乗車は免れた。すぐ取り出して時間短縮できるよう、日頃から入れていたのだ。
自宅近くのバス停に降りたハルは呆然とした。あの中には実験中のモルモットが入っている。伊藤に何かされないか不安になった。
なにより、あの場所に私物のバッグがあることで、自分が今日、教授室に訪れたことや二人をけしかけたことがばれるのではと危惧した。
今乗ったバスが最終便だった。もう取りに引き返せない。ハルは諦め、自宅へ戻った。
朝、目覚めるとアキはすでに通学したようだった。リビングのカーテンを開けて日光を浴びる。何事もない平和な今日が再開した。
朝食を食べる。夕食の残り物、カレーである。いつもの味が舌に染み込み、日付の感覚を狂わせる。鍋にまだ、大量の茶色が残っていた。今日の夕食もカレーなのは勘弁願いたいところであった。
支度を整え、ハルは家を出た。辺りは一面、真っ白になっていた。日常というキャンバスに非日常の白が描かれている。朝日によって雪が溶け、白い絵の具が剥がれ落ちているようだった。
今日も、バスに乗る。暖房の効いた車内が心地いい。他の乗客もひとときのオアシスを堪能していた。 昨日の出来事がリセットされたかのように、バスは同じルートを走る。
窓から見える光景は、いつもと違う異質なものだった。雪の殻にこもった町が産声を上げている。日が昇るとともに人々があわただしく動きだし、今日もまた、それぞれの生活が始まっていた。
溶けた雪が路上を濡らしている。やがて太陽光を浴びて乾き、消えるだろう。 何かがあっても、時が経てば何事も起らなかったように世界は動く。ハルは自分にそう言い聞かせた。
バスが止まると、いつもと同じくアキが校門の前で立っていた。この寒さでも彼女は変わらず待ち続けている。手袋をして、ガタガタ震えていた。
定期を運転手に見せ、ステップを降りる。冷気を纏った凶悪な風が肌を強く刺激した。 多くの人間は、厚着した服の下で身体を震わせているだろう。
アキが曇った顔でハルに近寄った。表情に不吉を孕んでいる。ハルは即座に察知した。
何かが起こったのだと。
「ハル、大変! イトえもんが死んじゃった!」
続く…
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