「照れ」を無くす宣言 #B03
こんばんは!謎の白い球体。火の玉と爆発音。
ここ最近何だか上空が荒々しいですね。ユアンです。
今日はYouTubeのカジサックチャンネルで千原ジュニアさんとの対談動画をみて思った事を綴ります。
その中で凄く共感する言葉があった。
今の時代に照れは通用しない
千原ジュニアさんは「俺らの世代とカジサックの世代で大きく違うのは照れがあるかないかだ」と言っていた。
これは世代もそうだし、育った環境や現在の環境でも違ってくると思うけど、僕は36歳だけどこの「照れ」にはなんかすごい共感できる。
僕も照れの塊みたいな人間だ。
千原ジュニアさんの例えでは、ネタ合わせやってる所は他の芸人には絶対に見せないとか、妻が作ってくれたご飯を何も言わずに一粒残さずにご飯を食べてこれが「美味しいですよ」という表れやんって思ったけどそれでは全く伝わってなかったとか。
凄く共感できる。
カジサックにはそんな事は一切無い。
プライベートでも妻に全力で感謝の言葉を伝える。YouTubeでも一生懸命全力で頑張ってる姿を見せる。カジサックには「照れ」が全く無い。
僕の親父はわりと亭主関白で仕事から帰って来たら、ビールとつまみで一杯やる。その後晩ご飯で食べたら寝るまでTVみて寝る。あまり喋らず怖い親父では無いけど一家の大黒柱的な威厳はあった。
そこに憧れがあったんだと思う。
その憧れたまま自分も親になって亭主関白スタイルな生活をしていた。
何故だか喧嘩が多くなった。
何かが違う。
「今日ご飯おいしね」が言えない。
「少し痩せた?」が言えない。
「片付けありがとう」が言えない。
全て「照れ」で言う事が出来ない。
言葉に出して言わないと分からない。
時代も働き方も違っている。
自分が変わらないと周りも変わらない。
そして一つの決断。
今日をきっかけに、そしてこのnoteを証拠に少しづつ変わって行きたいと思った。
目標を一つ。
1日1回以上感謝の言葉を述べる
こんな当たり前の事を今更ここに宣言するのも恥ずかしいのだけど、よくよく考えたらこのnoteを書いている時は「照れ」は無くなり恥ずかしい事をさらけ出してる気がする。
日記として自分の感情を素直に綴れている。
そしてその日記には鍵は無く、ポイッと街に落ちているから、誰かが見ようと思えば見れる。
なんか共感したりいいなと思ったら、手書きで「すき」と書いてまたそっと閉じる。
アナログにするとnoteってそんな感じの日記なのかも知れない。
まずは「毎日パン作りご苦労さん、日に日に美味しさアップしてるよ」から言ってみたいと思います。
こんな普通の事を言えて無かったのがはずかしい…でも今日から実行!
noteと感謝の言葉をこれからも習慣にしていこうと思います。
おしまい。