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優音の思いのすべて

現在フリーランスとして活動している優音といいます。
不定期更新で『ハカセとマナブ』というブログを運営しています。
ブログを始めるに至るまでの経緯、現在の状況、今後の展望など、すべてお話しします。
(かなり長いのですべて読めなさそうでしたら最後の章だけでもお読みいただけると嬉しいです)


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僕は2年ほど前(2022年)まで会社員だった。
いまは会社から独立し、フリーランスでやっていこうとしている。

会社員時代から
「独立したい」
という思いはあった。

初めに「独立したい」と思ったのは、“個の時代”という流れを受けてというのもあるが、それよりはどちらかと言えば、自分のやることが上手くいくもいかないも「すべてが自分の責任になる」というほうが自分に合っていると感じたから。
一度何もかも全部一人でやってみたかったんだと思う。

まずは副業として始めて、貯金を貯めながら本業とトントンくらいの収入を安定して稼げるようになってから会社を辞めるつもりだった。

ただ、予定どおりにはいかなかった。
心身を壊してしまった。


当たり前のことができるありがたみ

初めは「やけに体の不調が続くな」くらいにしか思っていなかった。
でも、だんだんと呼吸がしにくくなり、時々片耳が聞こえにくくなったり、長く座っていられないほど背中が痛むようになった。
明らかに体がおかしかった。

耳鼻科でも呼吸器内科でもはっきりとした原因がわからず、心療内科で自律神経失調症とうつと診断された。
気管支喘息も突発性難聴も背部痛も全部精神疾患からきていたのだとわかった。
確かにそう言われてみれば単に「体調が優れない」「気分が悪い」というよりも「体に異変が起こっている」「何かがおかしい」という表現のほうが近い。
そのくらい今までに味わったことのない感覚だった。
全身を木に例えるなら、“葉や枝が傷ついている”のではなく、“木の中を通る水が腐ってしまっている”という感覚かもしれない。
ネットで見つけたブログか何かで「うつ病は“心の風邪”ではなく“心の骨折"」と表現されているのを見てそれがなんか妙にしっくりきた。

それまでは「病は気から」的な考え方で、「気持ちさえしっかり強く持っていれば病気にはならない」と本気で思っていた。
だから体調不良で仕事を休むことはほぼ休まなかった(インフルやコロナに罹ったときくらい)
病院や薬というものも無縁だった。
むしろ「病院に行ったら負けだ」くらいに思っていて、スポーツはしないくせに変に体育会系みたいなところがあった。

でもいまは自分が弱い側の立場になって体や心が弱い人の気持ちがわかるようになった。
「こんなに苦しかったのか」
「こんなにつらかったのか」
と身をもって理解できた。
自分の「こうしたい」という意思に反して、体は言うことを聞いてくれなかった。

心療内科の医師から就労不可と診断され、自宅療養を余儀なくされた。
ただただ普通に生活できるようになることを目指した。

これまでできていた“当たり前のこと”ができなくなった。
寝ることと何もしないことしかできない日も多くて、食事を取ることですら気力や体力が必要なのだと知った。

何もできないからこそ、「何かしなきゃ」という思い(焦りのようなもの)があったのか、iPhoneのメモに症状の経過を日記のように残したり、起こった症状を箇条書きにしたりするようにした(後者は下記)

①突発性難聴(勤務中時々左耳が聞こえなくなる)
②気管支喘息(時々呼吸が苦しくて息が吸えない)
③吐き気(出社前・出社直後に起こる傾向がある)
④胃腸の不調(平日は便秘、休日は便が緩くなる)
⑤背部痛(背中全体(内側)に鈍く重い痛みがある)
⑥腹痛(腹部全体(内側)に鈍い痛みや張りがある)
⑦体全体の倦怠感・痛み(負荷により痛みが増す)
⑧嫌悪感が出やすい(些細な事に拒絶反応がある)
⑨やる気が起きない(何もしたくない、欲が無い)
⑩食欲不振(腹は減るが食べたいという欲が無い)
⑪脳の処理能力低下(合理的・効率的に行えない)
⑫不注意ミスの多発(箸を逆に持つ、物を落とす)
⑬悪夢(死にまつわる夢を見る、金縛りにも遭う)
⑭消化不良(食べ物次第で食後激しい腹痛と嘔吐)
⑮知覚障害(体全体の皮膚感覚がむずむずと過敏)
⑯口の渇き(一、ニ時間程度で口内が渇いてくる)
※おそらく薬の副作用も一部含まれると思われる。

2ヶ月ほど休職していたが、かねてから「独立したい」という思いがあったことやもろもろの思いが重なって、退職することにした。

そこからはひたすら自分の心身と向き合った。
薬がよく効いているときは「もう治った」と錯覚して、普通の量のご飯を食べたり活動的になったりといつも通りの生活をしていると、自分の体から「調子に乗るな」と言わんばかりに嘔吐したり体の痛みに襲われたりした。
少しずつ少しずつ様子を見ながら試していくしかなかった。
心がコップ、感情が水だとするならコップが壊れてしまっている状態で水を増やそうとしても増えていかなくて、まずはコップの修復作業から始めてヒビから漏れないかを確認しながら少しずつ水を入れていかなきゃいけなかった。


自分が本当にやりたいことはなんだろう

急にぽっかりと時間ができて、考える回数もおのずと多くなった。
もともと“答えのない問い”みたいな哲学的なことを考えるほうではあったが、その傾向がより強くなった。
「心ってなんだろう」
「優しさってなんだろう」
「命ってなんだろう」
「生きる意味ってなんだろう」
「自分らしさってなんだろう」
みたいなことを考えるようになった。

どのタイミングかは忘れたが、自分の夢みたいなものもできた。

まだまだ自分が何者でもなさすぎて、その夢を言うのを憚られるところはあるが、あえて言おうと思う。

日本の若い人たちと力を合わせて
日本にワクワクする大規模なエンタメを創ること。

これが僕が見つけた僕の夢。

なぜエンタメなのか。
それは僕自身がこれまでの人生でエンタメに救われてきたから。
音楽だったり、お笑いだったり、漫画だったり、アニメだったり、YouTube動画だったり。
つらいとき、苦しいとき、不安なとき、悩んでいるとき、落ち込んでいるとき、挫けそうなとき、勇気が湧かないとき、自分を見失っているとき。
支えてくれたのがエンタメだった。

きっと世の中の人たちもそうではないだろうか。
ディズニーランドもそう。
少し前に話題になったイッテQもそう。

それが「また明日も頑張ろう」という活力を与えてくれて、やりたくないことややらなきゃいけないことも乗り越えられる。
直接的に心を豊かにしてくれるのがエンタメなんだと思う。

その夢を人生の最終ゴールとして設定し、そこから逆算した。

↑重要度:高 優先度:低
③新世界創造(若者とワクワクするエンタメを創る)
②美と善の追求(クリエイティブ活動と慈善活動)
①日本再生(日本の若者に投資し日本を景気回復へ)
↓ 重要度:低 優先度:高

この3つを人生を懸けてやり抜くと決めた。
僕にとってこれがワクワクできることであり、本当にやりたいことであり、今の日本社会にとっても最善の答えなのだと思ったから。

一生涯のうちにどこまで実現できるかはわからない。
ただ、できると信じているし、やると決めたからやるしかない。
そう覚悟を決めた。


自分らしく生きるという決意

少し遡って、その5年ほど前(2017年頃)。

『社会で生きること』『大人になること』
というのは
『自分を殺して周囲(社会)に合わせること』
と、そのときまでは思っていた。

でも、その考え方は間違っているのだと、一本の動画を観て気づいた。

『18祭』(じゅうはちフェス)は、2016年から開催されているNHK主催のイベント、およびその模様を放送する特別番組。

毎回1組のアーティストと、事前選考を通過した1,000人の18歳世代が1回限りのパフォーマンスを行うイベントである。共演する楽曲は、選考のために送られた動画をもとに、アーティストが制作する。このイベントの模様は、後日NHK総合にて放送される。

18祭 - Wikipedia

魂がふるえた。
感情が溢れた。

学校で教えられるような斉唱や合唱ではない。
歌い方や歌声を統一して、自分の個性を消そうとなんて誰もしていない。
全員が全員、自分を表現している。
自分の声で、自分の歌い方で、全力で歌う。

“自分を誤魔化し 生きることに意味はあるか”

この歌詞のこの一行にすべて詰まっている。
これまで持っていた自分の価値観がぶっ壊れて、新しい価値観に生まれ変わったのを感じた。

今までは、“自分を出すこと”も“全力を出すこと”もカッコ悪いと思っていた。
いわゆる世間の言う“大人”や“社会人”は、
 周りに合わせて
 自分の思いや感情を我慢して
 我慢していることさえも見せず
 涼しい顔でそつなくこなす
みたいなイメージだった。
「大人なんだから」や「社会人として」という言葉を聞くたびにそういう“大人像”みたいなものが出来上がっていったんだと思う。
だからその“大人像”に近づくことが正しいんだと思い込んでいた。

でも違った。
それは大人ぶってるだけだった。

“自分を出すこと”と“全力を出すこと”のカッコ良さを1000人の18歳の方々とONE OK ROCKに教えてもらった。

そして、
『社会で生きる』ということは、
『自分を殺すこと』ではなく『自分を活かすこと』

なのだと気づいた。

その日から、
・自分を隠すことや全力を出さないことはしない
・自分らしく生きる
ということを決意した。

それと合わせて、ジャーナリング(頭に思い浮かんだことをありのままノートに書き出すこと)を始めることにした。

正確に言うと、ジャーナリングという言葉はのちに知った。
その当時は
「自分の考えや思いや感情をとにかくアウトプットしていこう」
「アウトプットしたものがきっと何か手がかりになるはず」
と思ってやっていた。
Twitter(現X、優音のアカウントではない)、iPhoneのメモ、スケッチブック、ノート、メモ帳などにどんどんアウトプットしていった。
「こんなの世の中にあったらいいな」というアイデアも思いついたら残すようにして書き溜めていった。そのアイデアの実現がドラえもんの道具くらい夢のまた夢でも気にせずに書いた。

それをやりながら、「自分の価値を最大限に活かすためには、自己実現するためにはどうすればいいだろう」みたいなことを考え続けた。


本との出会い

ジャーナリングと内省を続けるが、「どうすれば自己実現できるのか」という問いにはうまく答えが出せないままでいた(そもそも当時はこの疑問そのものも言語化できずにぼんやりしていた気がする)
「僕は何をやりたいんだろう」「どうなりたいんだろう」とずっと悶々としていた。

記憶が曖昧だが、おそらくその3年後(2020年)あたりから読書を始める。
僕の読書の仕方はたぶん邪道だから読書家の方や書き手の方に怒られるかもしれないが、僕の場合はYouTubeの本要約系のチャンネルでいろんなジャンルの本の要約動画をできるだけたくさん観て、気に入った本や感銘を受けた本や自分の人生に関わりが深そうな本をAudibleか紙媒体で購入して読む、というやり方で読んでいた。

経済、政治、ビジネス、お金、投資、テクノロジー、科学、健康、ライフスタイル、道徳、哲学等々。
ありとあらゆる知識を学んでいった。
気になることや関心のあることは積極的に調べるようにした。

これまで読んだ本の中で、僕の人生に大きく影響を与えた本が3冊ある。

嫌われる勇気
論語と算盤
そして、シン・ニホン

シン・ニホンを読むと、日本の未来に希望が持てた。
日本が豊かにするためには日本の若い人たちのためになることをすべきなのだと知った。

※シン・ニホンを読んだことない方へ

この本のおかげで自分の進むべき方向性がだんだん定まってきた。
「若い人たちの味方でありたい」
そう思った。

「日本の若い人たちのために、今の自分に何かできることはないだろうか」
そのことばかりをずっと考えるようになった。


たどり着いた一つの答え

その2年後(2022年)。話は冒頭の時に戻る。

心身を患って、働けなくなって、時間ができて。
ボロボロの状態ではあったが、空想をしているときは余計なことやあらぬことを考えずにいられた。

↑重要度:高 優先度:低
③新世界創造(若者とワクワクするエンタメを創る)
②美と善の追求(クリエイティブ活動と慈善活動)
①日本再生(日本の若者に投資し日本を景気回復へ)
↓ 重要度:低 優先度:高

この3つ(特に優先度の高いほう)に関係することで今できることはないかを考えた。

そして、答えが見つかった。

「僕自身が若いうちに知りたかったことを
いまを生きる10代・20代(特に中学生・高校生)に伝えたい」

そういう思いでブログを立ち上げることにした。
「ハカセとマナブ〜学校では教わらない人生の教え〜」
というブログ。
①の日本再生の一環として。

ハカセとマナブ〜学校では教わらない人生の教え〜

このブログのコンセプトは、
『学校では教わらないことをやさしくたのしく学べるブログ』

「このブログだけ見れば大丈夫」というくらい、人生に役立つひととおりのことを網羅的に学べるブログにしようと思って作り始めた。
具体的なジャンルでいうと、生き方・お金(※)・ビジネス・投資の4つ。
※お金に関しては、2022年から金融教育は義務化された。ただ、僕がやりたいのは、おそらくそれと少し違っていて、知識や情報よりも気づきやマインドチェンジがメイン。お金やお金持ちに対する悪いイメージを払拭したり、ビジネスが社会貢献につながることに伝えたりなど、主体的に「稼ぎたい!」と思えるような内容にしようと思った。

とにかく若い人が
・楽しく学べること
・勉強アレルギーが出ないようにすること
を心がけた。
そのために対話形式やストーリー形式を取り入れたり、できるだけ図やイラストを多く入れるようにした。

主人公の中学生マナブが近所に住む物知りのハカセからいろんなことを教えてもらいながら成長していき、夢を叶えようとする姿を描こうと思った。

ハカセ=今の自分
マナブ=過去の自分

を表している。

このハカセの失敗談というのは僕の失敗そのもの。

「今の若い人たちに自分と同じ失敗をしてほしくない」
「自分みたいに若い時期を無駄に過ごしてほしくない」

という思いが強くある。

もちろん自分の価値観を押し付ける気はないし、「正しい道はこれ!」と言いたいわけでもない。
「こういう選択肢もあるんだよ」と伝えた上で、自分で考えて自分で選んでほしい。そして後悔のない人生を歩んでほしい。
のちのち「若いうちに知りたかった…」とならないように。

将来自分に子どもができたら、胸を張って自信を持って見せられるような、そんなブログにしたいと思った。
それとできるだけ流行り廃りに左右されない本質的なことだけを書きたいと思った。

「自分は教育をできるほどの立場の人間なのか」
「ビジネスや投資の知識が十分に足りているのか」
という問いが生まれなかったといえば嘘になるが、そういうことは考えないようにした。
考え始めるといつまでもスタートすることができなくなるから。

このブログを運営する上で、自分ならではの強みが3つあると思っている。

1つ目は洞察力。本質を見抜く力。
これに関しては誰にも負けない自信がある。

2つ目は図解力。目に見えないものを可視化する力。
文字情報のみでは伝わりにくいものを図解することで直感的に伝えられる。

3つ目はつなぎ役。真ん中で隔たりをなくすこと。
いまの自分なら成功者と何者かになりたい若者のどちらの気持ちも理解できると思った。

というのも、偉人や成功者たちが何を意識し何を考えているのかが、勉強を重ねていくうちに理解できるようになった。
なぜなら彼らは言っていることが違っていても本質の部分は共通していたから。
これから山を登ろうとするふもとにいる人たちがいま何に悩み、どんな不安を抱えているかを、すでに山を登り切った成功者たちが自分ごとのようにリアルに思い出すことは難しいように思う。

いま僕がいる位置は若者寄りでありながら、
「どうやれば成功者たちに近づくか」
その差分(特に本質的な根っこの部分)がかなり理解できた。

いまの自分だからこそ、
偉人や成功者たちの意識や思考の本質を捉えて、
それをわかりやすく噛み砕いて若い人たちに伝える

ということができるのではないか、そう思った。


ブログ制作と心身の葛藤

体調が良いときは、ハカセとマナブのブログ制作に時間を費やした。
早く進めたいという思いもあって、油断すると没頭して作業しすぎる癖があり、1日無理をしてしまったことで4、5日寝込む、という本末転倒なことになっていた。
牛の歩みで進めるしかなかった。

心が健康な頃は多少ネガティブな感情を抱えていても、その感情を無視してやるべきことに取り組んでいるうちに、ネガティブな感情はいつの間にか消え去っていた。
でも心が壊れているときは、そのやり方が通用しなかった。
初めは「意外といけるかも」と思って取り組めていても、しばらくすると無視した分が2倍、3倍、4倍になって跳ね返ってきて、なまりのように心と体にのしかかった。
だからネガティブな感情があるときは、その時点で向き合って清算しておかなきゃいけないのだと知った。その踏み込み加減がすごく難しかった。

心身を治していくことを最優先にしつつ、
「まずはブログ一本で食べていけるようにしよう」
と考えた。

そうは思いながらも、このブログの目的が稼ぐことではなかったから収益化するということに頓着がなさすぎて
Googleアドセンスで稼ぐか
アフィリエイトで稼ぐか
ということをはっきりとは決めていなかった。

とはいえ稼がないことには生活ができないし、この活動を続けることもできない。
まずはブログ一本で食べていけるようにする必要があった。

ただ、ここで二つの壁にぶつかった。

一つは、不勉強でYMYL(※)を知らなかったこと。
※YMYLとはYour Money or Your Lifeの略で、健康やお金など、人々の生活や人生に大きく影響を与える可能性があるジャンルのこと。
これに該当するジャンルはGoogleの検索結果では厳しく判断され、信頼性の低いサイトは上位には表示されない。

僕のブログはもろにこれに該当するため、Googleの検索結果の上位に表示されないと知った。
だから集客はSNSからしか見込めなかった。

もう一つは、「自分は若い人からお金をもらう側でいいのだろうか」と自分に対して疑問を持ったこと。

もちろん三方良し(売り手良し、買い手良し、世間良し)というビジネスで、価値提供してその対価を得るのであればなんの問題もない。

だから若い人たちに対してビジネスをすることが悪いことだと言いたいわけでは決してない。
若い人たちに価値のあるものを提供して、彼らも喜んでいて、世間にも良い影響を与えるというビジネスならむしろやったほうがいい。

ただ、僕が自分自身に対して感じた違和感として、
「そもそも若い人たちを応援したいのにそのビジネスをメインの収益にしていいんだろうか」
ということ。

「むしろ僕は支援する側でなきゃいけないんじゃないか」と思った。
だから途中から方針変更した(とは言ってもほんの1ヶ月前のことだが)

優音個人としての活動(noteなど)で稼ぎ、ハカセとマナブを通じて、若い人たちのためになる活動にお金を使う、という方針が自分にとって最適解と思い、その方針にした。

長期間の療養のおかげで、冒頭で挙げた症状はもうほとんど出なくなった。
医師からも就労許可が下り、月一の定期的な通院も要らなくなくなった。
薬も毎日の重めの薬(抗うつ剤)は飲まなくてよくなり、必要に応じて軽めの薬(抗不安薬)を飲むだけで済むようになった。
思い入れのある著名な方の訃報に接したときなど、特定のケースでごく稀に再発することがあるので完治したわけではないのかもしれないが、初めの頃に比べたら相当回復した。
だからこそ最近は、症状なのか、それとも自分の単なる甘えなのかがよくわからないときがしょっちゅうある(人間関係に関してまだ少し臆病になっているところもあるのかもしれない)

ただ、ようやくほぼ全てを活動に注げるようになった。
あとはやるだけだ。

ハカセとマナブのブログは現在不定期更新だが、優音の活動はXとnoteを定期更新して安定して稼げるようにし、隔週ペースくらいでブログを更新できるようにしたいと考えている。


日本の過去と現在

学生時代、「いま日本は不況」と言われてもいまいちピンときていなかった。
僕自身が日本経済に関心がなかったから。でも今はある。
日本の経済について知れば知るほど、いま日本がどれだけピンチなのかがよくわかる。
30年間、安定した経済成長ができていない。
低成長か刹那的な成長かしかない。

1980年を1.0とした場合のGDP成長率推移 名目値
(出典:成長しない日本のGDP、停滞の20年で米国は日本の4倍、中国は3倍の規模に:「ファクト」から考える中小製造業の生きる道(2)(3/3 ページ) - MONOist
日本の実質GDP成長率の推移
(出典:実質経済成長率 - Wikipedia

アメリカのSF映画に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』という映画がある。誰もが知る映画作品。
1作目が1985年公開され、続編合わせて3作ある。

作中(3作目)で主人公のマーティがドクに対して、
「ドク、良いものはみんな日本製だよ」
と言うシーンがある。

幼い頃に観たときは
「“日本”て言葉が出てきてうれしい」
「日本が褒められてうれしい」
くらいにしか思っていなかった。

今考えると、このセリフは当時の日本の経済状況をよく表している。

高度経済成長期(1955年~1973年)
安定成長期(1973年~1986年)
バブル経済期(1986年~1991年)
失われた30年(1991年〜)

経済成長率の推移
(出典:図録▽経済成長率の推移(日本)

マーティがずっと憧れていたのはトヨタの車。
前述のセリフはタイムスリップによって1985年のマーティと1955年のドクが会話しているシーン。

ドク「ああ、これは壊れるはずだ。こいつはメイド・イン・ジャパンだ」
マーティ「何言ってんの?ドク。良いものはみんな日本製だよ」

1955年のアメリカにとっての日本製に対する価値観は「安かろう・悪かろう」だったが、1985年のアメリカの若者にとっては日本製は「高品質・クール」というイメージに刷新されている。
日本は1955年から1985年の間に高度経済成長を経て安定成長し、誰も予測できなかったほどめざましい発展を遂げた。

そのくらい当時の日本は凄かった、ということなんだと思う。

ただ、これ以降からバブル経済という実態経済と乖離した好景気が始まる。1991年にバブルが弾けて、そこから“失われた30年”が続いている。

そして2024年現在。
2月にGDPでドイツに抜かれ、日本は4位に転落した。

日本経済は依然として低成長が続いている。

ただ、最近は“失われた30年”はもうすぐ終わるという声も見かけるようになったし、なによりこれからの時代は、シン・ニホンにあるとおり、日本が最も力を発揮できる『第2フェーズ(新しい技術を活用する時代)』『第3フェーズ(新しい産業がつながり合って一つのシステムを構築する時代)』に入る。

日本はここからなんだと思う。


これからの日本と優音の思い

日本が経済成長していくためには外貨を稼ぐ必要があるのだと思う。

韓国でいえばK-POPがわかりやすい。
K-POPは全世界のヒットチャートで上位を席巻している。
20年くらい前までは韓国は日本の影響を受けていたイメージだが、今では立場が逆転している。

ただ、日本も負けてはいない。
昨年2023年、ビルボードのグローバル・チャート(米国を除く)でYOASOBIの“アイドル”という楽曲が1位になった。

日本が世界で渡り合えるのは
『オタク文化』

これ以外にないと思う。

アニメ、漫画、ゲーム、アニソン、アニメ映画、アイドル。

海外で人気があるアニメや漫画としては、ドラゴンボール、ナルト、ONE PIECE、鋼の錬金術師、進撃の巨人、DEATH NOTE、鬼滅の刃、呪術廻戦、推しの子、ガンダム、新世紀エヴァンゲリオン、美少女戦士セーラームーン、名探偵コナン、ドラえもん、クレヨンしんちゃんなど挙げきれない。

ゲームならスーパーマリオ、ポケモンなど。
アニメ映画ならジブリ作品、君の名は。など。
アイドルならBABYMETAL、Perfume、きゃりーぱみゅぱみゅなど。

特に漫画に関して、日本では異様に過小評価されていると感じる。
当たり前にあるからなのか。それとも子どもが読むものという感覚があるのか。

漫画は日本の誇るべき文化
だと僕は思っている。

フランスでは“第9の芸術”と言われているほど漫画は高尚な扱いをされているし、他の国でも漫画作品自体にも作者に対してもリスペクトがある。

今年2024年の3月にドラゴンボールの作者である鳥山明先生の訃報があり、それを受けて海外のファンの方々の反応はすごかった。悲しみも感謝も敬意も伝わってきた。

僕は、
日本の『若い人』と『クリエイター』を大切にしていきたい
と思っている。

若い人には
・素直さやスポンジのような吸収力
・バイタリティーやハングリー精神
・好奇心旺盛さやチャレンジ精神旺盛さ
があり、可能性と希望に満ちあふれている。

クリエイターには
・感受性の豊かさや心の豊かさ
・頭の柔らかさや発想力
・新しい価値を創造する力
があり、『オタク文化』を牽引できる貴重な存在。

これからはAIの時代。活用しない手はない。
シン・ニホンで言われているとおり、日本が『データ×AI』をうまく使いこなせるかどうか。
これが日本再生の鍵になる。

ただ、AIは使い方を間違えると非常に危険。
AIが進化すればするほど、AIを使う人の“道徳心”が求められるようになる。

クリエイティブの世界は特にそう。
AIを使うことによって、世の中にすでにあるプロの作品と似通ったものをハイクオリティかつスピーディーに生み出すことが誰でも簡単にできるようになるし、写真や動画を見ても「AIかリアルの人間かまったく見分けがつかない」という時代がもうすぐ来る。
もし、
「自分さえ良ければいい」
「自分さえ稼げればいい」
という感覚でAIを使う人が増えると、魂が込められていない“それっぽい作品”が世の中に粗製濫造されることになる。
クリエイターが時間も労力も費やして魂を込めて生み出した、本当の意味での“創造性・独創性のある作品”が失われていく。
そうなる未来にとてつもない危機感がある。

ほんとうに大切なものは
“心”

これだけはAIに絶対真似できない。
AIには生命が宿っていないから。

だからこそ
『若い人』と『クリエイター』
を大切にしなきゃいけない。
心に素直な人、心に響く価値を創造できる人は彼らだから。

若い人は弱い立場になりやすいからこそ上の世代が守らなきゃいけないし、力を最大限に発揮し活躍できる場所が必要。
クリエイターに関しては、日本には日の目を見ないクリエイターがごまんといるはず。間違いなく埋もれている才能がたくさんある。

本編から33秒抜粋

実績のない今の僕が何を言っても説得力がないかもしれない。
ただ、こうやって意思表示をすることに意味があると思っているし、目的や社会的意義を持って発信することで、誰かの気づきになったり、共感してくれる仲間や同志に出会えたりすると信じている。

「日本の未来を変える」

これを日本国民ひとりひとりがどれだけ本気で思えるかどうかが大事なんだと思う。

本編から8秒抜粋

日本の若い人たちやクリエイターたちを守るため、支えるため、彼らに活躍できる場を提供できるようになるためには、僕自身まだまだ努力しなきゃいけないし、実績を積み上げなきゃいけない。
掲げた人生の最終ゴールに向かって一歩一歩歩みを進めていこうと思う。

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ここまで読んでくださりありがとうございます。

もし、
「日本の若い人たちを応援したい」
「日本のクリエイターを応援したい」
「日本をもっと良くしたい」
という僕の思いに共感してくださる方、同じ志を持っておられる方がいらっしゃったらぜひつながりたいです。

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