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サンボマスターのラブソングは私にとっても大切な曲

今朝、たまたま予定が空いた。
自宅でテレビのチャンネルを変えていると、ラヴィットが映る。
なんと今日はサンボマスターの生ライブらしい。

3.11だからだ。
今日のラヴィットのテーマは「背中を押してくれるもの」
サンボはこのテーマにドンピシャだ。
全力待機。20分くらいのライブをやってくれた。

・世界はそれを愛と呼ぶんだぜ
・ラブソング
・輝きだして走っていく
・できっこないをやらなくちゃ

贅沢な時間だった。涙が止まらない。
何度もライブに行っているが、いつも言葉にならない。

わたしにとってラブソングは特別な曲だから、何か書きたくなった。

私は東北には住んでいない。
遠く離れた中国地方。地面の揺れは伝わってはこなかった。

2011.3.11私は次女を出産したばかりで実家に里帰りしていた。
地震と津波のニュースを見ながら、怖かった。
家族が死ぬのが怖かった。
やはり平和な生活のすぐそばに死がある。
私にとって、生きているということは
平均台を両手を広げて歩くようなギリギリの感じだった。

家族を守らないと・・・そう思いながらテレビを見つめて泣いていた。

サンボのアイラブユーについて、昔「音楽文」というのを書いた。
気が付いたら、「音楽文」というページ自体が消えてしまっていたので、
ここに当時書いた下書きを載せてみる。

音楽文 2018年記

私はキュウソネコカミが好きだ。
キュウソメンバーがあまりにサンボマスターのライブに行った方がいいというので、2017年、私は初めてちゃんとサンボを聴いた。アラフォーの私にしては遅い出会いだった。

サンボマスター
熱い曲がたくさんあった。
けど、どうしても私は「ラブソング」を選んで、何度も何度も聞いてしまう。よく行く美容院のお兄さんには、サンボらしくない曲と言われた。
そうなんだ、サンボらしくない…かぁ。

「会いたくて会いたくてどんな君でも、願い事がもし一つ叶うならば、今すぐに今すぐに抱きしめたいんだよ
ずっと君のそばにだけいたかったんだ
心の中は涙の雨のメロディ
君と過ごした日々は忘れるなんて出来ないんだよ」

私にはそういう「君」がいる。
私の息子だ。1ヶ月半の命だった。突然の病死だった。
美しすぎた人…それは
私の赤ちゃん。

この歌は私の想いそのまんま過ぎて、出会った時にただただ驚いた。
初めて曲を聴いて泣いて、
えっ?今なんて言った?…と、歌詞を読んで泣いて、リピートしてまた泣いた。

6月に初めてサンボマスターのライブに行った。スリーマンライブだった。時間も限られている。
お兄さんの言葉が頭に浮かんだ。
サンボらしくない曲なら、多分この曲はやらないだろうな…それでよかった。この曲をライブで聴きたいような、聴きたくないような、大事な曲過ぎて、聴くのがちょっと怖かった。
目の前で聴いたら、自分がボロボロになってしまう気がした。
ギターボーカル、ベース、ドラム、当たり前だけど、スリーピースバンドだから、たったの3人の演奏。
メンバーが呼吸を整え、その曲は始まった。前半、盛り上がっていたライブハウスの空気がピリッと変わるのが分かった。
山口さんのギターが静かに淡々と爪弾かれる。
音源で聴いていたストリングスの音とは全然違う。
けど、よく知ってるイントロのメロディ、低く乾いたギターの音が文字通り胸に刺さる。
あぁ、これから「ラブソング」を歌うんだ…
膝の力が抜けそうになった。
しかと受け止めよう、しっかりしろ自分!本当は1番聴きたかった曲じゃないか!こうなったら、一音も聞き漏らすまい…そう思った。
それくらい、私にとってこの曲を聴くには覚悟が必要だった。

「いつまでも続いていくと僕はずっと思ってたんだよ。
あの日君がきれい過ぎる訳を僕は何も知らなかった」

絞りだす山口さんの声に、自分の過去が重なる。
私はまだ自分の体験を消化しきれていない。
辛かった強烈な日々ばかりが記憶に残るが、その向こうには息子との穏やかな日常があった。「ラブソング」の優しいメロディはあの子が生きていた時間そのものを思い出させてくれる。
君と過ごした日々…愛しい想いが手触りを伴って感じられる。


「神様って人が君を連れ去って、二度とは会えないと僕に言う。
何処に行くんだよ。僕は何もできなかったよ。美し過ぎた人よ。

もう声は君には届かない
奇跡が起こるなら
もう一度 もう一度だけ…」鬼気迫る歌声がこだまする。

この後の沈黙。
ライブハウスの2列目、
私は嗚咽が漏れないように両手で口を押さえた。この行間に想いが溢れる。止まらない。悔しさも無念も、愛しい思いも、何もかも言葉にならない。
メンバーの3人もきっと祈っている。大事な人を心に浮かべて…、そんな気がした。

苦しいけれど、それは必要な余白だった。
長い長い沈黙の後、大きな音が鳴る。
やっと声を殺さず思いきり泣ける。心が解放される。

「会いたくて会いたくてどんな君でも、願い事がもし一つ叶うならば、今すぐに今すぐに抱きしめたいんだよ
ずっと君のそばにだけいたかったんだ…」
本当にそう!会いたい、会いたい…
抱きしめたい。ただそれだけ…
繰り返される言葉とメロディに、余計な感情が削ぎ落とされていく。
本当に単純にあの子に会いたい!という気持ちだけが押し寄せる。

会いたいよぉおおぉぉおぉーー!!!


そして、歌はこう続く
「君と過ごした日々を忘れることなんてできずに、だけどそいつが僕の空っぽを埋めてくんだよ」

すごい矛盾だ。
初めて聴いた時も泣きながら、ここでえっ⁉︎…となったことを思い出す。

君がいなくなって僕は空っぽで抜け殻みたいになったのに、君と過ごした日々が僕の空っぽを埋めていく…

しかし、この矛盾が真実なんだ。

子どもを亡くして、私はズタズタボロボロだけど、息子と出会えたから、生きていける。大事な事は変わらない。私は確かにあの子を産んだ。目の前に息子はいないけれど、何もなかったんじゃない。マイナスでもない。
今でも私はあの子の母なんだ!という当然の事実が私をしゃんとさせる。

なんなんだこの曲は、ぐちゃぐちゃの感情が、矛盾が、こんなにも美しく凝縮されてる。
祈りながら、愛おしみながらも、もう生きていくしかないんだ…

最後に山口さんの声は畳み掛ける。
「Yes,love   Yes,love   Yes,love…」
とめどなく涙が溢れる。
そう、もうこれは愛。ただの愛!
愛以外の何物でもない。

ありがとう!出会えてよかった!


サンボマスターの歌うラブソングはそこらへんの恋愛の歌ではない。
愛そのものの歌。

私のこんな文章より、とにかくサンボマスターのラブソングを聴いてみてほしい。出来るならライブで。
この曲のもつ説得力を、リアリティを言葉では伝えきれなくて、もう既に悔しい。

7月NHKのテレビ番組でこの曲についてサンボマスターのメンバーが語っていた。
2011年、東日本大震災が起こり、メンバーの故郷である福島でも大勢の方が亡くなった。そして、「ラブソング」を歌えなくなった。

「失ったものに対するアイラブユーを自分は言ってないなと思って…
国、性別問わず、やっぱり失ったものにアイラブユーを言いたい…」と山口さんは話している。

震災から何年か経ち、ここ2年くらいでサンボマスターは再び「ラブソング」を演るようになった。

聴く側のエネルギーより、演奏する方がよっぽどの覚悟とエネルギーがこの曲には必要だったんだ…
全然知らなかった。この曲の持つメッセージや想いが大きすぎて、メンバー自身が演奏出来ない時期があったなんて…。
いつでも聴けるもんじゃないんだ。
サンボが今再び「ラブソング」をライブでやるようになってくれて、感謝の思いでいっぱいになった。
あの日、あの場所で聴けて、本当によかった。

もう一つ驚いた。
ラブソングが発表された年は、私が息子と生きた2009年だった。
私にとって生涯で最も大事な年だ。
そして、また涙が溢れた。


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