議論のテーブルにつくのだ
はじめに
本記事では、「きちんと議論するにはどうすればいいか」について、ツールの面から提案をしたいと思います。政策論争でもワクチンの可否についても、相手を非難するばかりでどうも議論がかみ合っていない場面をよく見かけるので、「もうちょっと建設的な議論をしようよ」という主旨です。
大前提として、建設的な議論は「議論することで対立意見の溝を埋め、妥当な案(妥協案かもしれないが可能な限りマシなもの)を作り出すこと」であるべきと考えています。ここでいう「議論」とは、主にいわゆる公開議論(ディベート)(討論会)を対象としていますが、個人同士の話し合いでも必要なものだと思います。
なお、ディベートについてはその定義にも色々と議論がありますが、ここでは深くは立ち入らず、一般的にディベートと呼べるもの全てをディベートとして呼称しています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88
特にこのコロナ禍において、コロナ対策をどのようにすべきかという議論はしばしば政争の道具とされてきました。政治家同士の討論で「コストと効果のバランスの良いコロナ対策」を導出するのではなく、「相手の提案した対策の駄目なところ」を根拠もなく徹底的にたたく、とても討論・議論とは呼べないような口げんかは本当に無意味です。
悲しいことに、インターネット上での議論では「はい論破!」がスタンダードになってしまっていますが、論破、つまり相手の主張を否定することを目標にすることはあまり意味がありません。そもそも論破はほとんどが本人の自己申告で終わっており、論理性に欠けるものがしばしば見られます。
議論において、互いの主張が噛み合わない、どうも話が通じない場合にオススメしたいのが「議論ボード」です。別に特殊なものではなく、まともな議論ではしばしば多くの人が無意識に使っている枠組みです。上から順に、
1.議論の前提知識となる事実
2.事実から導かれる(と本人が考えている)推論
3.推論を根拠とした主張
を列挙するものです。
これは、いわゆる論理ステップ「演繹」や「帰納」を一部可視化するものといえます。なぜこれがいいのかというと、
1.議論の前提となる事実に関しては、そもそも間違っていたり、同じ名称で違うものを指していることがしばしばあります。良く知った人同士なら、前提知識をある程度共有できているかもしれませんが、そうでない人との議論では前提こそが重要だったりします。例示した議論テーブルでは右の論者の前提知識に「目からも感染する」とありますが、この後の推論で誤っていることが明らかになります。
2.推論は、基本的に「前提事実から直接推論できる」ものを書きます。政治討論等ではこの推論だけを主張する人が多いのですが、これだけだと本当に議論になりません。また、推論と前提事実を混同している人も多いのです(なお、科学的な事実といわれるもののの多くは厳密な事実ではなく、「もっとも妥当な推論」であることも多いので、1と2はどちらに入れるべきか厳密に決めることはそもそも難しいのですが、それは議論の中ですり合わせる必要があります)。
3.主張は「事実」「推論」を経ての文章である必要があります。主張だけをする人も多いですが、それだけ出されてもほとんど議論になりません。例えば、反ワクチン派や極端な規制緩和派の主張の多くは、事実→推論→主張のどこかに重大なギャップや誤認があります。
なお、この例では右の人は「コロナウイルスは目から感染する」という事実を主張していますが、これ、実は厳密に表現すると「コロナウイルスは視線を合わせるだけで空間転移して感染する」という主張です。常識的にもうアレなんですが、僕はこういう人を数人見ているので、間違いなく存在する主張です。医学的に正しいのは「コロナウイルスは、眼球やまぶた周辺の粘膜に付着すると感染が成立することがある」というものです。これを「目から感染する」と簡便に表現したらトンデモ解釈をしてしまったようです。
このような前提を置いている人と長々と議論してもなかなか結論は出ません。でも、こんな変な前提を置いていないかなんてそもそも確認しようとも思わないですよね?こうして議論は長期化し、こじれることも多いのです。
さてもうひとつ、某野党が述べているPCR検査に対する絶大な信頼を置いた主張を見てみましょう。この野党は、政策をHPで公開していますが、例のごとく「主張」しか書いていないので、「前提」「推論」は僕が推測で入れました。よって、この議論テーブル右の主張は、某野党の主張ではなく、仮想的な野党のお話です。
PCR検査は、ウイルス感染症を検査する上では実用的な検査ではあるのですが、コロナウイルスの感染抑止のための検査としてはいくつか問題があります。一番厄介なのは、コロナウイルスは自覚症状より前に他者に感染可能になってしまう上、感染可能な人を検査しても陰性になることすらあるため、検査で陰性だったとしても検査した人のメリットは何もないという点です。検査で陰性であったとしてもマスクを外してはダメですし、会食も旅行も感染抑止を怠ってはなりません。検査前と何も変わらないのです。
にもかかわらず、検査して陰性であればはっちゃけてしまう人も出てくるでしょう。医療資源と予算を使って検査して、さらに感染拡大してしまうのでは意味がありません。したがって、右の主張の推論「PCR検査で感染抑制ができる」はそのまま受け入れることはできない主張です。
いかがでしょうか。きちんと議論をするなら、こういう情報を互いに見えるように提示することが有意義な議論に繋がります。むしろ、この3マスすら埋められない主張は、国会や政治討論に持ち込むべきではないと思います。
ネットでも使いたい
テレビ討論、ツイッターでの議論、情報系Youtuberのトラブルは、どちらかの誤解によるものが多いと感じています。特にそもそも論として、ツイッターはそれだけだと議論に向かないツールです。
一番の理由は、140文字だと「前提事実」「推論」「結論」の一個しか書けないし、ツリーにしても読まない人は読まないので本当に議論しづらいのです。そして、テレビ討論、Youtuberの情報は共に音声という聞き逃しが起こりやすいメディアを利用しています。いずれにしても、最初にこの3マスを提示するだけで誤解が大いに減るのではないかと期待しています。
最後に
この3マスを用いた議論テーブルは、色でもって情報の性質を表していますが、色覚障害がある人のために色以外の識別情報を入れるとよりバリアフリーです。例えば、僕の提示した3マスは情報の確度にしたがって「直線」「破線」「線なし」と輪郭がぼやけるようになっています。実際に使っていただくときは、このあたりの意匠も忘れないでいただけると嬉しいです。
また、実際に議論するときには、しばしば「事実」を追加したり、あるいは誤認部分を削除したりとこのテーブルを書き換えていくことになります。そうすると、バージョン管理が大変なので、更新日時をどこかに入れておくと後での検証において楽です。
以上、議論を有意義に行うための提案でした。
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