「アドベンチャーカレンダー」(3847字)
目を開けると、そこはジャングルだった。
思わず振り返ってみたものの、どこをどう見回してみても熱帯ふうの植物が目に入るばかりで、年季の入った俺のワンルームの面影はどこにもない。着ていた寝巻き兼部屋着のスウェットは、ベルト付きの上着と丈夫なハーフパンツに変わり、首からは双眼鏡が下がっている。唯一、見覚えがあったのは、空に浮かぶ、裏返しになった大きな数字の「1」だけだった。
「これって、やっぱり、そういうことか……?」
さきほど自分の手で切り開けた窓に印刷されていたのと同じ、おしゃれな飾り文字を見上げて呟くと、見たこともない怪鳥が、ひしゃげた声を立てながら横切っていった。
それをもらったのは、忘年会のビンゴ大会でのことだった。
家に帰り、一息ついたところでその存在を思い出して、なんの気なしに包みを剥いだ。
50センチ四方くらいだろうか。それほど厚さのない箱の表面には、ミシン目の入った正方形の枠が格子状に並んでいた。その枠のひとつひとつに、1から順番に数字が印刷されている。その形容には見覚えがあった。
「あれだよな、これ。なんとかカレンダー」
たしか、クリスマス用の日めくりカレンダーみたいなものじゃなかっただろうか。1日から24日まで、窓状に作られた日付部分を毎日ひとつずつ開けていき、全部が開けばついにクリスマスがやってくる、とかいう。
キリストの降誕を待ち望む人なんてさほど多くないだろう日本でも、最近は娯楽用によく見かけるようになった。
手元の箱にも、思ったとおり24個の枠が並んでいる。なんて名前だったか……と考えながら箱の上部に印字されたアーチ状の英字をなぞり、ぽんと膝を打った。
「そうそう、アドベントカレンダーだよな、アドベン……」
言いかけて、「ん?」と小さく首を傾げる。もう一度箱を見直して、今度は大きく首をひねった。
「アドベン……チャー?」
箱に書かれていた英字は、待降節を意味する「Advent」ではなく、「Adventure」――冒険、となっていた。
印刷ミスだろうか。それとも、ネタに走った商品とか?
わずかに興味を惹かれ、俺は箱を持ち直した。
アドベントカレンダーなら、たしか、日付の窓の中に、ちょっとしたお菓子やおもちゃが入っているはずだ。シンプルな箱の装飾からは読みとれないけれど、中を見ればわかるかもしれない。
酔いも手伝い、普段ならどうでもいいようなことが妙に気になった俺は、箱についた窓へと爪を引っかけ、華奢な飾り文字の「1」がついた枠をミシン目に沿って切り開けた。のだが。
ギェーッ。ギェーッ。
怪鳥の声と太陽の光が降り注ぐジャングルに立ち、俺はぼんやりと空を見上げた。抜けるように青い空には、相変わらずひっくり返った「1」がぽかんと浮かんでいる。
白い雲が、真っ青な空をゆっくりと流れる。
こんなことになっているのに、こうしていると、だんだんと眠くなってくる。我ながらのんきなものだが、夢なら寝てしまうのも手だろう。そう思って腰を下ろしかけたとき、不意に横から腕を引っぱられた。
「なにしてる。やつの鳴き声が聞こえないのか!」
早く追うぞ! と声を張られ、反射的に謝りそうになったけれど、すんでのところでなんとかこらえた。
――なんだこいつ、誰だよ!?
全然、まったく知らない男だ。俺と同じ、ベージュっぽい上下セットの妙な格好をしている。男はさっきの怪鳥を追っているようで、俺を引きずるようにしながらジャングルを軽やかに駆けていく。森を抜け、川を越え、崖を登る。俺はわけもわからないまま男に従い西へ東へと走り回らされ、やっと立ち止まったときには、すっかり日が傾きだしていた。
「そら、あそこだ」
怪鳥が羽を下ろす木のすぐ近く、男に促され、茂みから双眼鏡を突き出す。奇っ怪な声とその影しか見ていなかった怪鳥へ、胸を高鳴らせながらレンズを合わせた瞬間、視界がぱっと白く光った。
目を開けると、そこは見慣れたワンルームだった。
慌てて辺りを見回すも、熱帯ふうのジャングルはもうどこにもなく、見知らぬ男の姿もない。世界中のふしぎを見つけていそうなあの服装も、すっかり元どおりのスウェット上下だ。なにもかもが嘘みたいになくなっているのに、胸だけは変わらずドクドクと高鳴っている。
俺はすぐそばに転がっていたアドベンチャーカレンダーの箱を拾い上げ、開いた「1」の窓を覗き込んだ。中にはなにもない。けれど、その全体はあの密林を思わせるイラストで彩られ、さらには、最後に一瞬だけ見ることのできた怪鳥の姿が、しっかりと描かれていた。
まさしく、さきほどまで冒険していたあのジャングルだ。印刷ミスでも、ましてやネタ商品でもない。
箱にはアドベントカレンダーと同じく24個の窓がついている。今日の分を抜いて、あと23の冒険がまだ、この中には詰まっているのだ。そう思うと、いつも凪いでばかりの胸が、わくわくとせわしなく踊った。
それからというもの、間違い探しほどの変化しかなかった俺の退屈な毎日に、冒険の二字が加わった。
起床し、出勤し、一日中働いて帰宅し――冒険に出てから、ぐっすりと眠りにつく。
どうやら、向こうで日が暮れるか朝日が昇るとこちらへ戻るらしいが、こちらの時間とは干渉しないようで、冒険に出てもほとんど時間は経過しなかった。同じ要領で、疲労が身体に残ることもなかったけれど、冒険に出た日は、なぜだか不思議とよく眠れた。
アドベントカレンダーに倣い、毎日ひとつ窓を開け、毎日ひとつ、冒険の旅に出た。
1日目のように同行者がいるときもあれば、まったくのソロのことも少なくなかった。
ある日はインディー・ジョーンズさながらに遺跡を探検し、ある日は大海原をまたにかけて伝説の秘宝を探した。別の日には鍾乳洞の神秘を見つめ、また別の日には巨大なアレキサンドライトを発掘したりもした。どれも、現実の生活では到底、経験することのできないことばかりだ。
アドベンチャーカレンダーの冒険で手にしたものが手元に残ることはないけれど、そのときに感じたわくわくや、チャレンジした達成感、美しさや楽しさに踊った心は部屋に戻っても消えることはなく、いつだって持ち帰ることができた。
繰り返されるつまらない毎日の中で、特別な冒険体験だけが、唯一、日常に彩りを与えてくれていた。
1日、1日と冒険に向かううち、俺はアドベンチャーカレンダーのみせるとびきりの冒険に、のめり込んでいった。冒険は日ごとスリルやスケールを増し、残り日数が減るにつれ、比例するように俺の期待値もぐんぐんと上がった。
そうしてついに、アドベンチャーカレンダーの冒険は、最後のひとつになった。
ラストはいったい、どんな冒険が用意されているんだろう。
前日までの大冒険を順繰り思い出しながら、俺は厳かな気持ちで、「24」の枠のミシン目を、ち、ち、ち、と丁寧に切った。
目を開けるとそこは――原っぱだった。
広大で美しい場所とか、なにかの遺跡だとかでもなんでもない。
本当になんの変哲もない、寂れたふつうの原っぱだ。膝より少し下くらいの雑草が生い茂り、風にざざざと揺れている。
昨日までとはまったくといっていいほど違うその風景に戸惑いながらも、一歩、二歩と足を進め、三歩目を踏む前に、はたと気がついた。
――原っぱヶ原だ。
実家の近くにあった、広い空き地。
勝手に自分のものと決めて、そう俺が名付けた。
高校に入ったあたりでスーパーが建って駐車場になってしまったけれど、たしか、関ヶ原だったか戦場ヶ原だったか、ゲームに出てきた地名に憧れて、そうつけたのだ。
ひとつ思い出せば、紐を引くように、記憶は一気に蘇った。
逸る心のまま一目散に駆け出すと同時、足を取られて頭から草むらに突っ込んだ。足元を見れば、背の高い草の先が結ばれ、輪のようになっている。
トラップだ。侵入者用の。
あの頃、原っぱヶ原のあちこちにこれを作っていて、そのたび、危ないだろうと近所のじいちゃんにカミナリをくらったのを思い出す。
もう少し奥には俺の特別秘密基地があった。納屋から持ち出した茣蓙の周りを段ボールで囲っただけのスペースだけど、俺の一番のお気に入りで、日がな一日そこに籠もっていたものだ。子どもの頃は充分な広さに思えたのに、今見ると、びっくりするほど狭い。腰を下ろしてみれば、あの日と同じ、お日さまと草いきれの青いにおいが、風に乗って吹き抜ける。
うちの周りには遊具のある公園がひとつもなくて、みんなは少し離れた公園に集まっていた。
けれど俺はいつだって原っぱヶ原に夢中で、俺にとっては原っぱヶ原が一番楽しくて、一番わくわくする場所だった。
草つゆと土で服を汚しながら、なにもないこの原っぱを、毎日飽きもせずに走り回っていた。なにもなくても、いつだって毎日が冒険そのものだった。
子どもの頃は、あたりまえのことだったのに。いつからだろう。特別なものだけが冒険だなんて、そう思うようになったのは。
太陽が傾き始めたのに気がついて、物見やぐらに見立てた栗の木へと登った。ほんの数メートルなのに、空に浮かぶ裏返しの「24」が少し近く見える。
アドベンチャーカレンダーに、残りの枠はもうない。
けれど、それももう必要はないと、そう思った。
ゆっくりと桃色に染められていく空へ、太陽が沈んでいく。それを眺めながら、俺は原っぱヶ原のにおいを肺いっぱいに吸い込んだ。
(了)
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