東京の銭湯経営者は北陸三県出身の人が多い、という話を皆さんはご存知でしょうか。
神田稲荷湯三代目(仮)まもるの祖父母も、御多分に洩れず新潟の出身です。では、その新潟出身者たちはどのような人生を歩んできたのでしょうか。
今回はまもるが、1930年に新潟の燕市・長所(ちょうしょ)で生まれたまもるの祖母と、祖母の娘であるまもるの叔母に、話を聴いてみました。
*本文は3人の会話を書き起こしたものです。
*文中に出てくる「〜たった」「〜したった」は「〜した」という意味です。
*本文に挿入されている図はイメージ図です。
私は、生まれた時から当たり前のように銭湯に関わり、季節ごとに新潟から旬の食材を送ってもらう生活を送ってきました。祖母の話を聞いて、それらは今まで生きてきた人たちが積み上げてきたものの上に成り立っているのだと感じました。
2022年の11月に92歳の誕生日を迎えた祖母は、現在店番をしておりませんが、営業時間中にお店に顔を出した時には、お店の掃除やお客さんへの声かけを怠りません。また、何かがあった際には一目散に駆けつけるなど、衰え知らずです。さらに、私が店番をしているとき、昔から稲荷湯を利用しているお客さんや、久しぶりに来店されたお客さんからは、祖母のことについてよく尋ねられ、また祖母とのエピソードも教えてもらいます。その度に祖母の存在無くして今の稲荷湯はないのだと感じます。
銭湯に限らず、先人たちから学ぶことは多いです。私たち湯の輪らぼも、人を知り、店を知り、まちを知り、湯の輪を少しずつ広げながら今後も活動をしていきます。