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「銭湯でコンサート」という夢のイベントに参加したら、子供は笑い、メロスは走っていた

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私は、そのイベントの写真を三葉、見たことがある。一葉は、そのイベントの集合写真、とでも言うべきであろうか、子供が大勢のひとに取りかこまれ、(それは、イベントの主催者、関係者、子供の保護者たちかと想像される)銭湯の浴槽の中で、かわいく笑っている写真である。

(『人間失格じゃないもん!』より)


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家のお風呂で歌うと、とっても気持ちいい。

反響と汗のしたたる湿度も相まって、4㎡ほどの小空間が、まるでライブ真っ最中の武道館であるかのような錯覚を引き起こす。

あの快感は、何にもかえがたい。

自宅の小さな浴室であんなに気持ちがいいのなら、もっっと大きなお風呂で歌えば、もっっと気持ちいいのではないか!!!

もっっと楽曲を臨場感のある雰囲気で聴くことができるのではないか!!!

じゃあ、銭湯でコンサートをやっちゃおう!!!(!??!?!?)

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そんなこんなで、子供の夢を叶えたようなイベント「おふろコンサート」が銭湯にて開催されることになった。イベントは、修学準備教室のりりーふさんと会場となった稲荷湯(東京・神田)との共催で行われた。

2022年6月12日に開かれたそのイベントで歌われたのは、アカペラグループの「あそーと」さんとオペラグループの「かんだ歌宴」さん。イベントに参加したのは、未就学児とその保護者たちである。

ポップスからクラシックまでを銭湯で聴く。子供たちにとって、これほど文化濃度の高いイベントは初めてだろう。

私も、実際に「おふろコンサート」へと足を運び、文化のシャワーを浴びてきた。

本日の記事では、そのイベントでの魂の震えを文章で表現することに挑戦したい。 (動画で見たい!という方はこちらから。)

そして、文化や伝統に触れることの大切さは、まさに「走れメロス」のようである、というやぶから棒な結論をみなさんにぶつけたい。

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「おふろコンサート」の口火を切ったのは、アカペラグループの「あそーと」さんだ。

一曲目は、「紅蓮華」
『鬼滅の刃』のアニメ主題歌にもなった曲である。

まだ子供たちが落ち着かずザワザワしている中、力強い歌声が銭湯に響きわたった。

「強くなれる理由を知った 僕を連れて進め」

あそーとさんが歌いはじめた途端、子供たちは静かに耳を傾け、銭湯はステージになった。

リズムよく展開されるアカペラ版「紅蓮華」。子供たちのペチペチという手拍子も聴こえてくる。

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そして、曲はサビを迎え、最高潮となる。

「どうしたって! 消せない夢も 止まれない今も 誰かのために強くなれるなら ありがとう 悲しみよ」

まさに刀で斬られた鬼の心地であった。

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鋭くも心を掴んで離さない彼らの歌声の力は、銭湯の反響で何十倍にもなっていた。

私は、逆「耳なし芳一」になっていた。
耳だけが残り、それ以外の身体は、歌声に圧倒、粉砕され、宙を舞い、心地よく銭湯空間に溶けていった。

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なんとか身体を繋ぎとめ、二曲目へ臨む。

あそーとさんの二曲目は「Shout Baby」
『僕のヒーローアカデミア』のエンディングにも採用された曲だ。

このイベントに参加していたのは、未就学児が大半だが、彼ら世代は、案外『ヒロアカ』になじみがないらしい。

それでも、いざ「Shout Baby」が始まると、子供たちは一切Shoutせず、しかし耳をShutすることもなく、あそーとさんの歌声のとりこになっていた。

アップテンポながらも、どこか寂しげな強さを感じさせるこの歌は、心からひねり出した声をも響かせる銭湯空間と相性が良いようであった。

そして、あそーとさんは、二曲を歌い上げた。
子供たちは、満面の笑みを浮かべていた。 

『僕のヒーローアカデミア』には、『どんだけ怖くても 「自分は大丈夫だ」っつって笑うんだ   世の中笑ってる奴が1番強いからな』というセリフが登場する。

たしかに、あの瞬間、稲荷湯にいた子供たちの笑顔は間違いなく最強で、その引き金となった曲も、それを歌い上げたあそーとさんも、疑いなく、最強のヒーローだった。

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さて、お次はオペラグループの「かんだ歌宴」さんだ。

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素っ裸にケロリン桶を抱えるのがドレスコードの銭湯にて、タキシードに身を包んだ彼らは、異質に感じられた。

前衛的なファッション誌のようだ。

しかし、その「異質さ」が「不協和音」になることは無かった。

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かんだ歌宴さんは、まず「いい湯だな」から始まる軽やかな楽曲とコントで、子供たちを歌の世界に招き入れた。

軽妙でクスッとさせる彼らの振る舞いに、子供たちもニコニコ。

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やっぱりかんだ歌宴さんも、あそーとさんと同じく、ヒーローだった。

そして、彼らはオーソレミオ、フニクリ・フニクラと、古くからの名曲をさかのぼっていく。

フニクリ・フニクラは「鬼のパンツはいいパンツ〜♪」や「行こう湯こうハワイアンズ〜♪」といった替え歌の原曲である。

そのため、多くの人が耳なじみのある楽曲だ。

...いや、耳なじみのある、という表現は撤回すべきかもしれない。

「赤い火をふくあの山へ 登ろう登ろう」

かんだ歌宴さんが、歌いはじめた。

銭湯が震えた。

聴衆も震えた。

これまで聴いたことのあるフニクリ・フニクラではないと脳と心が叫んだ。耳なじみなど、ない。

彼らが奏でる、しなやかで強いその声は、壁のタイルに響き、天井に響き、浴槽に響き、「銭湯サラウンド音響」が誕生した。

フニクリ・フニクラは、イタリアのベスビオ火山にて運行していた登山電車のCMソングである。

私は、かんだ歌宴さんのフニクリ・フニクラを聴いたときに、まさにその19世紀のイタリアにタイムスリップしていた。

彼らの歌声は、ベスビオ火山の自然の胎動のようでもあり、背中を吹き抜けるナポリの風のようでもあった。

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あそーとさんとかんだ歌宴さんの演目が終わり、子供たちの楽曲リクエストタイムが始まった。

運営の方が子供たちに尋ねる。

「あそーとさんとかんだ歌宴さんと一緒に歌いたいお歌はありますか〜?」

「はい!はい!」
「ハイ!はい」
「は〜い!」

天を突き刺すような勢いで手を上げ、叫ぶ子供たち。

彼らのこの無尽蔵なエネルギーを見ていると、電力問題も解決できそうに思える。元気力発電...といった具合か。

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子供たちのリクエストは、「さんぽ」「チューリップ」「こいのぼり」など多岐にわたった。

太く響くかんだ歌宴さんのオペラ。
なめらかに突き刺すあそーとさんのアカペラ。

このコラボレーションに、子供たちの天真爛漫な歌声が加わる。

このように楽曲と、文化と、伝統に直で触れる経験はYouTubeでは得ることができない。

たんにボタンを押して再生するのではなく、子供たちの願いを歌の名手たちが叶えるという人間の相互行為が、そこには存在する。

そのやりとりは「あたたかい」ものであった。

そう感じてしまうのは、私がおじさんになったのか。
あるいは、ここが風呂屋だからか。

まあ、なんにせよ、子供たちがとびっきりの笑顔で、楽しそうに音楽に触れていること以上に、素晴らしいことはこの世には無い。

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「子供たちが伝統と文化に触れ合っていて良いイベントでした」...と

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当たり障りのない結論で記事を締めくくろうとした時、脳内の子供たちが問いかけてきた。

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...
...

なんとも難しい問い。
これといって明解な答えもない。

ただ、逃げるわけにもいかないので、伝統や文化に触れることの大切さは、まさに「走れメロス」なのである!という私なりの解答をぶつけてみたい。

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「走れメロス」は、たんにメロスが往復マラソンをして、友人を助ける話ではない。

「友人セリヌンティウス」「妹」「信実」といったメロス自身が大切に思っていることを守りぬく話なのである。

伝統や文化は、先人たちが作り出し、愛し、守ってきたものだ。

だからといって、現代の子供たちがそれを守らねばならないという道理はない。

しかし、現代の子供たち自身が、何か守りたいものを見つけたとき、それの「守り方」を教えてくれるのは、これまで触れてきた伝統や文化なのだ。

とすると、学校教育で伝統歌謡をお行儀よく歌わせる、というのは、健全な文化の継承ではないケースもあるだろう。

私は、おっきなお風呂でうたを歌い、駆け馬のような勢いで「チューリップ」をリクエストし、文化の溶け合った湯水に顔をつっこむことの方がよっぽど、継承らしいと思う。

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この「おふろコンサート」で、子供たちは楽しみながら、アカペラに触れ、オペラに触れ、銭湯に触れた。そして、それらを愛し、広め、守ろうとする人たちに出会った。

この経験は、子供たちに大事なものの守り方を教えてくれる。

「守り抜きたい」という意思がメロスを走らせつづけたのだから、文化に触れることの重要性は「走れメロス」だし、このおふろコンサートも「走れメロス」なのである(???) 。

そして、「正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。」とメロスが投げやりになったとき、「岩の裂目から滾々(こんこん)と...湧き出ている」水を飲むことで彼は正気を取り戻した。

体を清めることは、どうやら人に愛を取り戻させるらしい。
(この説教臭い結論も、洗い流せるだろうか......)

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みなさんも、世の中を走ることに疲れたならば、銭湯で体を清めてはいかがだろう。

そして、気が向いたら、また走り出してみればいいし、別に友人の命をすりつぶす直前までは、いつまでも休んでいればいいのである。

ぜひ、稲荷湯においでくだざい。あたたかいお風呂が待っています。

それではみなさん。
次回の記事で、あるいは稲荷湯にて、お会いしましょう。
しゃようなら。

(深夜テンションで書き上げた結論を見て、筆者はひどく赤面した。)

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文=ユウト・ザ ・フロント
写真=たなかい

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