#7
我が家の1月7日の夕飯は決まって七草粥。これは私が物心つく前からの決まり事で、祖母の頃から毎年そうらしい。
年末年始で弱った胃を休めるためとか、無病息災を願ってとか諸説あるらしいが、私は単純に味が好きなので、実は毎年密かに楽しみにしていたりもするのである。
我が家がこういった年間の行事をかなりまめに行う方だということを知ったのはここ数年の話である。
小さい頃から当たり前に節分に豆を撒き、端午の節句に菖蒲湯に浸かり、盆に精霊馬を作ってきた私にとって、友人の家では冬至でもカレーを食べると聞いた時にはそんなバカなと言いかけた。
もちろん好きな時に好きなものを食べることになんの問題もないし、なにも不思議な事ではないのだが、自分の当たり前からあまりにかけ離れたワードが出てきて、かなりの衝撃を受けたのだ。
自分が心がけている事だったり、自分で設定した事は周囲と違っていても受け入れられるが、無意識に行っている事、当たり前だと思っている事が周囲とずれていた時、人はどちらかが間違っていると感じてしまうのではないだろうかとこの時感じてハッとしたのを覚えている。
この頃から、当たり前という言葉を無闇に使わないように心がけている。みんなそれぞれの当たり前があって、それは他人にとっては当たり前ではないのである。これを他人に押し付けると必ずどこかで軋轢が生まれる。
この問題の怖いところは、お互いが間違っていると思っていない事である。自分も怪我をするかもと思っていないから、思い切り剣を振るってしまう。正義の剣というのは握った人が正しいと思い込んでしまう恐ろしい呪いの剣なのだ。
そうならない為にも、私は今年もありがたく感動を持って七草粥を食べるのである。
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