戸籍に隠された秘密 その3
家系図を代々持ち続けている家も日本にはたくさん存在する。日本は昔から「家」とか「一族」を大切にしてきた民族であるから、子孫末裔まで「家」の歴史を伝えることのできる家系図が、多く残っているのであろう。
今回は、先祖が作った家系図を解説した時のお話。本人は、まったく家系図に興味なかったが、父と祖母の仲がものすごく悪いことが家系のせいなのでは?という理由で申し込んできたのだ。
彼はこんなことを聞いてきた。
「自分が20代の頃、母から父の先祖は新潟の佐渡から流れてきたらしい。だからあなたにもその血が流れてるから、そんなことをしでかすのかもしれない!と言われたことがある。確かに自分はヤンチャしていた時期があったけど、母親の言っていた先祖が佐渡だから!の意味がわからない。どういうことかわかりますか?」
彼の先祖が該当するかどうか?はわからないが、江戸時代新潟の佐渡島には、金鉱脈があり徳川幕府にとって大事財政源の場所だった。ただ、金鉱山の発掘作業は、命と引き換えになるほど過酷な労働だった。
以下ウイキペディアからの引用文
江戸時代後期の1770年頃からは江戸や大阪などの無宿人(浮浪者)が強制連行されてきて過酷な労働を強いられたが、これは見せしめの意味合いが強かったと言われる。無宿人は主に水替人足の補充に充てられたが、これは海抜下に坑道を伸ばしたため、大量の湧き水で開発がままならなくなっていたためである。
水替人足の労働は極めて過酷で、「佐渡の金山この世の地獄、登る梯子はみな剣」と謳われた。江戸の無宿者はこの佐渡御用を何より恐れたといわれる。水替人足の収容する小屋は銀山間の山奥の谷間にあり、外界との交通は遮断され、逃走を防いでいた。小屋場では差配人や小屋頭などが監督を行い、その残忍さは牢獄以上で、期限はなく死ぬまで重労働が課せられた。
以上
もしかしたら、過酷の労働に耐えきれず、逃亡してきたかもしれない!という話をしたら、彼は沈黙してしまった。
例え、そんな過酷な人生を歩んだご先祖がいたとしても、彼の人生は別物だと思う。そのご先祖からしてみれば、子孫は過酷な人生ではなく、幸せな人生を歩んで欲しいと願うものだ。
若い時には、ヤンチャをしてても、今それを反省して一生懸命生きている彼は素晴らしいと思う。これからもぜひ応援していきたいと思っている・・