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「その種族の名は」 梶原一郎

 これでもう150冊目か。日記もこれだけ書くと中々に立派な気がする。と言っても大したものじゃない。本当に趣味の範疇で、些細な日常の変化をアナログな方法で、確実に後世に残せる方法として書き綴っている。

 趣味、と言ったのは本来の僕の仕事はこのドーム内に広がる、地球から採集した草や木や花……それらの植物をしっかりと枯らさない様に繁殖、培養し経過を記録する事だ。丁寧に育てて、愛で、どんな変化があるのかを「上」へと逐一報告する。それが大まかな仕事の内容なんだけど、事務的な研究だけを強いられていると頭がどうにかなってしまいそうだからこうしてわざわざ手書きでどうでもいいあれこれを書いている。ここに記載しているのは報告書に書いても排除される事。つまり、「上」からはどうでもいいと削除される事を秘かに記録している。

 地中にいる蟻が巣穴を形成していて複数のコミュニティが作られているとか、地球では見向きもされていなかった名もなき雑草が元気に茂っているとか、ドーム外から入り込んだのだろう、地球じゃまず見ない蜘蛛と蝶が合体した様な生物が巣を作ってるとか、そんな事を書いている。変な話、自分でペンを奮って思った事、気づいた事を取り留めもなく書いているだけでも気が晴れるものだ。

 その時、ドームの強化ガラスをドン、ドンと叩く音がする。叩く、というよりも揺さぶる勢いのせいでプラントが横揺れしている。何か用事がある時には通信機があるってのにまたあいつは……と、僕はハンガーに掛けられている宇宙服へといそいそと着替えて、若干怒りを抱えつつシェルターを開いて外に出る。仮にガラスが勢い余って破られでもしたら植物が全滅するってのに分かってんのかあいつはと何度も注意しているはずなんだが。ドームを出るとすぐそこに、バカデカい図体をしゃがませて、人差し指でちょっかいを出していたボビーがいた。見上げてヘルメット内の通信機、もとい翻訳機越しに怒声を浴びせる。

「ボビー! だからドームのガラスをつっつくのはやめろっていつも言ってるだろ! 割れたら全滅だぞ! 全滅!」

 僕の声に、まるで巨木の様な人差し指をゆっくりと離しながらのっそりと目前でボビーが立ち上がる。ただ膝立ちから立ち上がるだけでも湧き上がる風圧で吹き飛びそうになる、し最初は吹っ飛ばされて気絶してたんだが、体を鍛えている甲斐もありどうにか踏ん張って堪える。目視して大体10m超のその図体は、かつての人類が見たらきっと神の化身か神話の化け物としてさぞ畏怖するだろうけど僕は見慣れているから相変わらずのんびりした奴だと思う。ボビーが頭を掻くと雨のような巨大なフケが降り注いできて汚い。

「悪い悪い、お前がまた研究に没頭しているのなら、これが一番すぐに気づく方法かなと思って」

 そう返答するボビーの口調には反省している様子が無い。全く困った奴だ。いや、喋るというより彼らの種族はテレパシーで話しかけてくるのだが。悪戯っぽくニタリと笑うボビーの口からは、岩石の様な不揃いの異様に尖った歯が覗く。それを見るたび僕はつくづくボビーの種族が人間が主食でなくて良かったと思ってしまう。それより早くドームの中の植物が気がかりだからボビーに単刀直入に尋ねる。

「それよりどうしたんだ、もう外宇宙での任務は終わったんだろ?」

 僕がそう聞くと、ボビーは先ほどまでの朗らかな様子から、一転物悲しげな表情、いや、表情の変化とかは分かりづらいんだが多分そんな表情を浮かべて、沈痛な口調でその事情を話し始めた。

「それが聞いてくれよダニー。俺ぁまた隊長の命令で部隊に加えられちまった。折角アンナとこの前式上げたばっかりだぜ。やっとこれでのんびりと研究に戻れるって揃って喜んだのに」
「あれ、もう他の惑星からの脅威は大体排除したんじゃなかったか」
「俺もそう思ってたんだ、だけどブラックホールから新種の危険分子が現れたらしくて、戦える奴はすぐにでも搔き集められてるらしい。俺も含めてな……」

 そうして、軽く青雲程度吹き飛ばせそうな溜息を吐きながらボビーがその場に腰掛けようとしたから、おいおい待て! ゆっくりと腰掛けろと注意する。こいつにポイポイ座られてまた地表が削られたら堪らん。それにしても巨人がこじんまりと体育座りしているのはシュールだ。これこそ昔の人間が見たら仏像か何かと勘違いしそうだ。
 ボビーはまだ話を続ける。やはりめでたい事――――思い人と結婚という目出度い事があった矢先の出陣命令は堪えるらしい。

「師団長が言ってたんだが、外宇宙の哨戒もまだまだ継続しないといけないんだとさ。他の生命体が見つかった時、そいつが善性か悪性かも未知数だからなぁ」
「昔みたいに惑星調査員には戻れなさそうなのか?」
「しばらくは無理かもな。少なくとも、師団長が停戦協定出さない限りは」

 一見すると獰猛さが具現化した様な外見のボビーだが、こう見えても徴兵されるまでは僕と同じ職業に就いていた。要は草や花などを、異星に存在するそれらを調査したり、採集して育てたりする研究者だったのだ。それが戦闘が激化するうちに、こうして研究者ではなく兵士の一員として駆り出されている。なまじ、そういう戦うセンスがあるのも彼にとっては不幸であった。人種どころか種としても違う個体ながら、僕とボビーが友人関係を保てるのはこの共通項があったからだ。

 初めて彼らが地球に降り立ってきた時、今でも彼がその大きすぎる手の指先、ファーストコンタクト時の緊張していてガチガチしていた僕の目先に、その指先に似つかわない小さい小さい生き物――――てんとう虫を見せながら僕にこう聞いてきたのをまだ鮮烈に覚えている。

「この奇妙な甲羅を持つ生き物は何だ? 強いのか?」と。

 そんな昔を思い出していると、特徴的なボビーの一角ツノ、猛々しくそり経っているそのツノの先端が赤くピカピカと発光している。ボビーはバツの悪そうな顔をして、至極残念そうな口調で僕に言う。

「悪いな、ダニー。早速お呼びが掛かっちまった。もう少しお前と話したかったのにな」

 そうしてボビーは今度は僕に配慮してのっそりとゆっくり立ち上がる途中で、腰元の鞄から何かを取り出した。そうしておずおずとそれが入った両手を僕の前へと突き出す。突き出して。

「そうだったそうだった、お前の元に来たのはこの植物を調べてほしいからだった。忘れてたよ」

 ボビーがそう言いゆっくりと開いた両手の真ん中、こんもりとした砂山の様な土積の中にその植物があるようだ。ちょっと待て……と採取キットを取り出して、丁寧にその土積の中を搔きわける。やがてその中に……何だろう、地球にはない……類の植物がピンと背筋を立てている。

「これ、どこから持ってきたんだ」
「確か土星辺りの惑星だったかな……。ガルタ族との交戦中に偶然見つけたんだ。奇麗な花だったからどうにか持って帰りたくてな」

 ボビーのツノが先ほど以上に紅く、かつ激しく点滅している。師団長からの催促だ。

「あぁ悪い、師団長にぶっ飛ばれちまう。じゃ、報告楽しみにしてるぜ」

 僕が急いで掌から降りると、ボビーは力強く頷いて両手を握り拳にする。そして上を見上げると屈んでいる膝を伸ばして、一気に飛び立っていった。あっという間に豆粒みたいな小ささとなって見えなくなると、銀河へと去っていった。

 ……人間が外宇宙へと進出してからもう幾分の時が立った。だけどその間に人間という生物そのものが、まさか全滅危惧種指定になるだなんて、昔の人は想像もしなかっただろうな。

 あの巨人……ボビー、と呼んでいるけど実の所僕は彼の正式な名前など知らない。人間の認識出来ない言語であるから勝手に僕がボビーというあだ名で呼んでいるだけで。巨人、というかボビーが属しているバルゴ族は、他の異星人が人間を捕食対象か危険な種族として全滅させるか、の二択にしかなかった所唯一、人間を保護対象として認識してこうして僕含め生き残っている希少な人間を頑丈なスフィアドームで保護してくれている。ただ。

 ただ、この状態だっていつまで続くかは分からない。バルゴ族自身も生き残るために常日頃戦闘を繰り広げていて、いつも情勢が不安定だから。それにしても皮肉だ。僕のお爺さんのお爺さんのお爺さん……回りくどい言い方をしてしまったけど、何世代も昔の祖先の頃は地球を支配していたのは人類で、色々な生物を全滅危惧種として扱ってきたらしい。

 本って凄い。どれだけ月日が経っても、200年以上経ってもその言語さえ習得していれば内容を理解できるのだから。その中に描かれていた動物達……イリオモテヤマネコ、コウノトリ、トキ……どれも僕自身は見た事もないけど、地球に確かにいたんだ。今は地球は別の生物の住処になってしまったけど、確かに存在した、その事実だけで胸が躍る。

 同時に。仮にではなく近い将来にここに人間も載ってしまうのだろう。その時に、どんな存在がこれを読むのかは分からないけれどその時は僕の書いている日記も出来たら目を通してほしい。それが一応、僕自身が生きてきた証となるのだから。

 ふと、ボビーから預かった新種の花が入った採取カプセルから妙な音がして耳を傾けてみる。……赤ん坊、らしき鳴き声が聞こえてくる。本当にあいつ、どこから持ってきたんだ、この花。

<了>



『その種族の名は』梶原一郎 植物のある風景(3798字)
〈梶原一郎さんの他の作品を読みたいかたはこちら〉梶原一郎の小説 - pixiv


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