「ユズル」 スナメリ
その暗い太陽、『プロキシマ』については、地球の近くにあって古くから知られているという以上に特に取り立てて言うべきことはなかった。僕が辺境惑星の文化を集めて回る研究者じゃなかったら、そこへ行こうとは思わなかったろう。
だからその小さく地味な恒星の惑星、『プロキシマb』について興味を持っている人間なんか、いまや誰もいなかった。僕はその星について資料をひっかきまわして調べたが、最新の記述ですら千年前のものだった。
そこに立ち寄る人間もいなければ、忘れられた存在だったわけだ。『b』については不思議なほど情報がなかった。古い惑星にしては珍しかったが、人間は近くて古いものほど慣れてしまって関心をもたなくなるものである。
それでも僕は強く『プロキシマ』に興味を持った。それはその星域が数千年ものあいだ、戦争を起こさずに自給自足の生活を送っているように見えたからというのもある。
そういう意味で『プロキシマ』星域は謎に満ちていた。僕も含めた人間は、相も変わらずこの冷酷な宇宙空間に対してあまりにも弱い肉体を持て余していて、死への恐怖から短命がちな辺境の文化に興味を持っていた。
「ここはきわめて平和なものですよ」
そう言って私を出迎えたのは『プロキシマ』の星域代表、ムジャリアだった。僕の宇宙船が入ったドックには大きな円の中に紅白の二つ巴が描かれていた。
「この宇宙にありふれたどこにでもある元素、どこにでもある物質。プロキシマ星域には人がうらやむようなものは何一つありません。そのことはあなたたちが一番ご存知でしょう。だからこそあなたたちに千年もの間、忘れられた地域です」
ムジャリアは少し目立ってきている顔のしわを際立たせて笑った。彼女は神経質そうだがどきっとするほど美しい顔立ちで、赤銅色の涼しい目元をしていた。そしてどこか陰のある女で、その表情は明るくなかった。けれど、それはプロキシマの弱い光がそう見せているのかもしれなかった。
僕は彼女に年齢を聞いたが、彼女は525歳だと答えた。これは驚くべき長寿だった。僕の倍もの年齢の人間が、こんな容姿を保っているのは聞いたことがなかった。辺境の人間は短命であるという僕の今までの知見はみごとに覆された。
「あなたは『プロキシマb』について調査をしに来たのですよね」
「ええ、そうです、この星域に残っているであろう文化を……つまり、人間が古くから持つ死生観やそう言ったものが残っているのではないかと……」
ムジャリアはそれを聞いて、薄く笑いを浮かべた。
「死生観……そうですね、我々はいうなれば死と生を区別しません。ちょうど、我々の星に三百年ぶりの子供がうまれたところです。そういう意味では我々の文化の伝承を知っていただくいい機会でしょう」
ムジャリアは僕を居住棟に案内しながらそう言った。居住棟の窓からは暗い宇宙空間が見えた。この惑星の昼はいわば長い夕暮れといった感じで暗く、むしろ地平線の向こうにずっと居残っているαケンタウリの方が『プロキシマ』より存在感があるぐらいだった。
「区別をしないというのはどういう事でしょうか、宗教的な意味合いで?」
僕がそう聞くと、ムジャリアは居住棟の入り口でふと立ち止まって右側の通路をじっと見つめた。
「その疑問に答えるには、彼女を紹介しなければなりません」
ムジャリアはそう言うと、暗闇からふっと現れた“彼女”を僕の前に立たせた。
「彼女が私の半身栄養体(ジェミニ)、キリアです」
キリアは気配も感じさせず、そこに立っていた。僕は彼女の美しさ……それはまるで人間的ではない美しさ……に打たれた。
彼女の瞳は藤紫で、顔は銀竜草のように抜けるように白く、体躯は桜色で腕は若葉のように明るく輝き、外からも骨の影がうっすらと見えた。僕が初めて会ったとき、彼女の右足は露草のように青く、左足は何か半透明の膜のようなものに覆われていた。
キリアは藤紫の瞳で僕をじっと瞬きもせず見つめていた。彼女が人間でないことは一目でわかった。なぜなら彼女の体はなかば透けており、骨格は人間のものとは全く違っていたからだ。
キリアがあまりにも僕を凝視しているので、僕は気まずくなってキリアから目をそらすとこう聞いた。
「ジェミニ?」
ムジャリアはキリアの緑色の手を取ると、僕に見えやすいようにキリアの掌を差し出した。
「彼女は複合オルガノイドです。プロキシマの弱い光でもエネルギーが合成できるように色素が全身に分布しています。光合成及び、『食餌』によってこの形を保っていますが、もともとは細胞の塊の寄せ集めです。プロキシマではあまりにも人間が少ないので……一人一人がジェミニをパートナーとしています。キリア、ご挨拶を」
差し出されたキリアの手は独特の触り心地で、冷たかった。例えるなら何か植物質の、少し固さを感じさせる感触だった。
「彼女は言葉が話せますか?」
僕がそうムジャリアに聞くと、キリアが口を開いた。
「我々はパートナーとして作られた半身ですから、人間同様の神経組織も持っています」
ムジャリアもこう付け加えた。
「プロキシマ星人とジェミニは一心同体です。我々が離れることはない。私は彼女がいなければ瞬く間に死んでしまうでしょう、身も心も」
「それは私もですよ。キリアはあなたが与えたもの、そしてムジャリアはわたしそのものですから」
僕はその不思議な言葉をもういちど考え直そうとしたが、キリアの言葉に遮られた。
「プロキシマとはそういう運命なのです」
キリアは僕をもういちど見つめると、こう言った。
「ムジャリア、今日はこの方のお食事はどうしますか……?」
これを聞いて、ムジャリアは満足そうな笑顔をキリアに向け、そして機嫌よく僕にこう言った。
「私たちの星域に来てくれる客人は少ない。我々のささやかなもてなしを受けてください……」
僕は喜んでこの申し出を受けた。異星の文化を知るためには食事をともにするのが一番だということはいつも変わりがないからだ。
僕が食卓に着いたとき、ムジャリアは白いドレスを着て僕の向かいに座り、キリアが僕の食事を運んできた。そこにはスープのようなものが少し、そしてゼリー状の固形物がいくつか別の皿に添えられていた。それは地球で言うなら流動食のようなものに似ていた。
僕は恐る恐るそれを口に運んだが、それは強い旨味の利いたコンソメのような味で、それと共に痺れるような果実の香りがした。
「いかがですか」
キリアは紫色の瞳で僕を見つめながらそう言った。
「おいしいです、これはなんだろう」
僕は藍色のゼリー状の固形物を口に入れた。少し硬かったが、噛むと少しの爽やかな渋みとともに甘さが口の中に広がった。あまりに美味しかったので、僕はさらにほおばった。それを見て、キリアは少しほほ笑んだ様に見えた。
「お口にあって何よりです」
それは辺境の惑星でありつくものとは思えないほど、満足の行く食事だった。ムジャリアとキリアは僕がせっせと食べ物を口に運ぶあいだ、この惑星についてたくさんのことを教えてくれた。
プロキシマはその光量も含め、資源に乏しかったせいで長いあいだ他の星域から狙われることはなかった。だが一方で植民直後から病原性の原生藻に悩まされ、それで地球からも調査隊が来ることがなかったようだった。
しかしその風土病の克服がまさにこの星の文化を生み出したともいえる、とムジャリアは言った。
「我々はしかし、その病いとの戦いでたくさんのものを失いました。子供が生まれても運よく儀式ができなければ生き延びることができません。子供が生まれてから三年のあいだにチャンスが無ければ」
そして、明日は三百年ぶりに生まれた子供のための儀式に招いてくれるということだった。
その夜は、ムジャリアとキリアと沢山話したせいで、興奮で少し酔っぱらったようにくらくらして、少し胃がむかついた。キリアとムジャリアは常に近くに寄り添って、双子のように分かちがたかった。地球のようにパートナーを選ぶのだとしたらそれは僕にとって文化的にとても興味深いことだった……。
翌日、目が覚めたとき、部屋にはキリアがいた。僕は驚いて飛び起きた。
「気分はいかがですか?」
「ええ、大丈夫です、昨日、あなた方の話が興味深くて目がさえてしまって。ちょっと頭痛がしていますが、いつものことです」
キリアはその紫色の瞳で瞬きもせず僕を見た。そして昨日、ムジャリアが着ていたような白い服を僕に差し出した。
「ムジャリアから今日の儀式にあなたを連れて行くように言われています。儀式には他の惑星からの客人が必要なのです。彼女は先に向こうについているでしょう。どうかこれをお召しになって私についてきてください」
僕は頭痛で緩慢になる思考を手放しながら、言われるままにキリアについて行った。そこは暗いホールのような場所で、ホールの中心には台のようなものが置かれていた。人々が十人ほど集まり、その外側にはそれぞれのジェミニたちがいた。僕がホールに入ると、全員が僕の方を見つめて、そして何かを囁き合いながら道を開けた。
台の上の子供は一昨年生まれたということだったが、二歳には見えず、やせ細った赤ん坊に見えた。
ムジャリアは僕を赤子の前まで連れて行くと、
「わがプロキシマ三百年ぶりの子供に、名前をお与えください、客人よ」
とつぜんのことで僕は面食らって、言葉を失った。名前なんて考えていなかったし、当然のようにそんな重要な役を任されるとは思っていなかったのだ。キリアが僕にこう促した。
「プロキシマでは、儀式に参加した客人の名前をもらいます」
「我々がプロキシマ星人となったときからのしきたりなのです」
そう言われては、この星の文化を研究に来たものとしてはそのしきたりに従うしかなかった。
「新しき命の名はユズル!」
ムジャリアがそう言うと、キリアが赤子を掲げてみなに見せた。それが終わるとムジャリアはキリアに抱かれた子供の額に小さなナイフを押し当て、一滴の血を出した。そしてそれを親指に押し当てると、僕に口を開けるように言った。
僕にそれを拒否する余裕はなかった。ムジャリアは素早く僕の舌に子供の血を塗り付けた。鉄の味が広がり、僕は急に恐怖にかられた。吐き出したかったが、その量は吐き出すほどもなかった。そして赤子は急に目を見開いて僕を見ていた。
僕は自分の目の前にいる、もう一人のユズルを見た。けれど儀式は終わり、すぐに赤子は連れ去られた。そして僕はなんとなく気分が悪いまま自分の部屋に返された。
部屋に帰った僕は、少し心を落ち着けようと、地球から持ってきたお茶を淹れた。けれど、一口飲んだだけで吐き気がして、結局大半を捨てることになった。
その日の食事は全くと言っていいほど受け付けなかった。翌日、キリアがそんな僕をみかねて、フォトン・プールへと僕をさそってくれた。地球で言うなら日光浴施設だ。
「プロキシマは定期的に大規模フレアを起します。今日は少し強いフレアだから、一緒にいきましょう。きっと暖まりますよ」
プールはジェミニたちであふれていた。言われるままにたくさん並べられた長椅子に寝そべり、背中に光を浴びると、ようやく暖まってきて人心地が付いた。それから僕はどうやらひと眠りしたようだった。
気が付くと僕の隣にはキリアではなくムジャリアが寝ていた。僕は重い眠気を感じながらも目をなんとか開いてムジャリアを見た。ムジャリアの腕から何か管が伸びているのが見えた。その管は赤く、そしてその管を目でたどると、先にはキリアがいた。
キリアの顔は心なしか紅潮していた。オルガノイドに血液などないはずなのに……いや、ムジャリアの血液が彼女の胸元を赤く……。そこまで考えて僕はようやく声にならない叫びをあげた。
キリアが僕の頬に顔を近づけた。その香りはこの星の晩餐で僕が食卓で口に広がったのと同じものだった。
「まだよく休んでください、あなたはまだジェミニに変わる途中だから」
キリアは紫色の瞳で僕に優しく囁いた。
「今は少し気分が悪いでしょうけど、やがて溶けて細胞の塊になってしまえば楽になります。私もそうでした。私の肉の中の藻類が少しあなたを組みかえるだけです。あなたがジェミニとして完成すれば、あなたはユズルと一身です。あなたの肉がユズルを生かし、ユズルの血があなたを生かすでしょう」
そして僕は自分が藻類に侵食されていくのを感じていた。
了
『ユズル』スナメリ 植物のある風景(5043字)
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