「無限距離マイフレンズ」 猫隼
第二次地球暦(コンタクト暦)1774。
アマノガワ銀河系で〈仮想空間基盤〉の標準といえば、というか需要高いものといえば〈TPA(トリニティ・パターンA)〉。つまりは岩石配列(ナチュラル3)、量子配列(クウォンタム)、大気配列(ナチュラル2)の三重式だ。もっとも(例えば地球生物のヒトのような)物質知的生物が利用する場合は、たいてい外側扉の鍵として、電子配列(エレクトリック)のアクセスコントローラーを使うから、実質的には四重式になるのだが。
〈TPA〉という形式を多くの銀河世界に広めた革命的サービスとして、多生命系共有向けSNS〈フラクタル・アイ〉というのがよく知られている。カシオペヤデルタ星をエネルギー拠点として機能する機械生物園、いわゆる〈スフィアステーション〉に本社を置く〈ミラージ社〉が提供するその仮想空間領域は、現在まで、文字通りに系統問わず、多くの知的生物の支持を集めている。
──『多系統生命研究2・機械生物』
(普通、機械生物といえば無機物生物のことです……機械生物に関して最大の謎は、その起源がはなから無機物だったか、あるいは有機生物だったのかという問題でしょう……)──
エミは、学校の長期休暇の自由研究のテーマとして、自身が生きる多生命系社会に組み込まれる以前の地球で一般的であったという『電子コンピューター』を選んだ。粒子物理学やコンピュータ自体は馴染み深いし、前年の『多系統生命』よりは簡単なテーマと思う。そして現代っ子な彼女が調べごとをする際、まず最初に試みることはほとんど決まっているようなもの。つまり、〈フラクタル・アイ〉の〈議論場〉へのアクセス。
感覚としては、真っ暗闇のあちこちにだんだんと色がつき、形が現れてきて、結局それらがバラバラになったかと思うと、次にはまた組み合わさってはっきり世界と言えるようなものを構築し、だがその後はすぐに再び真っ暗になり、次に光に照らされたように露わになるのが、いよいよ、さっき構築されたばかりの世界をさらに鮮明にしたかのような仮想空間(サイバースペース)。
こうした感覚過程は、多層式の仮想空間へのアクセスにはつきもので、実際には状況の変化を処理しきれない脳の混乱が引き起こすものらしい。 物理的過程としては、アクセスコントローラーが走査(スキャン)した神経系クローンを、第二階層の量子系のプログラム乗り物となる自然環境媒介物質(普通、TPAにおいては岩石)の原子構造内領域で再現。後は、より深い階層での適切な起動パターンコントロールにより、共有仮想世界に意識構築情報を移動させる。意識を仮想世界へとスムーズに移すための前段階、認識系をクローンに移す時に体感するのが、つまり二度目の真っ暗闇なのだとエミは理解している。
いつも通り、仮想空間内で所有権を得た様々なインテリアで溢れた部屋。エミは三つあったモニターの一つに触れる。そして、手慣れたタッチ操作により、検索キーワードの入力場面を出すと、「電子コンピューター」と声で言った。 普通、検索は一瞬ですむが、検索演出を設定でオンにしているために、いちいち周囲は、細い渦巻きの連続のような歪みを見せる。
歪みが消えた時にエミがいたのは、真っ白になった部屋。ただし目の前にはモニターがあって、周囲に様々な記号が大量に漂っているかのよう。どの記号にも、少し触れると内容がある程度頭に入る。しっかりチェックしようと思えば、その情報をモニターに映すことができる一方で、いらない情報と思ったらその場から消すこともできる。そして必要なデータ、いらないデータから、サポートの機械知能(メカニカルアイ)は、彼女が求めている情報を次々と適当に用意してくれる。
電子コンピューター。
そのこと自体がなかなか興味深いかもしれないが、この話題はわりと、多くの生物の注目を集めているようだった。
最初に注目したのはある思念生物の意見。
「確か、昔の地球の電子コンピューターて、ひとつの例外もなく、二進数アルゴリズムを利用したスイッチシステムでしたよね。私は、電子物質は知識としてしか知らないですけど、原理と一般定義的に考えると、そもそも地球生物は、部分的に電子コンピューターでないでしょうか。そもそも昔はキーコントロールが基本だったらしいことも合わせて考えたら、少なくとも地球生態園では、認識能力を有する人間は、自然電子コンピューターの外部再現ソフトウェアと考えてもいいのでないですか?」
(いきなり哲学的だなあ) そういう話も求めていなかったわけではないが、しかし、基本的には物質生物ばかりの同級生と先生たちの前で発表するレポートの一番初めにそういう話を持ってくるというのは、エミとしてはちょっと躊躇する。
──『多系統生命研究4・思念生物』
(……思念生物は、その特殊性ゆえにこの宇宙のどこにでもいるらしいですが、その特殊性ゆえに他系統の生命体とのコンタクト方法がかなり限定的であるという制約を抱えています。簡単に言うと、思念生物は通常、複数の他系統生物と同時にコンタクトを取ることができません。例外として、量子系を間に置いた複数階層仮想空間では、思念生物は、多くの他系統生物と情報を共有できます。多くのSNSで、思念生物がそのことについてはとても喜ばしいと……)──
次に拾ったのは量子生物の意見。「君たち物質生物流の表現で、それでもかなり実際的に言うならば、そもそも「電子コンピューター」という区分が、連続的世界の中の要素としてはかなり微妙だ。君らが核粒子系というのは、量子ネットの副作用にすぎないから、基本的にハードウェアを意味するコンピューターという語自体が適切でないのだ」
(あれ、コンピューターって別にソフトウェアの物でもそう言わなかったっけ? この場合なんて調べればいいのかな。物質と量子界の計算機に関する認識?) だがとりあえずは、その件については先送りにした。
──『多系統生命研究3・量子生物』
(量子生物は、生物というよりも、量子系という領域システムを構成する部分的な要素と言った方が適切という説があります……存在性というパラメーターは、あくまでも物質生物が、この領域のいくつかの奇妙な振る舞いを理解するために定義したものであり、本質を捉えられているかも怪しいです。しかしよく知られているように、量子生物の存在を最も謎に感じているのは、直にその「存在性の強弱」という変化を感じる量子生物であり、これは物質生物の脳機能の錯覚や、思念生物の相対的理解のための避けられない誤りとも違うとされています……)──
そして二次元生物のとある質問。
「物質生物の使う電子コンピューターに興味持ってるのですけど、動作をコピーで理解した場合と、メソッドの定義情報で理解した場合の違いがよくわからないです。わかりにくかったらすみません。そもそも質問内容が伝わってくれればいいのですけど」
質問内容だけでなく、その後の流れもなかなか面白いものだった。最終的にベストアンサーに選ばれた答を返したのは、まあ珍しい、なんと零次元生物。
「映像と文字でわかりますか? 物質生物にとってはこれらは別の情報形体なのです。コピーは「映像を見た」に近く、メソッドを定義するは「文を暗記した」に近いのです。理解に違いというより、単純に直接的に記述(追加)できるのは文字の方だけです(つまりこちらは編集がしやすいのです。そのために細かな調整を求める者には特に好まれます)。
おそらく質問者さんは(私自身も経験あるのですが)、電子だけでなく、様々な高次元専用コンピューターというのを、記号群メソッドの様々なパターンごとに割り当てられた小規模仮想空間グループの応用だと勘違いしてしまっています。高次元生物にとっては意味不明な間違いでしょうが、低次元生物にとってはよくあることです。
質問者さんは驚かないで下さい。高次元専用コンピューターの大半は実のところ、原理的制約によりその機能に「高次元物質の動き」を(それもスケール相対的には大規模といえるくらいに)必要としているのです。(※高次元生物の観覧者向けの補足=上記で言う「高次元物質の動き」というのは、いわゆる「状態の変化」も含むと想定してください)」
(低次元生物が理解している世界か。でも逆に低次元専用コンピューターとか、ありえるかな?)
小規模仮想空間グループというのは、情報量ポテンシャルと考えられるだろうか。そして確かに、高次元の現実で、そうした定義された情報群を現実の動作に変換するには、現実の媒介物質を必要とするだろう。仮想空間というのだって(それこそ量子生物が言うように)連続的な世界の中にあるとするなら、やはり現実の物質とは切り離せない。
エミ自身、自分が仮想空間を体験できるのは、脳という物質構造が(だがこれは誰にとってか?)計算通りに機能している必要があることをよく知っている訳だが。
──『多系統生命研究5・低次元生物』
(この分類は多くの分野であまり馴染み深いものとは言えないですが、宇宙の生物五大系統と呼ばれる内の四つ、すなわち有機生物(または自然細胞生物)、無機生物(または機械生物)、量子生物、思念生物をまとめた総称として「高次元生物」というのがあります。これに対して五大系統の五つ目が、いわゆる「低次元生物」です。簡単には三次元以上の空間の中で初めて存在できる生物群が高次元生物。一方で二次元以下の領域でも存在可能な生物が低次元生物とされています……構造として低次元生物が知性を持つことは不可能なはずという明らかな事実は、そのまま超越領域の強い根拠になっています)──
──『多系統生命研究6・超越生物』
(存在が確認されていない生物の系統は、数えればきりがないのですが、しかしその中でも、つまり確認されていないにも関わらず、最も実在可能性が高いと言われているのが「超越生物」です……)──
「一旦休憩する」 そう言った途端に、また大量の渦巻きの後で、最初の部屋。(もう、お母さん、帰ってきてるのかな) 時計を確認すると、ちょうど母がいつも帰ってくるくらいの時間。
(よし)
それならちょうどいいだろう。今の今まで読んでいた色々な系統の生物の意見や、それについて自分なりに考えてみたこと。レポートとしてまとめる前に、(自分の考えを咀嚼するためにも)一度いろいろと話したいことがある。
「リターンモード」
設定している、フラクタル・アイ仮想空間システムの終了スイッチとなるキーワードを口にする。 そうして地球生物のヒトである少女は、思念生物とも量子生物とも低次元生物とも、言葉のコミュニケーションを取ることが決してできない、現実世界へと帰った。
仮想空間が完全に消えた後に、エミがまず視覚的に捉えるのは、当然、現実における自分の部屋。すぐ隣には、またモニターが表示されていたが、そこに表示されていたのは、関心ありそうと判断されたいくつかの最新ニュースリスト。 トップニュースは、そう遠くない星系における、それぞれに利害の一致している思念生物群と手を組んでいる、機械生物の軍と有機生物の軍の戦争が、長期化しているために苦しむ、多くの市民たちの声。
超越生物に関しては、仮想空間にすら現れることがないからわからない。だけど五大系統の生物はみんな全然違う生物。全然違う生き方をして、全然違う世界で機能し、全然違う感覚で、全然違う感情を持って、それぞれの理解の仕方で(もしかしたら別の)宇宙を見ている。
だけど誰でも知っている、当たり前で確かな事実がある。みんな心を持っている。だからこそ仮想空間で出会える。みんな友達になれると信じてる。だからこそ仮想空間で仲良くなろうと、翻訳される言葉で語り合う。
本当のところ、この宇宙の層ってどうなってるんだろうか。どんな仮想空間世界も、ただ争いを止められない愚かな世界の片隅にすぎないのかもしれない。だけど、ああ、ここはなんて平和なんだろう。それだけはきっと、いいことだよね。
〈了〉
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『無限距離マイフレンズ』猫隼 サイバーパンクもの(4920字)
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