サンバイザー
大韓航空傘下のLCCでローマからソウルまで戻ってきた。
翌日のお昼に日本ではもう食べられない生肉のユッケとタコの活き造りを食べる。
日本人女性を連れている軍服の若者を横目で見ながら歴史博物館へ地下鉄で向かう。
「オモニ3人連れが全員パンチなら、必ず一人はサンバイザー」と彼女が言った。数えていたらしい。
「帽子だと、薄くなった毛髪のボリュームを補うパーマがペチャンコになるの」。
また、ブスほど日焼けを嫌うとも言っていた。
この旅の二ヶ月間、ペンギンの生態動画をyoutubeで、よく見ていた。
ペンギンは理性のない人間のようだ。
メスを取り合うオス同士の戦いを終えると、巣作りのための石をせっせと運びはじめる。
いい石は少ないらしく、今度は陣地と石の奪い合いが始まる。
ずる賢く他人の巣から石を盗むもの、それをさらに盗むもの。石のために買春するメス。卵を温める時は何日も断食する。
ヒナが孵ると口移しで餌を与えるのだが、自分の子供以外は、突いてテリトリーから追い出す。
卵や雛が天敵に襲われた時には、真っ先に逃げ出すもの、すぐ諦めるもの、遠くから鳴き叫ぶだけのもの、最後まで闘う者がいる。
日本のTVは、それらを擬人化してナレーションしていた。
ひなが襲われるも、すんでのところで親が助けるシーンを流す。
英国放送は事実を写す。引きの画像で、ひなが襲われ息絶えたとわかるようにする。
韓国のそれは、生きたままケツの穴から食われ、生き絶えるまでの血みどろを克明に映し出していた。
博物館では、日清日露戦争前から日韓併合、そして、二次世界大戦そして終戦。平和が訪れないままの朝鮮戦争から停戦までを詳細に展示していた。
朝鮮戦争には、日本は参加していなかったことになっていた。
齡92歳になる大阪兎我野町のバーテンダーは、その時、米軍に従事したおり、「朝鮮動乱のキャンプに、マリリン・モンローが来た時は、別の部隊で観れなかった。」と残念がっていた。
彼と同世代の僕の母は、過去の栄光と、敗北者の卑下と諦め、過度な勤勉さと、怒りに似たヒステリーを抱えたペンギンのような人だった。
終戦から何十年も経つのに、サイパンへの社員旅行をすごく嫌がっていた。
この国は、終戦を迎えていない。
ソウルの地下鉄の到着音は、進軍ラッパのように、僕には聞こえた。
深夜に、葉巻を吸いにホテルの外に出た。
若い女性の日本語と笑い声が聞こえる。
サンバイザーのオモニ達は、ナイトキャップをかぶり、スヤスヤ眠っているに違いない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?