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鳥取市丸山の旧火葬場にまつわる怪談【山陰中央新報「因伯のむかしばなし」より】

今回鳥取に帰省した際、鳥取の秘められた歴史や火葬場のことを調べようと、鳥取県立図書館で調べ物をしました。
図書館には地元紙や有力紙に載っていた鳥取に関する記事がスクラップしてあります。その中に、鳥取・島根の地方紙「山陰中央新報」が2000年(平成12)頃に連載していた記事「因伯のむかしばなし」に、丸山火葬場にまつわる怪談が掲載されていました。丸山の火葬場の始原にも関係しそうな内容が含まれているので、掲載いたします。
採話者の名前は伏せますが、長年にわたり鳥取大学の教授を務め、鳥取県の歴史や民俗の研究をされていた方です。斎場&火葬場跡のルポではないのですが、こちらもぜひお読みください。

鳥取市の丸山火葬場について

鳥取市の丸山火葬場は昭和34年秋頃から供用されました。1970年代半ばに鳥取市郊外の八坂に因幡霊場が新設されるまで使われていた火葬場です。
開設される直前に発行された「広報鳥取」によると、昔の火葬場のすぐそばに建てられたということでした。
【鳥取県東部(因幡)の火葬場訪問・4】鳥取市の旧丸山火葬場跡|Yuniko note
それでは、さらに昔の丸山火葬場はいつ頃からあったのだろうと考えましたが、それに関する手がかりも次に紹介する怪談に含まれているように思えます。

鳥取市丸山の火葬場にまつわる怪談

むかしむかし、鳥取にお城があった頃の話。
ある夜、一人の若侍が、殿様から用事を仰せつかって、浜坂村まで行くことになった。
浜坂村は鳥取砂丘の西のはずれで、但馬往来を通って丸山の追分を抜けていく。
若侍は山すその暗い但馬往来を心細いのを我慢して歩いていった。
丸山の追分を過ぎてふと振り返ると、丸山の火葬場に火が燃えるのが見え、煙も上がっている。若侍は「なんだぁ気味が悪いなぁ」と思い、歩みを早めた。
すると、後ろから足音が近づいてきて、髪を振り乱した女が「ヒーッヒヒヒヒヒ!」と甲高い笑い声をあげて、若侍に飛びついてきた。
これには若侍も肝をつぶして、大声で叫んで逃げ出した。
走って走って、浜坂のはずれにある家に駆け込むと、出てきた家の主人に今の出来事を震えながら話した。
話を聞いた主人は「ああ、あの女はうちのかみさんだがな。産後の肥立ちが悪くて気がふれちまって、座敷牢に閉じ込めとっただけど、火葬場の火を見て、興奮して飛び出したんだろうで」とこともなげに言ったということだ。

この話は私も知りませんでした。鳥取の昔話集や伝説集などの本にも、私の知る限り載っていません。新聞記事には話を語ってくれた人の名前は載っていませんでしたが、丸山や浜坂の狭い範囲で語り伝えられてきた話のようです。
ただ、同じような内容の昔話は別の場所で語られていたようです(後述)。

丸山の火葬場跡
丸山の追分
浜坂村への入り口 犬橋

それぞれの場所については、過去記事をご覧ください。
・丸山の火葬場跡→【鳥取県東部(因幡)の火葬場訪問・4】鳥取市の旧丸山火葬場跡|Yuniko note
・丸山の追分→申年がしん-鳥取市郊外に残る天保の大飢饉犠牲者の供養塔-|Yuniko note
・浜坂入り口の犬橋→浜坂の犬塚と犬橋|Yuniko note

昔話からの考察

「鳥取にお城があった頃」の話ですから、これは江戸時代の話です。江戸時代前期か中期か、後期か幕末かは、この話の内容だけでは分かりません。
夜に但馬往来を歩いていた若侍が火葬場の炎と煙を見たとのことですが、昔は夕方から夜にかけて火葬を行っていたので、これは当時のやり方に叶っています。
昭和の頃の丸山の火葬場跡は、但馬往来とは丘陵を一つ隔てた地にあったのですが、丸山の追分を過ぎたあたりからは、振り返れば火葬場の火を見ることもできるでしょう。
これらのことから考えると、丸山の旧火葬場のあたりには江戸時代から焼き場(火葬場)があり、その後、すぐ近くに丸山火葬場が建てられたのではないかと推測してみました。

この怪談に出てくる場所の位置関係を地図で表すと、次のようになります。

丸山の火葬場の怪談によく似た話

先にも記したように、丸山の火葬場の怪談によく似た話が、兵庫県境にほど近い蒲生という村に伝わっています。
これは、1975年(昭和50)に毎日新聞鳥取支局が発刊した「むかしがたり」(著:山田てる子 版画:岸信正義)という本に載っていた怪談です。

むかしむかし。ある商人が大きな峠を越えようとしていたが、峠を越えないうちに夜になってしまった。困ったなと思って暗い山道を歩いていると、向こうに明かりが見える。
やれうれしやと思って明かりに向かって歩いていくと、一軒家が建っていた。商人が戸を叩くと、一人のおばあさんが出てきた。一夜の宿を求めるとおばあさんは「それは困りんさったなぁ。まぁ、上がりんさいな」と気持ちよく家に上げてくれた。
やがておばあさんは「これから用事があって出かけないけんだけど、何があっても驚いたらいけんで」と謎めいたことを言い置いて出ていった。
商人は「こげぇ遅くになんの用事だらぁかなぁ」といぶかしく思ったが、じっとおばあさんの帰りを待っていた。
おばあさんは、なかなか帰ってこない。のどが渇いてきた商人は、お茶でも入れようと、湯が沸き立っている大鍋のふたを取ってみた。すると、大鍋の中で赤児の小さな足が浮き沈みしている。
びっくりした商人が叫び声を上げると、納戸の中から甲高い女の声で「ヒーッヒヒヒヒヒ!」と笑い声がした。
商人は腰を抜かしてしまい、ふとんをかぶって震えていた。
しばらくしておばあさんが帰ってきたので、商人はかくかくしかじかと恐ろしい出来事を話した。
するとおばあさんは、「何も言わずに出て行って悪かったなぁ。大鍋の中の赤児の足は、赤児の足袋を茶袋がわりに使っとるだし、女の笑い声は、赤児が死んで気がふれちまったうちの嫁を納戸に閉じ込めとるだけど、おまえさんがうろたえるのを見て笑ったんだろうで」とこともなげに言ったそうな。

2つの怪談とも「幽霊の正体見たり・・・・」といったところですが、オチはややブラックです。

<参考資料>
・山陰中央新報 因伯のむかしばなし 2000年頃の連載記事
・むかしがたり 著:山田てる子 版画:岸信正義 企画:毎日新聞鳥取支局 日本写真出版 1975年4月1日発行

次回予告 【霊峰大山の麓の両墓制・1】 大山町鈩戸の埋め墓

かつて、遺体(遺骨)と遺髪等を別々の場所に納める「両墓制」という墓制が行われていました。鳥取県西伯郡大山町では両墓制の埋め墓が広く分布し、令和の現在も細々と両墓制が行われているようです。今回、その埋め墓を3ヶ所も確認することが出来ました。
斎場&火葬場跡ではないのですが、貴重な葬祭遺跡なので紹介いたします。

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