見出し画像

三条市(旧栄町)東光寺の5集落共同火葬場跡

11月7日。冷たい雨の降る日でしたが、「四本柱」さんから教えていただいた三条市東光寺の集落合同火葬場跡を訪ねました。周辺にある東光寺、福島新田、一ツ屋敷、若宮新田、呉江の5つの集落の合同火葬場跡だそうです。

旧栄町東光寺の5集落共同火葬場跡

火葬場の跡地は現在、農業廃水処理施設になっています。

東光寺の5集落共同火葬場跡 西側から
東光寺の5集落共同火葬場跡 南側(施設の正面)から
東光寺の5集落共同火葬場跡 東側から
施設内の樹木は火葬場があった頃からのものかも?

樹木のそばに白御影の石材が三つ

樹木のそばに白御影の石材が三つ置かれていました。この石材は?
これも、火葬場があった頃の名残かも知れません。

樹木のそばに白御影の石材が三つ
樹木のそばに白御影の石材が三つ

施設の正門の隙間から望遠機能で撮影してみましたが、謎の石材です。
かなり新しそうな感じです。でも、農業廃水処理施設には不似合いな感じがします。
この石材は何?

火葬場跡の北側(裏手)とそばの空き地

さらに火葬場跡の北側(施設の裏手)を見てみました。すると、施設の北川に隣接して不思議な空き地があるのを見つけました。

東光寺の5集落共同火葬場跡 北側から
施設の裏手にあたります
農業廃水処理施設の裏手に隣接した空き地

三角形をした不思議な空き地。田んぼや畑に利用されることもなく、放置されているようです。

国土地理院の空中写真から

久しぶりに国土地理院の空中写真を使って、この地の変遷を調べてみました。

1962年(昭和37)5月7日の航空写真
現在、農業廃水処理施設のある場所に何かの建物があるのを確認できます。小さな小屋のような建物です。年代から考えても、これが火葬場と考えられます。

1962年(昭和37)5月7日の航空写真

1972年(昭和47)5月18日の航空写真
画像の解像度が今一つで、はっきり確認できません。建物があるようにもないようにも見えます。

1972年(昭和47)5月18日の航空写真

1975年(昭和50)11月2日の航空写真
敷地全体は更地になっているように見えますが、敷地の北の住に何やら白っぽい建造物が見えます。そんなに大きくはなさそうです。

1975年(昭和50)11月2日の航空写真

1986年(昭和61)5月27日の航空写真
この時点では、建物は完全になくなり、更地になっていることが分かります。1975年11月2日の航空写真では確認できた白い建造物も見えません。

1986年(昭和61)5月27日の航空写真

1991年(平成3)5月5日の航空写真
1986年と同じく、完全な更地です。今この場所にある農業廃水処理施設の建物もまだありません。

1991年(平成3)5月5日の航空写真

2001年(平成13)4月27日の航空写真
火葬場のあった敷地に新しい建物が建っています。建物の形状から、今の農業廃水処理施設の建物と考えられます。

2001年(平成13)4月27日の航空写真

航空写真6点を見ていて、気付いたことをまとめてみます。
 1962年 火葬場の建物があった。
 1975年 火葬場らしき建物は見当たらない。すでに撤去されたか?
 1975~1991年 火葬場跡は更地になっている。
 2001年 この時点で、農業廃水処理施設の建物は存在している。
また、施設の裏手(北側)に隣接している空き地は、航空写真を見る限りでは、葬祭施設等があったのではなさそうです。

5集落共同の火葬場だけあって、このあたりに多い四本柱火葬場よりも広い敷地です。
また、1962年の航空写真を見ると、火葬場への進入路は南側にあったようです。四本柱火葬場は、入り口が北向きになるように作られるそうなので、この5集落共同火葬場は四本柱火葬場ではないのかもしれません。

施設の中に入ることは出来ませんでしたが、外から施設敷地の中を見る限りでは、かつて火葬場があったことを示す記念碑や供養塔、石地蔵などはありませんでした。

東光寺の5集落共同火葬場跡 周辺の様子
火葬場跡の南東方向から撮影

次回予告 レオポルド・ストコフスキー&フィラデルフィア管弦楽団 / ストラヴィンスキー:春の祭典

2013年(平成25)にアメリカのSONY CLASICALから「”春の祭典”初演100周年記念BOX」というBOXセットが発売されました。その中から特に印象に残った5種類を順次紹介していきます。
第1弾は、なんと1929年に録音されたレオポルド・ストコフスキー&フィラデルフィア管弦楽団のSP復刻版。今から95年前の録音です。

いいなと思ったら応援しよう!