フルトヴェングラーの3つの第9 (2) ヒトラー生誕前夜祭の第9-ヴィルヘルム・フルトヴェングラー&ベルリン・フィルほか
フルトヴェングラーが、激しく忌避していた独裁者アドルフ・ヒトラーの生誕を祝して、平和と人類愛の讃歌「第9」を演奏した・・・・大戦中のそんな悪夢の出来事のドキュメント。1942年4月19日の録音。
ヒトラー生誕前夜祭の第9
第2次世界大戦の最中の1942年。ドイツを巡る戦況は悪化の一途をたどっていた。そうした状況の中、ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーと彼の側近たちは、ドイツにはまだ底力があることを内外に示すために、ヒトラーの誕生を祝う生誕前夜祭でフルトヴェングラーにベートーヴェンの第9を演奏させたいと考えた。
これまでもフルトヴェングラーはヒトラー政権からそうした要請があることを予想して、ヒトラーの誕生日周辺(4月20日)にはベルリン不在となるように予定を入れていた。この年もウィーン・フィル創立100周年コンサートを予定していたのだが、宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスとウィーン総督バルドゥール・フォン・シーラッハの策略でウィーン・フィルの創立100周年記念コンサートは延期され、ヒトラー生誕前夜祭に第9を演奏せざるを得ない状況が作りだされてしまった。
演奏会はナチス政権によって録音され、各国で放送された。同時に演奏会の様子も録画され、ナチスの国威発揚と戦意高揚のために使われた。(参考:中川右介 CD解説書より)
このCDは、その時に録音されたアセテート盤からVeneziaというレーベルが復刻し、日本のキング・レコードによって2014年にリマスタリングされたものである。
なお、ナチス政権が収録したこの日の演奏会の原盤は、ベルリン陥落後に占領したソ連軍が本国に持ち去ったといわれ、今なお発見されていない。
このジャケット写真は演奏会当日の写真ではなく、1937年5月3日の写真です。最前列左から3人目にヒトラーが写っています。この写真は「フルトヴェングラーが総統に敬意を表した」としてプロパガンダに使われました。
なお、1942年の生誕前夜祭コンサートの当日は、ヒトラーは臨席しませんでした。
演奏について
私は下記のフルトヴェングラーの第9のうち、( )でくくった演奏以外は過去に所有または視聴していますが、このヒトラー生誕前夜祭の第9は、どの演奏よりも劇的に思います。
(・1937年5月 ジョージ6世の第9 ベルリン・フィル)
・1942年3月 ベルリンの第9 ベルリン・フィル
・1942年4月 ヒトラー生誕前夜祭の第9 ベルリン・フィル
(・1943年 ストックホルムの第9 ストックホルム・フィル)
・1951年1月 ウィーンの第9 ウィーン・フィル
・1951年7月 バイロイトの第9 バイロイト祝祭管
(・1951年8月 ザルツブルクの第9 ウィーン・フィル)
・1952年2月 ニコライの第9 ウィーン・フィル
・1953年5月 ウィーン芸術週間の第9 ウィーン・フィル
(・1954年8月 バイロイト音楽祭1954 バイロイト祝祭管)
・1954年8月 ルツェルンの第9 フィルハーモニア管
ナチスの策略にはめられてこの演奏会を指揮する羽目になったフルトヴェングラーが怒りに満ちていたことは容易に想像できます。
しかし、指揮者にとって不本意な演奏会の内容が充実していることは、何を意味しているのでしょうか。
このCDについては、「ナチス時代の悪夢の演奏会の記録を世に出すべきではない」という評価ももちろんあります。その一方で、「演奏そのものは、バイロイトの第9を上回る」という評価も、フルトヴェングラーファン、クラシック音楽ファン、音楽評論家の中にもかなりあるのです。
この演奏会を指揮することが不本意であったとしても、ひとたび指揮台に上がれば「充実した演奏をする」というフルトヴェングラーの芸術家魂が勝ったのでしょうか。
それとも、ヒトラーに対するフルトヴェングラーの嫌悪と怒りの感情が第9の本質とどこかで共鳴したのでしょうか。
また、指揮者とオーケストラの関係を考えると、次のような考えも出てきます。
指揮者とオーケストラは常に一心同体とは限りません。常任指揮者フルトヴェングラーはヒトラーを嫌悪していましたが、100人に及ぶベルリン・フィルの団員も、全員一致団結してヒトラーを嫌悪していたのでしょうか。そうではないでしょう。ベルリン・フィルの団員の中には、反ナチス・反ヒトラーの団員もいたでしょうが、親ナチス・ヒトラー崇拝の団員もいたはずです。彼ら親ナチスの団員たちは、常任指揮者フルトヴェングラーの「偉大なる」ヒトラーへの嫌悪の感情を苦々しく思っていたはずです。彼らは「ボスはヒトラーを嫌っているが、おれたちは総統のために献身的に演奏しようではないか」と考えても不思議ではありません。
まあ、常識的に考えれば、「ヒトラーのための演奏であろうと何であろうと、ステージに上がった以上はおれたちは最高の演奏をする」という指揮者とオーケストラ両者の思いが、この劇的な演奏として結実したのだと思います。
次回予告 フルトヴェングラーの3つの第9 (3) ルツェルンの第9-ヴィルヘルム・フルトヴェングラー&フィルハーモニア管ほか
フルトヴェングラー生涯最後の第9。この演奏から約1ヶ月後にフルトヴェングラーは指揮台を去り、3ヶ月後に逝去しました。