ヨーゼフ・カイルベルト&バンベルク交響楽団 / モーツァルト:交響曲第36番「リンツ」
ドラティ&デトロイト響の「春の祭典」のように、私にその曲の真価を教えてくれた演奏をもう一つ紹介します。
ドイツの名指揮者ヨーゼフ・カイルベルトが指揮したモーツァルトの交響曲第36番「リンツ」。
カラヤンの自他ともに認めるライバル ヨーゼフ・カイルベルト
ヨーゼフ・カイルベルト(1908.4.19~1968.7.20 ヨーゼフ・カイルベルト - Wikipedia)は1908年4月5日生まれのカラヤンと同年同月生まれ。歌劇場たたき上げの指揮者としてもカラヤンと同じ。主要レパートリーもほぼカラヤンと重なる。
1954年にウィルヘルム・フルトヴェングラーが亡くなった後のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督の候補として、カラヤンとともに名前が挙がった。
カラヤンは、ベートーヴェン、ブラームス、リヒャルト・シュトラウスなどの自己の中核レパートリーを他の指揮者がベルリン・フィルを振って録音することを許さなかったが、カイルベルトにだけはそれを認めていた。
1965年(昭和40)、1966年(昭和41)、1968年(昭和43)に来日し、NHK交響楽団を指揮している。
1968年7月20日。音楽監督を務めていたバイエルン国立歌劇場でリヒャルト・ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」を指揮している最中に、心臓発作を起こして急逝した。
訃報を聞いたカラヤンは茫然自失となり、名歌手ビルギット・ニルソンはその場で泣き崩れたと伝えられている。
モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」
モーツァルトは番号付きの交響曲を41曲書いていますが、35、36、38、39、40、41番の6曲が「モーツァルトの後期6大交響曲」として親しまれており、作品の内容も充実しています。なお、第37番は諸般の事情により欠番扱いです(交響曲第37番 (モーツァルト) - Wikipedia)。
私もモーツァルトの後期6大交響曲集には高校生の頃から親しんでおり、それぞれの指揮者の解釈やオーケストラの音色を楽しんでいました。
ただ、中でどうしても好きになれない曲がありました。それが交響曲第36番「リンツ」です。なんというか、全体に重苦しい感じで、モーツァルト特有の愉悦感、大空を飛翔するような爽快さ、その中にある一抹の寂しさが、他の交響曲に比べて乏しいように感じられたのです。
ヨーゼフ・カイルベルトのモーツァルト後期6大交響曲集は、Amazonで試聴したカイルベルトのベートーヴェンに心奪われ、カイルベルトのモーツァルトも聴いてみたいと思って買い求めたのです。
第35番「ハフナー」に続いて聴いた36番「リンツ」。序奏が終わって第1楽章の主部に入った途端、「え?何、この"リンツ"」
今まで聴いてきた「リンツ」の演奏と違って、まったく軽やかです。矛盾した表現ですが、ドスが利いているのに軽やかな強奏のスタッカート(音を短く切る演奏)。玲瓏そのものの木管楽器の歌。あっという間に「リンツ」の魅力に取り憑かれました。
「リンツ」を聴き終わって、めったにないことなのですが「もう一度聴きたい!」 最初からまた聴きました。
2度目の「リンツ」を聴き終わって、「どうして今まで”リンツ”のよさに気付かなかったのだろう・・・・もったいないことをしてしまった・・・・」という気持ちでした。
それからというもの、仕事の行き帰りの車中で、来る日も来る日もカイルベルト&バンベルク響の「リンツ」を聴きました。聞き飽きるどころか、聴くたびに「リンツ」の新たな魅力を発見する毎日でした。
カイルベルトのモーツァルトは、よく言われる「流麗」「優美」「エレガント」なモーツァルトではなく、いやもちろん流麗で優美な面もあるのですが、「鍛え上げた身体のアスリートが、軽やかに楽しげに快速でトラックを走っている」という感じです。
もし、カイルベルトの「リンツ」に出会わなかったら、ことによったら「リンツ」のよさに気付かないままに年をとり、この世を去っていたかも知れません。
ドラティの「春の祭典」と同じく、運命の出会いに感謝です。
カイルベルトの「リンツ」をひとしきり聴いた後で、他の指揮者&オーケストラの「リンツ」を聴くと、不思議なことに、今まで気付かなかったそれぞれの指揮者&オーケストラの「リンツ」のよさや魅力に気付くようになりました。
こういう演奏こそが、真の名演奏というのではないかと思います。
次回予告 三条市(旧栄村)東光寺の5集落共同火葬場跡
冷たい雨の降る日でしたが、「四本柱」さんから教えていただいた三条市東光寺の集落合同火葬場跡を訪ねました。周辺の5つの集落の合同火葬場跡だそうです。
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