伯耆町・福岡の埋め墓 【霊峰大山のふもとの両墓制・3】
大山のふもとの埋め墓の紹介は、今回が最後になります。
そして、このたびの斎場&火葬場跡&葬祭施設の紹介も、これで取りあえず最終回になります。
実は・・・・初めて見つけた埋め墓
掲載順では埋め墓シリーズの最後になっていますが、実は福岡の埋め墓が最初に訪れた埋め墓です。
ここに記すのが、今回の訪問地と訪問日&訪問順です。
<9月13日(金)>
米子駅→①半の上の狂狼順礼殉難の地→②幽霊滝→③福岡の埋め墓→④八百比丘尼の入定崫
<9月14日(土)>
①米子城→②柳生宗章の供養塔→③題目塔→④勝田村刑場跡→⑤桜の苑→⑥大山口駅空襲慰霊碑→⑦鈑戸の埋め墓→⑧中山の埋め墓→⑨琴浦町営斎場→⑩旧東伯火葬場跡→⑪鳥取中部ふるさと斎場→⑫大岳院(里見八犬伝終焉の地・1)→⑬勝彌見神社(里見八犬伝終焉の地・2)→⑭摩瑠山斎場跡→⑮関金町堀(里見八犬伝終焉の地・3)→鳥取市
<9月16日(日)>
①豊乗寺の蛇の池→②武田高信の墓→③身投げ淵→鳥取県立図書館
<9月17日(月)>
①浜坂の千匹狼→②摩尼寺
伯耆町、旧溝口町について
すみませんが、両墓制については前回・前々回の記事をご覧ください。
・鈑戸の埋め墓 【霊峰大山のふもとの両墓制・1】|Yuniko note
・中山の埋め墓 【霊峰大山のふもとの両墓制・2】|Yuniko note
伯耆町は2005年(平成17)1月1日に西伯郡岸本町と日野郡溝口町が合併して誕生しました。現在は西伯郡に属しています。
この埋め墓を見つけた福岡地区は旧溝口町で、1931年(昭和6)に誕生し、2005年1月1日に歴史を閉じました。鬼伝説が多く残る地です。
伯耆町・福岡の埋め墓
前にも書いたように、ここは一番最初に訪れた埋め墓です。
日野町黒坂の通称「幽霊滝」を訪れたあと、米子市への抜け道の県道46号線を走っていると、道路左脇の田んぼにちょっと変わった墓地がありました。
「あれ?今のお墓って、両墓制の埋め墓じゃない?」
車を降りて見に行ってみました。
お墓の特徴から考えて、確信はもてませんが埋め墓の可能性がありそうです。
事前に調べた両墓制の埋め墓の特徴と一致する点(石を積み上げた塚)もあれば、一致しない点(埋め墓は石塔を建てないことが多いが、ここは石塔を建てている)もあります。
「間違いなく埋め墓!」と確信はもてないのですが・・・・
埋め墓(?)が計6基でしょうか。
埋め墓の奥からふもとの方(北側=米子方向)を見てみると・・・・
少し離れたところに小さな墓地があります。
これを見て、「ここは埋め墓の可能性がかなり高いだろう」と考えました。
理由として・・・・
1.石塔は建っているが、どれも石を積み上げた簡素な墓であること
2.少し離れたところにある立派な石塔が建ったお墓は「詣り墓」と考えられること
上記2点がここを埋め墓と考える根拠です。そして・・・・
☆ ここは福岡集落全体の埋め墓ではなく、詣り墓の一族(この田んぼの持ち主でもある)の埋め墓
・・・・と考えました。
ここが本当に埋め墓かどうかは集落の人に聞いてみないと分かりませんが、
両墓制の埋め墓が多いとされる大山山麓から少し離れたところで埋め墓らしき墓を見つけることが出来たのは、予想外の発見でした。
伯耆町・福岡の埋め墓の場所
今回紹介した3つの埋め墓以外に、大山町、琴浦町には今も確実に残っている埋め墓を3つ知っています(場所を特定できていない)。ほかにも、上記2町を中心にていねいにフィールドワークをすれば、まだまだ両墓制の埋め墓が見つかりそうです。
いつか時間を取って、大山を拠点にして今も残っている埋め墓を調べてみたいと思っています。
<参考資料>
・とりネット 最近の活動から:大山町前谷地区で両墓制調査を実施/とりネット/鳥取県公式サイト (tottori.lg.jp)
・BES大山 両墓制 - BES大山(鳥取) (goo.ne.jp)
・だいせんみちを歩こう だいせんみち(大山道)を歩こう | 佐摩から大山へ (izumokaido.jp)
・ストーンサークル 山陰の霊魂観 ~大山周辺の「精霊送り」を見る~ | ストーンサークル (stone-c.net)
次回予告 現地ルポ・幽霊滝の伝説 【小泉八雲の描く怪奇の世界】
小泉八雲の怪談「幽霊滝の伝説」の舞台が鳥取県日野町にあります。その怪談の舞台の現地ルポです。
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