浜坂の犬塚と犬橋
鳥取市浜坂にある「犬塚」と「犬橋」を紹介します。
犬塚と犬橋
前に紹介した「丸山の追分」を砂丘方向に曲がらないで直進した道は、鳥取砂丘を通って但馬国(兵庫県北部)へと向かう但馬街道で、多くの人でにぎわった道でした。
※「丸山の追分」については、こちらをご覧ください→申年がしん-鳥取市郊外に残る天保の大飢饉犠牲者の供養塔-|Yuniko note
ところが、この道の途中に千代川と摩尼川(摩尼寺のある摩尼山から流れる川)の合流点があり、そこは小川のわりに川底が深くて川崖も高く、強い風が吹くと砂が舞い上がる地でした。しかも、そこには古い丸木橋が架けられているだけで、通行人は難儀していました。
通行人の難儀を何とかしたいと考えたある村人が、飼っていた犬の首に、新しい橋を架けるための寄付を募る旨を書いた木札と竹筒を下げて犬を放しました。
犬は橋のたもとにしゃがみ、誰かが通りかかると、耳をたれ、しっぽを振り、何かをお願いするような鳴き声を上げました。犬の首にかけられた木札を読んだ通行人や村人が竹筒にお金を入れると、犬は喜ぶ様子を見せました。
年月が経つうちにお金が貯まり、新しく立派な橋を架けることが出来ました。その橋は、犬が飼い主の恩に報いるために架けた橋ということで、犬橋と名付けられました。
その犬が死んだ後、村人は犬を橋のたもとに葬り、塚を建てて供養したということです。
この健気な犬の伝説は、いつ頃の出来事が、もとになっているかは伝えられていませんが、安陪恭庵の「因幡志」(1795年成立)にも記述があります。「因幡志」が成立するよりも前から知られた伝説だったことが分かります。
犬塚も犬橋も、後世に新しく建て替えられましたが、犬塚と犬橋の由来は伝説として令和の世にも伝わっています。
<参考文献>
・子どものための鳥取の伝説 著:野津龍 山陰放送 1979年(昭和54)1月26日発行
・因幡志 著:安陪恭庵 世界聖典刊行協会 1978年(昭和53)9月14日発行
・鳥取県の歴史散歩 編:鳥取県歴史散歩研究会 山川出版社 1994年(平成6)3月25日発行
・鳥取県の歴史散歩 編:鳥取県の歴史散歩編集委員会 山川出版社 2012年(平成24)12月5日発行
次回予告 岩常の耳塚
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