フルトヴェングラーの3つの第9 (3) ルツェルンの第9-ヴィルヘルム・フルトヴェングラー&フィルハーモニア管ほか
フルトヴェングラー生涯最後の第9。この演奏から約1ヶ月後にフルトヴェングラーは指揮台を去り、3ヶ月後に逝去しました。
フルトヴェングラーの戦後
1945年5月。ドイツが無条件降伏して第2次世界大戦のヨーロッパ戦線が終結。ドイツ敗戦時、フルトヴェングラーは反ナチスのためにスイスに亡命していましたが、敗戦直前までドイツにとどまっていたのが災いし、ナチスへの協力を疑われました。一時、指揮活動を禁止されましたが1947年にベルリン・フィルに復帰。1950年からはイギリスEMIによるベートーヴェン交響曲全集のプロジェクトがスタートし、1951年7月には戦後復活第1回のバイロイト音楽祭でベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」を指揮しました。この時の録音がいわゆる「バイロイトの第9」(フルトヴェングラーの3つの第9 (1) バイロイトの第9-ヴィルヘルム・フルトヴェングラー&バイロイト祝祭管弦楽団ほか|Yuniko note)です。
しかし1954年に入ると、フルトヴェングラーの健康は少しずつ衰えていくのです。
ルツェルンの第9
スイスのルツェルンでは毎年夏の終わりにルツェルン音楽祭(ルツェルン音楽祭 - Wikipedia)が開かれます。フルトヴェングラーも1944年に初めて来演した後、指揮活動が許された1947年からは毎年来演し、1954年にはフィルハーモニア管弦楽団(フィルハーモニア管弦楽団 - Wikipedia)を指揮してベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」を演奏しています。この時に放送用として録音されたのが、「ルツェルンの第9」(1954.8.22)です。
演奏について
「ルツェルンの第9」は、これまで紹介してきた「バイロイトの第9」や「ヒトラー生誕前夜祭の第9」のような、何かに憑かれたようなデモーニッシュな雰囲気はありません。第9の音楽自体に充分に劇的な要素はあるのですが、それでも全体の印象は「静謐」です。特に、ゆったりと、沈潜といってもよい雰囲気で演奏される第3楽章で顕著です。
第4楽章コーダの猛烈な加速も、技量抜群のフィルハーモニア管弦楽団だけにしっかりと加速についていけているのですが、そのためにかえって落ち着いた雰囲気を印象づけます。
また、「ルツェルンの第9」はフルトヴェングラーの他の第9と比べて、ずっと録音がすぐれています。
結果的に「ルツェルンの第9」は、フルトヴェングラーにとって生涯最後の第9演奏となりました。この演奏からわずか1か月後、フルトヴェングラーはベルリン・フィルとの最後のコンサートを行い、3か月後に帰らぬ人となるのです。
フルトヴェングラーの死まで
1954年9月19日と20日。フルトヴェングラーはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と2回のコンサートを行いました。プログラムは両日とも、ベートーヴェンの交響曲第1番とフルトヴェングラー自作の交響曲第2番。結果的に、このコンサートがフルトヴェングラーにとって生涯最後のコンサートとなりました。
フルトヴェングラーはこのコンサートの前に引退宣言をしたわけではありません。不治の病に蝕まれていたわけでもありません。ベルリン・フィルも「これがフルトヴェングラーとの最後のコンサート」と覚悟を決めていたのでもありません。
しかしフルトヴェングラーは、オーケストラにはひた隠しにしていましたが、音楽家にとって不治の病-難聴に悩まされていたのです。
1954年9月23日。結果的にフルトヴェングラー最後の演奏会となった9月20日のコンサートに続くベルリン・フィルのコンサートが行われました。指揮台に立ったのは当時46歳のヘルベルト・フォン・カラヤン。
そうです。フルトヴェングラー亡き後にベルリン・フィルの常任指揮者となったカラヤンです。
これもまったくの偶然です。カラヤンがこの日のコンサートを指揮させるように事前に運動をしたわけでも、オーケストラ事務局がこの日のコンサートを指揮するようにカラヤンに頼み込んだわけでも、聴衆がこの日のコンサートにカラヤンの登場を望んだわけでもありません。何年も前からこの日のコンサートはカラヤンが指揮することが決まっていたのです。
しかし、芸術の女神がそう望んだかのように、ベルリン・フィル常任指揮者のバトンはフルトヴェングラーからカラヤンに渡ったのです。
1954年10月。フルトヴェングラーはウィーンでイギリスEMIのために、リヒャルト・ワーグナーの楽劇「ワルキューレ」を録音しました。これが、フルトヴェングラーにとって生涯最後の演奏でした。
この直後、ベルリンでフルトヴェングラーとベルリン・フィルのリハーサルが行われました。これは実は、難聴のフルトヴェングラーのための「補聴器」のテストでした。しかし補聴器の調子が悪く、リハーサルは15分ほどで打ち切られました。
これがフルトヴェングラーにとって、最後のベルリン・フィルとの対面でした。
これ以後、フルトヴェングラーの心身の健康は急速に衰え、11月30日に彼は世を去りました。
フルトヴェングラーの死去によって、イギリスEMIが進めていたベートーヴェン交響曲全集(第2番、第8番、第9番「合唱」が未完)とリヒャルト・ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」(「ワルキューレ」だけ完成し、「ラインの黄金」「ジークフリート」「神々の黄昏」が未完)というビッグ・プロジェクトが未完に終わりました。
そして、ステレオ録音が実用化されたのはフルトヴェングラー死去の翌年1955年でした。
<参考資料>
・巨匠たちのラストコンサート 中川右介 文藝春秋社
次回予告 トスカニーニの第9 アルトゥーロ・トスカニーニ&NBC交響楽団
若き日のカラヤンが規範にしたというイタリアの指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ。戦前はフルトヴェングラーと人気を二分した巨匠が演奏する第9。