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花見潟墓地

東伯郡琴浦町の海岸にある約2万基の墓石が建ち並ぶ、日本最大級の自然発生の墓地・花見潟墓地があります。10月4日(金)の午後10時からNHK総合「ドキュメント72時間」でも、「お盆の鳥取 海辺の墓地で」として放送されました(再放送予定あり)。

花見潟墓地

花見潟の地にいつ頃から墓石が建てられ始めたのかはよく分かっていません。前述のNHKの番組では、室町時代頃からではないかと説明されていました。
実は私は、花見潟墓地は名前は知っていても訪れたことはなく、今回が初めての訪問でした。
室町時代頃から墓石が建てられ始めたとのことでしたが、墓地の西側と東側には鎌倉時代に建てられたと推測される2基の大きな宝筺印塔(ほうきょういんとう)があり、おおむね鎌倉から室町の頃から墓石が建てられ始めたのでしょう。
どこかの寺の墓地というわけではなく、地元の方のインタビューでは曹洞宗も浄土宗も墓があるということでした。クルスが刻まれたクリスチャンの墓石も紹介されていました。
花見潟のある琴浦町赤碕の地は、今は静かな漁港ですが、中世の頃は隣国の朝鮮にも名前を知られた貿易港でした。赤碕の港から朝鮮に向かった船や朝鮮から赤碕の港にやってきた船もあったでしょう。そして嵐や時化に遭って遭難してしまった船もあったことと思います。そうして海で亡くなった人の墓もこの地に建てられたことと思います。

迎え火と送り火

番組の中でオガラ(皮をはいだ麻の茎)に火をつけて亡き人の魂を迎える「送り火」が「変わった風習」として紹介されていました。私はそれを見て「えーー?」と思ってしまいました。鳥取では墓地であったり玄関先であったり庭先であったりと場所こそ違えど、お盆の入りの8月13日には普通にやっている行事なのですが・・・・
そして、お盆の終わる8月15日(または8月16日の朝)には同じことを「送り火」として行います。
Wikipediaで見ると、形は様々だが日本全国で行われてると説明されていました。有名な京都五山の大文字の送り火も、これに因んだお盆の行事です。
迎え火 - Wikipedia

私の体験した葬祭時の風習

私が鳥取で体験した葬式はわずか4件です。うち、2023年8月に亡くなった父の葬式は、故人の意向とコロナ禍だったこともあり、葬祭会館でのコンパクトなものでした。
父の葬式以外の3件で体験した、他の地域でやっているかどうかは分かりませんが、実はちょっと変わっているかも知れない葬祭時の風習を最後に紹介します。

<曾祖母の葬式・・・・1976年(昭和50)1月 鳥取市>
・喪主は室内で靴を履いてから玄関を出る。
  →子どもの頃に、ふざけて室内で靴を履いて外に出ようとすると、「それは葬式の時にすることだ」と怒られました。
・出棺の時、近所の人が玄関先で、故人の愛用していた茶碗を割り、箸を折る。

<祖母の葬式・・・・1993年(平成5)11月 鳥取市>
・出棺の時、故人の入った棺は玄関からではなく、窓から外に出す。

<母方の祖父の葬式・・・・2002年(平成14)5月 八頭郡郡家町>
・出棺の時、故人の入った棺は玄関からではなく、縁先から外に出す。
・さらに、車に乗せる前に、玄関前で棺を左回りに3回回ってから、車に乗せる。

花見潟墓地の場所

花見潟墓地には、お盆になるとたくさんの人たちが墓参りに集まり、灯籠に灯りをともすといいます。
たくさんの墓石に灯りが灯ったお盆の夜の様子を見てみたいと思います。

花見潟墓地

次回予告 倉吉市・大岳院【里見八犬伝終焉の地・1】

江戸後期の読み本の代表作として知られる『南総里見八犬伝』。そこに登場する戦国大名・里見家は、江戸初期に鳥取県の倉吉市で終焉を迎えました。
3回シリーズで里見八犬伝終焉の地を巡ります。

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