【鳥取県東部(因幡)の火葬場訪問・3】八頭町船岡新庄の集落火葬場跡
鳥取県東部の八頭町船岡の新庄にある集落火葬場跡を訪問しました。
この火葬場も、さいば萌さんのYoutube動画で訪問、紹介されています。
【鳥取東部】智頭町営火葬場と集落向け野焼き場 - YouTube
旧船岡町の概要
八頭町は2005年(平成17)3月31日に八頭郡の郡家町(こおげちょう)・船岡町(ふなおかちょう)・八東町(はっとうちょう)が合併して発足しました。人口は2024年7月1日現在で14,795人です。
旧船岡町は1889年(明治22)に船岡村として発足し、1952年(昭和27)に町制移行。その後、隣接する2つの村を吸収合併しましたが、2005年に新設合併によって八頭町となりました。
統合直前の2004年5月1日現在の人口は4,531人でした。
船岡地区は鳥取名産の二十世紀梨、花御所柿の産地です。
地区内にある若桜鉄道の隼駅は、バイク雑誌の企画でスズキ・GSX1300Rハヤブサの聖地として知られるようになり、スズキの全面協力のもと「バイク乗りに優しい町」として町おこしがなされました。毎年8月8日頃に「隼駅まつり」が催され、この日の前後には日本全国から隼ライダーたちが隼駅に集結します。
私がこの火葬場跡を訪れた日は、24年度の隼駅まつりの前日で、町内はもちろんのこと鳥取市にもたくさんの隼ライダーたちが訪れていました。
うれしいことです。
八頭町船岡新庄の集落火葬場跡
さいば萌さんの動画によると、この集落火葬場は新庄地区の集落墓地の一画にありました。動画にはコンクリート造りの火葬炉と棺台(?)が映っていたのですが・・・・
残念!ご覧のように、火葬炉も棺台も撤去され、コンクリートで塗り固められて整地され、休憩舎に変わっていました。
塗り固められたコンクリートはまだ白く、つい最近に整地されたような感じでした。あともう少し早くここを訪れていれば、と悔やまれます。
船岡新庄の火葬場跡の場所
霊石山と八東川
新庄の火葬場跡を訪れて分かったのですが、ここは母の実家からわずか1.5㎞ほどのところでした。
お盆になると母の実家にお泊まりをして、従姉と遊んだり川遊びをしたりして、夏休みを満喫していました。
向こうに見える山並みは霊石山(334m)。いわくありげな名前ですが、心霊スポットでもなんでもありません。ただ、源頼朝に追われた弟の範頼がここで亡くなったという伝説があります。ここはスカイスポーツのメッカとしも知られています。
手前に見える森の中にはお堂があり、昼下がりには従姉と一緒に子どもだけでお堂に行くという「昼の肝試し」をしていました。
お堂の森の向こうには八東川が流れています。
実りつつある稲の何ともいえない甘いにおいと、土のにおいが心地よいです。いま住んでいる新潟県は鳥取以上の米どころなのですが、このにおいはありません。というか感じません。新潟は新潟で、田園風景のにおいがあるのでしょうけど。
このあと、八頭郡八東東地区にある義民・東村勘右衛門の顕彰碑に向かいました。東村勘右衛門については、鳥取県の火葬場シリーズに続いて掲載する「地域の悲史 鳥取県」で紹介します。
<2024年8月3日訪問>