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摩尼川の継子落としの滝

鳥取市覚寺から摩尼寺に続く参道(と言っても、舗装されていて自動車での通行が可能ですが)途中にある「継子いじめ」の悲話を秘めた場所です。

継子落としの滝

昔、鳥取の町にある夫婦が住んでいた。その夫婦には継子がいたが、夫婦は、何かにつけて継子をいじめていた。
やがて夫婦は「あの子を始末してしまいたい」と考えるようになった。
ある日、継母は「摩尼さん(摩尼寺のこと)参りに連れて行ってやるから」と、継子を連れ出した。
夫婦は子どもを連れて摩尼寺の参道を歩いていたが、継母がふと歩みを止めた。そして継子に「手を見せてみろ」という。
継子が手を見せると「なんだね、この汚い手は。こんな汚い手でお参りをすると罰が当たる。そこの川で洗ってきな」と叱り、むりやり継子の手を引いて、滝の落ち口に連れて行った。
継子は言われるままに一生懸命に手を洗っていたが、背後に忍び寄っていた夫婦が継子を滝壺に突き落として殺してしまった。
それ以来、この滝は「継子落としの滝」と呼ばれるようになった。
※伝説はここで終わっていますが、昔の人もこれでは継子があまりに不憫だと思ったのか、次のような結末も伝えられています。

夫婦がせいせいして家に帰ると、玄関口に継子の履いていった草履がきちんと揃えて脱いである。
夫婦がおっかなびっくり家に上がると、滝壺に突き落としたはずの継子がにっこりと笑って座敷に座っている。驚いた夫婦は腰を抜かしてしまった。
翌日、継子は家を出て、再び帰ってこなかった。
人々は、摩尼山の帝釈天が継子を哀れんで身替わりになってやったのだろうと話し合った。

継子殺しの夫婦はその後どうなったのか。帝釈天が継子を助けてくれたのだとしたら、夫婦の家を出て行った継子はその後どうなったのか。いろいろ気になる点が残る伝説です。

この伝説は、安陪恭庵の「因幡志」にも記載されています。継子が滝壺に落とされて殺されるところで終わりですが。
「因幡志」が成立する江戸時代中期以前に、すでにこの伝説が語られていたということですね。
「因幡志」には、覚寺の隣村「円護寺(えんごうじ)」にも「継子谷」という継子を捨てた場所があるという伝承が記されています。くわしい場所は記されていませんでした。

継子落としの滝
滝の落ち口付近
対岸には石仏や石塔が並んでいます

継子落としの滝は、摩尼山から流れている摩尼川から落ちている滝です。
一見したところ、摩尼川は水量は少なく、滝の高さもさほどではなく、突き落とされても死ぬような滝には見えないのですが、地元の人の話では「昔はもっと水量もあり、高さもあったが、土砂で埋まってしまった」ということです。
土砂で埋まったって、まさか・・・・道好上人の入定石窟を露出させ、天徳寺のお墓を破壊した1776年の土砂崩れでは・・・・?

摩尼寺と摩尼山

摩尼寺は鳥取市の東北にある摩尼山の中腹にある天台宗の古刹で、「喜見山摩尼寺」といいます。「因幡第一の霊場」として、また鳥取城の「鬼門抑え」の霊場として、幅広く尊崇を集めました。
平安時代に摩尼山の山頂にある大岩(摩尼寺奥の院)に帝釈天が降臨したという伝説があり、摩尼寺の本尊は帝釈天です。

<参考文献>

・子どものための鳥取の伝説 著:野津龍 山陰放送 1979年(昭和54)1月26日発行
・因幡志 著:安陪恭庵 世界聖典刊行協会 1978年(昭和53)9月14日発行
・Wikipedia 「摩尼寺」 摩尼寺 - Wikipedia
・全国の滝 継子落としの滝 継子落しの滝 (fc2.com)
・継子落としの滝 継子落しの滝 (chukai.ne.jp)
・無駄安留記隊 鳥取大学地域学部地域文化学科 継子落としの滝 継子落しの滝 (tottori-u.ac.jp)

次回予告 網代の虚空蔵山


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