三条市上須頃の火葬場跡
シリーズでお伝えしている三条市街地の火葬場跡。上須頃の火葬場跡も市街地にある四本柱火葬場の跡ですが、火葬場の跡地に建てられた施設がちょっと驚きです。
三条市上須頃の火葬場跡
国道8号線沿いに建つ大手ホームセンター。その裏手に大きな倉庫が建っていますが、その向かいがかつての上須頃地区の四本柱火葬場跡です。
その跡地に建ったある施設もすでに役割を終えていますが・・・・さて火葬場跡地が何に利用されていたと思われますか?
周囲がレンガ塀で囲われていますが、ここは四本柱火葬場だったということなので、このレンガ塀は火葬場の遺構ではありません。
火葬場跡地に建てられたこの施設、何だと思われますか?
実は、ここは保育所だったのです。開所されたのはいつかは分かりませんが、2015年3月まで使用されていたようです。現在は閉鎖され、新しい保育所は5㎞ほど北の国道8号線沿いに移転しています。
新潟県では、火葬場跡地に建てられた小学校を一つ知っていますが、火葬場跡地に建てられた保育所は初めて知りました。調べればほかにもあるのかもしれませんが・・・・
保育所に通う小さな子どもたちが怖がったり、保護者の方が嫌がったりしなかったのでしょうか・・・・と思いましたが、よく考えてみると・・・・
越後平野の四本柱火葬場や集落火葬場が役割を終えて閉鎖されたのは、昭和30年代(1950年代後半から1960年代前半)ということです。
以前紹介した三条市の旧斎場(三条市旧斎場跡と三条市槻の森斎苑|Yuniko note)が開所したのが昭和34年(1959年)。火葬場跡地に保育所が開設されたのがいつ頃かは分かりませんが、上須頃の四本柱火葬場が姿を消してからけっこうな年月が経過していたものと思われます。「ここが昔火葬場だった」という記憶がおぼろげになった頃に保育所が開設されたのかもしれません。
もっと考えを進めると、三条市の旧斎場は現在は地区の集会所と芝生の広場になっており、休日には地域の子どもたちが普通に遊んでいます。もとは火葬場だったことを怖がったり嫌がったりしている様子はありません。
私は根っからの新潟県人ではないのでよくは分かりませんが、新潟県の人たちは「ここが以前は火葬場だった」ということには、あまりこだわってはいないのかもしれません。
保育所だったことを偲ばせる遺構
保育所跡の敷地内には、火葬場だったことを偲ばせる遺構は何も残っていません。
代わりに、かつてここが保育所だったことを偲ばせる遺構が残っています。
ほんの10年ほど前には子どもたちの元気な声にあふれていた保育所跡。ここで遊んだり駆け回ったりする子どもがいなくなった保育所跡。遊具のペンキの色もまだ色あせていない感じで、そのことが一層さみしさを募らせます。
<2024年11月23日訪問>
上須頃の火葬場跡の場所
次回予告 三条市三柳の火葬場跡
次回は、三条市郊外の田園風景の中にある火葬場跡です。