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【ため池のそば】三条市下保内(しもほない)の火葬場跡【林の中】
仕事でお世話になっている三条市在住のAさんから、「三条市の上保内、下保内、柳沢、大崎に、昔の火葬場跡がある」と教えていただきました。住宅地図をもとに、およその場所も教えていただきました。
上保内、柳沢、大崎の各火葬場跡は、ちょっとだけ山に分け入るらしいので、自力でも訪問できそうな下保内の火葬場跡を、この7月7日に訪問してみました。
三条市の概要
新潟県のほぼ中央部、長岡市や小千谷市、三条市などを「中越」と呼びますが、中でも見附市・三条市・加茂市・田上町(+燕市)を特に「県央」と呼ぶこともあります。三条市はその中心です。
古くから金属工業が盛んです。暖房器具のCORONA(コロナ)の本社も三条市にあります。
また諏訪田製作所(SUWADA)の爪切りは、その切れ味の良さとアフターケアのていねいさから、世界的に需要があります。
三条市保内地区の概要
今回訪れた保内(ほない)地区は、三条市の東端にある農村地帯です。植木や造園業が盛んな地域で、熱帯植物園のある保内公園や「道の駅 庭園の郷 保内」という植木や造園にちなんだ施設もあります。
三条市下保内の火葬場跡
Aさんの話では、「下保内の火葬場跡は中央ため池のすぐそばにある」という話でした。
あらかじめ国土地理院の空中写真で場所を探してみましたが・・・・それらしい施設は写っていません。そんなに大きなため池ではないので、住宅地図で示されたあたりを探索してみました。
![](https://assets.st-note.com/img/1720519698411-l2yxixT5BT.jpg?width=1200)
中央ため池は周囲300mほどの小さなため池です。中央ため池の上には、より小さなため池があります。2つのため池の周囲には遊歩道が巡っています。
火葬場跡があるというのは、ため池の左岸です。と言っても、ため池の左岸は斜面になっており、火葬場跡らしい場所は見当たりませんでした。
遊歩道の始まりのあたりから、細い道が山へとのびていました。よく見ると、路面がコンクリートで固められているようです。この道を登ってみます。
![](https://assets.st-note.com/img/1720520097754-aFAxRBowA7.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1720520168862-Q9YnUd9sm3.jpg?width=1200)
落葉に埋もれていますが、路面はコンクリートで固められています
登り始めて50mほどのカーブを曲がると・・・・ちょっとした広場がありました。Aさんから地図で教えていただいた場所ともほぼ一致します。
ここが火葬場跡なのでしょうか。念のため、もう少し登ってそれらしい場所がないか調べてみましたが、ところどころに狭い空き地が2,3あるだけでした。
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奥行き10mほどの半円形の空き地、ここがかつての火葬場跡と考えてよさそうです。夏草が繁茂して大変なことになっていますが、さいわい草丈は低いので、分け入ってみます。
![](https://assets.st-note.com/img/1720520584574-mc0bUKquug.jpg?width=1200)
空き地に3mほど入ったところに、高さ0.5m・縦横1mくらいの、石造りの壇がありました。
写真だと分かりにくいのですが、壇の下は空洞になっています。また檀の上には石が積まれていました。写真を撮り忘れてしまったのですが、五輪塔の笠のような石もありました。
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檀上に積まれた石がわりとよく確認できます
石造りの壇のさらに後ろに、もう一つ石造りの壇がありました。
しかも、手前にある石造りの壇よりも大きいです。草に埋もれてよく確認できませんが、高さは約1m・縦横1.5mくらいあります。
さらに、壇の手前には鉄製の枠または扉のようなものが倒れていました。
![](https://assets.st-note.com/img/1720521226084-M5zKHlHc5Q.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1720521330726-GSFZCJWQch.jpg?width=1200)
この鉄製の枠または扉は、火葬炉の鉄枠か扉なのかもしれません。
前にある小さめの壇は供物台、後ろの大きめの壇は火葬炉の跡と推測しました。
Aさんの話だと、上保内の火葬場跡も棺を置く台、火葬炉、鉄扉が残っているということです。
Aさんからこの火葬場を紹介していただいた際に、いつ頃まで使われていたかを聞いてみました。でも、「よその地区だから、よく分からんなあ・・・・」ということでした。
訪れたのが夏だったため、夏草が茂り、細かな観察が出来ませんでした。草が枯れる晩秋から冬にかけて、また再訪したいと思います。
上保内、柳沢、大崎の火葬場跡
先に記したように、下保内からそう離れていない上保内・柳沢・大崎の各火葬場跡も、Aさんから話を聞いて、場所もほぼ特定しています。ただ、山に少し分け入っていくこと、現在新潟県でクマやサルの出没が相次いでいること、そしてAさんの話ではそれぞれ「いわくつき」ということなので、ちょっと一人で訪問する勇気がありません。
Aさんから、「都合さえつけてもらえれば、いつでも案内するよ」と言っていただいているので、その日に期待したいと思います。
保内公園熱帯植物園
火葬場跡とは関係ないですが、中央ため池を泳いでいたカモ、そして保内熱帯植物園です。
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![](https://assets.st-note.com/img/1720522705180-fgRWQsjiaq.jpg?width=1200)
熱帯植物園は、日本では見られない熱帯の植物が植えられており、ちょっとみものです。中はかなり暑いですが。
<2024年7月7日>
<下保内の火葬場跡の場所>
![](https://assets.st-note.com/img/1733042993-WCR8NxBrA9iqUFLDeyzkfHSa.jpg?width=1200)
ここに記した以外にも、地図の上側(北)の大島(おおじま)という地区には四本柱火葬場があったということです(「四本柱」さんからの情報)。
また、三条市郊外の田園地帯には四本柱火葬場が数多くあったそうなのですが、戦後の圃場整備でほとんど消えていったということです(同じく「四本柱」さん情報)。その中で、三条市(旧栄町)北潟の山の中には、四本柱火葬場が1.5本柱になりつつも残っているそうです(同じく「四本柱」さん情報)。
今回訪問した下保内の火葬場跡は、四本柱火葬場ではなさそうでした。Aさんから教えていただいた上保内火葬場跡は、Aさんの話では「四本柱ではなく、ちゃんと火葬炉があった」ということです。
柳沢と大崎の両火葬場跡は、Aさんの話によると「なんも残ってねぇ」ということです。現場を見てみるまで分かりませんが、四本柱火葬場ではない可能性もあります。
平野部の火葬場は四本柱、下保内・上保内に共通する「ちょっと山に入った」火葬場は四本柱ではない。両者の違いの理由を調べてみると、ちょっとおもしろそうです。
この夏に
この夏に、亡父の3回忌があるので郷里の鳥取市に帰ってきます。鳥取の新旧の火葬場跡や古い火葬場跡、歴史と伝説の地を訪問してきたいと思っています。
<追記>
三条市下保内の火葬場跡を撮影した数日後、このnoteの記事中の写真のほとんどを撮影してきた愛用のデジタルカメラ「Nikon COOLPIX S9500」が、レンズトラブルで修理不能になりました。この記事の写真が同デジカメの最後の仕事になります。
合掌