【陶器片】 見附市新潟町戸代の火葬場跡 【入り口の木の柱】
斎場&火葬場訪問の記事によくコメントをいただく「四本柱」さんから見附市、三条市の火葬場跡をいくつか教えていただきました。そのうち、見附市新潟町戸代にある火葬場跡を、3連休最後の日の昼下がりに訪問してみました。
見附市について
見附市は新潟県のほぼ中央に位置する市で、2024年(令和6)10月1日現在の人口は37.445人。1954年(昭和29)3月31日に見附町・新潟村・葛巻村・上北谷村の4つの町村が合併して市制施行し、見附市になりました。1956年(昭和31)9月30日に今町を編入しています。
見附地区と今町地区の2つの市街地がある複眼都市です。
新潟町戸代の火葬場跡
前記のように、この火葬場跡は「四本柱」さんから教えていただきました。新潟町の西の端、戸代地区の十字路のすぐそばが火葬場跡です。
画像をご覧いただいてお分かりのように、何も残っていません。
「四本柱」さんによると、かつては木の四本柱が建っていたそうです。また「四本柱」さんが聞き取った地元のお年寄りの話として「掘ると牛馬の骨が出てくるので、そのままにしてある」とのことでした。
割れた陶器が散乱
何も残っていない火葬場跡なのですが、敷地の周囲には割れた陶器が散乱しています。
これらの陶器は火葬場跡の中央部にはなく、南と西のへりにたくさん散乱しています。
アスファルトの破片やタイルの破片も散乱しているので、家庭ごみ・産廃ごみとも思えるのですが、場所が火葬場跡であることを考えると、葬送儀礼の時に使っていた陶器である可能性もあります。
三条市の上保内、下保内、柳沢、大崎の火葬場跡を教えていただいた三条市在住のAさんによると、上保内の火葬場跡にも茶碗や杯の破片が散乱しているそうです。「むかし、夜通し火葬していたときに火の番をしていた若い衆が飲み食いした時の茶碗や杯だ」ということでした。
戸代の火葬場跡で見られる陶器のかけらも、そうした遺物なのかもしれません。
火葬場入り口の5本の木の柱
戸代の火葬場跡はかつては四本柱が建っていたそうですが、火葬場跡の入り口には5本の木の柱が建っています。
昔の木の電信柱か、どこかにあった廃材を建ててあるだけかもしれませんが、ひょっとしたら、かつて火葬場に建っていた四本柱をここが火葬場跡であることを示すために、入り口の柱に転用したのかもしれません。
この木の柱を2本つなぎ合わせると、ちょうど四本柱1本分の長さになるような・・・・
<2024年(令和6)11月4日訪問>
戸代の火葬場跡の場所
戸代の火葬場跡の場所を地図で示したいのですが、これまで表示していた地図は古い地図で、道路の走り方や主要施設の場所等が今とは違っているため、新しい地図を準備中です。
もうしばらくお待ちください。
次回予告 アンタル・ドラティ&デトロイト交響楽団 / ストラヴィンスキー:春の祭典
私に「春の祭典」を開眼させてくれた録音。世評は高くないのですが、個人的にこれは名盤と思います。