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力を借りながら、たぶん自力で022/12/8

テスト関係の仕事がすべて終わり、急いで職場を出た。
来週の準備はできなかった。いい!来週のことは来週するのだ!

ほっとして駅に着いたら力が抜けた。
待ち合わせの駅で電車を降りたら力が抜けすぎてお腹が痛くなった。
たぶん本当にこれはそういう精神的なことの影響だと思った。
冷えか、お腹の締め付けが苦しいのか、お店で座って待っていても痛い。ビールがあれば注文せずにはいられない解放感だが、出していないお店で助かった。時間をかけて迷い、ホットケーキに決めて注文したら友達が来た。
言わずに我慢しようか迷ったが、お腹が痛いの、と言ったら、私も冷えによる不調をカイロで緩和させてると教えてくれて、カイロ買ってきたら? と言われた。それで、モールの中をうろうろして、トイレで極暖レギンス(ウエストきつめ)と毛糸のパンツを脱いで、カイロを買って戻り、席でお腹に装着した。

私が戻ってきたのを確認して(店員さん達の横を通ったとき「お帰りなさい」と言われた)、熱いコーヒーとホットケーキを出してくれた。
なんて行き届いたサーブ!
広いモールをうろうろしながら、ああもうホットケーキは私の席に届いていて、きっとコーヒーも冷め始めてしまうんだろうな……と想像して残念に思っていたからものすごく感激した。
腹部の苦しさがとれて腹痛もすぐにおさまる。カイロや友達、人々の暖かさによって不安も一緒に溶かされたようだ。よかった。
不調はままあることで、そのつど対応していればいいんだなと思ったし、不調であることを我慢せず言えばいいなと思った。

🥞

友達といろんな話をした。
話さない時間も多かった。
二人とも自分の閉塞感について話し、それぞれ、言葉が無かったりした。
私は、何か言えたらいいのに何も浮かばなくてごめんと思いながら手を見ていた。
あかぎれでしわしわでかわいそうな手だった。
唇の端も切れていてクリームを塗らなきゃいけない。薬を入れている袋を出したらそれは、今見るといっそうかわいかった🎄🎄🎄🍎


母が昔、娘のために作ったポーチ🎄


友達に見せて、「かわいい!」を強奪した。
ついでに出てきた子どもの時の写真キーホルダーを見せて満点大笑い(ふるい?)をいただいた!'`,、('∀`) '`,、


心霊写真みたいになってる!'`,、('∀`) '`,、

お互いの話に建設的なグッドアイディアが浮かんだわけではなかった。(私は何か思い付きたかった!)
でも、一緒に何時間も座っていたらなぜかフーッと気が抜けた。
闇雲な不安、一生このままかもとか、すべての表現者に嫉妬して終わる人生の想像とか、月末締め切りの作品についてとか、そういう不安で張り詰めていた空気が抜けていった。それらは全部煙のようなもので、気にしなくていいこと、気にしても仕方のないこと、という気がした。
友達に不安の詳細を説明したわけでもない。
(それをしたかったかもしれないけど、言うと言葉に負けてしまいそうで口にできなかった。)
力強く励まされたり、成功を予見してこちらに放ってくれたわけでもない。それは私も同じだ。
お互いに、慎重に、おずおずと、下を向いたり黙ったりしながら、無力を感じたり途方に暮れたりしていた。
それでいて落ち着いたのは本当に不思議だ。

私がこうして毎日書いていることを友達が前から知っていて、今も知ってくれていることは大きかった。
どうあったとしても書くのだが、健康に書いていたい。そのためには、やっぱり読んでもらうのが大事だった。

不思議体験。励ましも予見も予言もなくて、それでも回復するということ。
もらう言葉にすがるのではなく、力を借りながらたぶん自力で。一人でありながら共にあるということはこういうことなのかもしれないな。


帰りに見た月🌝

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