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友達じゃなくてもいい


慌てず騒がず淡々と、
営業している店を探し当てるのが上手くなったなー。
みんな同じなのかなー。
これが、この事態によって引き出された「未知の能力」ってやつ???

一年前と同じ季節、同じ「宣言」、同じ風景、まったく同じことの繰り返し。
デジャブ……? じゃなくて、ふつうにみんな二回目です!
こっそり帰省したとしても、この事態についてのテンションがだいたい同じぐらいの相手じゃないとそもそも「会う」にいたらないので、
もういいって(ダルい……)、と最初からその意志を持つのをやめる。
「日にち」、「場所」、「その店がやっているかどうか」に加えて、
「相手が同じ感覚か?」ということまで想像し、
当たりを付けて、
勇気を出してアタックしてみる……
「宣言」が出ている地域から来ましたなことを意識して、意識されながらモチロン断られてもがっかりしない……
ほどのやる気がもう全体的にないんだよ。

そうすると、結局いつも同じ友達と会うことになる……よねー

ってことを、偶然電車で会った同僚と職場に向かって歩きながら話したら、気が晴れた。

この時期に、「人と会わない」と決めた人を責めることはもちろんできない。
でも、そのことによってがっかりした私の気持ちも同じぐらい「存在」したのだということを書き留めておきたいと思ったのだ(だから今書いてる)。
だって、それってどっちも大事じゃない?
相手やその事情も大事だし、私自身のことも大事だ。
あったことをなかったことにするのは、「大事」にしないことだと思う。それは死んじゃう。

で、そのことを、「友達」ではなくて、思いがけず「同僚」の人に話して受け止められたのは、妙にうれしかった。

以下は、その時の話。

☆彡☆彡☆彡

職場に向かって歩きながら、何の気なしに、
「もうすぐゴールデンウィークだけど、何かどこにも行けない感じでやれやれですよねー」
と言ってみた。
みんな家で? (マジで?) 何すんの??? 
って、私はけっこうケンカ腰に思っていたのかもしれない笑。
その人は、
「何か、予定がキャンセルになったの?」
と聞いてくれたのだった。

それはだって仕方がないことなんだから、残念だとか思ってもどうしようもなくて、
私はそもそも誰かに言うつもりもなかった。
でも、ふと聞いてくれたのが嬉しかった。
単に、軽く聞いてくれただけなのもよかったのだと思う。

「そうなんですよー、1件約束がダメになっちゃって」
って、弾みで口から言葉を出しながら、あ、私はそんなことを思っていたのかと知った。
「それってあるよなあ。『キャンセル』してきた人を責めるわけにもいかないし、理由ももう聞かないしなあ。それぞれがそれぞれの考えでしてることだから……。
人と『会う』か『会わない』かについて、考えが一致する人としか会えなくなっちゃったよね。でも、これ私たちもう1年も続けてるんだよ?」
「そう! で、いつまで続くかわからない。『延期』したとして、その日を決められるわけでもない」
「だから、だいたい同じ人とばっかり会ってる」
「ほんとそれ~!」

この時の会話は、じんわり私をなぐさめた。
(まだ)「友達」じゃなくても、自分と同じような考えや感覚を持っている人がいる。
友達じゃなくても居るんだ。友達じゃなくてもいいんだ。

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人びとは、「宣言」の喚起してくるように慎重に行動しつつも、同時に、日々出勤して自分の仕事をしているなかで手にしている実感や、もしかしたら諦めや覚悟みたいなものとともにあること。
私はそういう(ふつうの)人たちの中にいるのだということ。
そのことが、今、意味不明で得体のしれない、不快で不穏な事態から私を守り、呑み込まれてしまわないように何とか踏みとどまらせている。 

ずっと前にラジオのDJが、


‟「長い間会っていない家族や友達には会えない(<会ってはいけない>という意味)けど、職場の同僚には毎日会ってよい」という、奇妙な事態になってきた”


と、言っていたけど、こういうことかとも思う。
とりたててこの事態に関して話すわけではないけど、
日常のなかで同じ場所で時間を過ごしている人たちとの間で、感覚や、なんとかやってきている実感によって、なんとなく支えられているものがある。
それは、目に見えないし、言葉にしたらはっきりしすぎて専門家の人たちからは怒られそうな「感覚」で、
もしかしたら素人の寝言みたいなものなのかもしれない。
でも、プロによる「厳しい注意喚起」によってだけでなく、こういうものによっても、私たちは生きているんだよな。

大きな声で言うわけにはいかないから、私はこっそり心の中で根拠もなく唱えているよ。
「たぶん大丈夫」。
みんなはこっそり心の中で何て唱えているのかな? 知りたい。

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だいたい不安で不穏で、不満で、不健康な状態なんだから、日常を粛々と送っている自分と同じような隣の人に、通常時以上の何か、シンパシーっていうと大袈裟で感傷的だけど、なんかでも心配するような気持ちを、持つともなく持っているのかもしれない。
そのことは、この事態のもたらした「よさ」であるし、人間の眠らせていた未知の力なのかもなーと思う。

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「ててて日記」を読むと、もしかしたら、一人だけど一人じゃないなあって思えるかもしれないです。 ほんの時々、これは知らせたいぜひ! っていうことを、急に書いたりします。 最近は、学校の話が多いです。 好きなのかも。 あとは、家族の話、生き方についてや悩んでいること…。 購読したいけどシステム的に(?)難しいなどの方はお知らせください~。

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