最近焼け野原
ひとりすぎてしんどい。
これが本当に私がしたかったことなのか?
と考えるとつらい。
MCも、最近あった面白話も、教科書解説も、新たな発見も、感動も、音楽も、タイムキープも、欠席者向け生中継の準備も実行も片付けも、ぜんぶひとりだ。
いや、感動は私ひとりじゃない(といい)な……たぶん。
みんな大人しくていい子たちだ。授業は正しく一方通行。
べつに怒んないからしゃべってごらん……と思う。
午後に猛烈に寝るクラスに行くのがゆううつで、同僚に言ったら、「この話をしなさい」と小話を授けられた。
それはすごく変な名前の料理ブロガーのエピソードでおもしろかったけど、私の持ってきた話じゃなかったから自分の話のように言うことができなかったし、曖昧であやふやな喋り方だったからみんなはすぐに寝た。
自分の授業で生徒が寝るというのが恥ずかしいことだということはわかっているけど、最近はそれを隠さないことにした。
それで、いろんな人に言っている。(人は選んでいる。)
オーストラリア人の先生は、「えー、恥ずかしくないの? でも、生徒が寝てるの、私と同じだね。もしかして、私たちだけ?」と言った。
私の次の数学の授業では、ほとんどみんな起きているらしい。数学の先生には、「先生(私のこと)の時間によく寝たからじゃない?」と言われ、そうかもと思った。先生は、「これ次のテストで解けなかったら追試だから!」と言うらしい。それは起きていなくては。
オーストラリア人の先生は、「教材がつまらないんじゃない? 失礼だけど……」と教科書を指さしてきた。それもあります。
「しつこく起こしてますから」と言う先生もいる。
でも、なんかそういうの私はもうしたくないのだ。
(昔、別の学校で、「起こさずにいると、その子のお母さんの顔が思い浮かんできてつらくなるから起こす。ウチの子も学校で起こされずに放っておかれてるのだとしたら……とか思っちゃう」という、同僚の「お母さん」な声を聞いて以来、時々思い出してドキッとする。)
「起きなさい」とか、「寝るな」とか……???
そんな言葉は、言ったとしたらとたんに吐きそうになってしまう。何の意味もない言葉とか、自分の言葉じゃない言葉がもう言えないのかもしれなかった。
ためしに言ってみたことがあるが、言った瞬間ひどい気分になった。
寝てる人に「起きなさい」って言うのって、馬鹿みたいじゃない? どうせ聞いてないじゃん。
って、一番強く思ってる私がそれを言うのは、まるで堂々と嘘をついているのと同じで、恥ずかしくなったのだと思う。
そのくせ、黒板から振り返ったら「左半分ほぼ全員机に突っ伏している」惨状(なぜか、左か右のどちらかに片寄っていることがあるのは不思議だ)を発見しては、いちいち落ち込むのをどうすることもできなかったりする。
ちなみに、他の同僚は、授業中気付いたら5人しか生き残っていなくて、「焼け野原だった」と表現していた。
「見ちゃダメ!」と他の先生には言われた。私が、「傷付いてるんです~」と言ったら、そうやって言ってくれたのだった。すごくやさしいと思う。
いろいろなどうしようもないことが重なり合って、今焼け野原になっていることはわかっていた。私だけじゃないことも。でもつらくて、傷付くことはやめられないのだから言うしかないのだと思う。
一方で、寝ない人たちがいる。なんで寝てないのか聞いてみたい。(変な質問)
つまらな(くないけど)い教科書のことをやるよりも、本当はそんな話がしたい。
寝ないのは彼らの良心かな?
授業はちゃんと聞くものだから?
体力があるのかな?
先生がかわいそうだから?
好きだから???
プライド????
どれでもいい。どれも立派ですてきだ。そんなことをざっくばらんに話してみたいのだとずっと思っているのだと思う。
お芋をもらいました。
レンジで焼き芋。バター。おいしい。涙
そういうことによって、生きていってるんだと思う。
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