世界にとって価値あるものとは何か ~それは「物語」 2023/10/2
授業で作文を書くことになったので、高校生にさせる前に私も書いてみよう。
『世界にとって価値あるものとは何か』についての私の考え。
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世界にとって価値あるものとは、「物語」だと思う。
時々、何かの事情で自ら死んでしまう人がいる。
遺書がある場合も無い場合もある。
残された人々は、理由を知りたいと考えて、あれこれ空想する。
りゅうちぇるが死んでしまった時もそうだった。ネット上でひどい中傷を受けていたことが今になって注目され、それを苦にしたのではないかと言われて、誹謗中傷に対する規制をもうけた方がいいのではないかという声も上がった。
私はりゅうちぇるも好きだったが、平野啓一郎という好きな作家がいて、一年程前に、二人がNHKの番組で対談するというので喜んで見た。
対談で二人は、平野啓一郎の最新の小説『本心』について語っていた。
『本心』は2040年代の近未来の日本が舞台で、その世界では『自由死』が合法化されていた。主人公は29歳の朔也で、事故死した母のヴァーチャルフィギュアを作ってほしいと製作を請け負う会社に依頼する場面から始まる。母は生前、『自由死』を望んでおり、それに反対する朔也は必死に止めていたのだった。二人が十分に話し合えないまま、母が不慮の事故死を遂げてしまったため、「なぜ『自由死』したかったのか?」という母の「本心」を聞き出すために、ヴァーチャルフィギュアの作製を依頼する。
自由死と自死はよく似ていて、つい、りゅうちぇるとこの物語をつなげてしまいたくなる。それほどまでに手がかりがなく、同時に知りたいという気持ちもやまない。(そう思うことだけは自由で、それは許してほしい。)きっとそこには、本人にしかわからない事情があり、死んでしまったあとには、本人でさえなぜ死んでしまったのかわからなかったりするのではないかと想像する。(もしかしたら、今になってびっくりしていそうな気もする!)
単純につなげてはいけないのだということは重々承知のうえで、それでも、たとえわからないとしても、知りたいと思うし、考えることをやめることができない。
なかでも、「自分で死の時期を決められる」とはどういうことなのか、ということを考える際に、りゅうちぇるも読んだという、この『本心』という物語は大きな頼りになると私は思った。
作中で、朔也は、母が生前に『自由死』を望む理由として、「もう十分に生きたから」と言っていたことに反発して怒り、悩み、考え続けていた。
読みながら、私も自分の思考をめぐらせた。人はどうしたら「十分に生きた」と言えるのか? 果たしてそんな時は来るものなのか? 「生きる」とは何か? 「死ぬ」とは何か? そして、朔也のしたように、愛する人をヴァーチャルフィギュアでよみがえらせることで得られるものとは? また、人の、自分の「本心」とは何か?
単純な答えは出てこない。しかし、一人で考えているだけではどうすることもできない問いを、『物語』はいつも一緒に考えてくれる。
〈感想〉
今日書いた3つの中でいちばん切実でいいなと思った。
りゅうちぇるの話はいつか書きたいと思っていて、初めて少しだけ書くことができた。
日曜日に、ぺこりんが、ぺえとSHELLYと3人でテレビに出ていて(『ボクらの時代』)、そのことにもぐっときたのでした。ぺこりんの語る、りゅうちぇると子どもとの3人の家族は、今まで誰にも聞いたことのない形をしていて、聞くだけですごいことだと思うし、自分の中に次々と言葉や考えが沸き起こり、そのことにも感動する。また書いていきたい。
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