声が出なくて考えたこと2024/1/29
声が出るようになってきた。
かすれてるし、時々全然出ないし、最初の文字が聞こえない音声のこともあるけど。小沢さんみたいに。スピードワゴンの。
小沢さん、大好きなのにな。
1ヶ月かかったなー
正月に発症したのが発端なので、何ていうひどい一年の始まり方かと思ったけど、
冬の真っ只中で、
一年の始まりではあるが終わりの時期でもあり、
変なウイルスとか、
あの時代以降ずっと免疫力が弱いのだろうとか、
激しい寒暖差とか、
空気のひどい乾燥とか、
そういういろいろな要因を思ったら仕方がないことだと思った。
去年はこの時期に妹とひどいケンカをして辛かったから、この時期はたとえ備えていても何かいやな目に遭うのかもしれない。
声が出なくなり、もしかしたらもう一生出ないかもと思ってすごく怖かった。
たった3週間のことだったが、『たった3週間』というのは、治ったから言えることだ。
『治る』という結末がわかっていないと不安で言葉が何も出なくなる。
よい医者にかかることや、十分以上に休むことが思っている以上に大事だった。
ひどい咳をしていた初期の時点で、『休んだらよかったのに』とか、『声を出さなくていいよ』と言ってくれた人は正しかったし、結局最後までその言葉が心の中にあって支えられた。
延期してしまった約束も申し訳なかった。
人を誘ったり誘われたりして会いたかった。
元気な1年の始まりにしたかった。
声が出ない間、毎日『今日の状態』を妹にLINEで報告していた。話せないし、これからもずっと話せないかもしれないというのはすごく不安で孤独だから、たとえ『昨日と同じ』であっても言える相手がいるのは最後にすがる蜘蛛の糸という感じがした。病院の先生に、『今無理して声を出そうとしたら、今後どうなるか…』と脅しのように言われた言葉を呪いにかけられたように私は忠実に守っており、試しに声を出してみる意欲も失っていたから、妹に『本当に今も出ないの? 少しも?』と詰め寄られなかったら、治ってきていることにも気が付かなかったかもしれない。ほんの少しでも声が出ることに、どんなに励まされたことか!
決して話せることだけがすべてなのではなく、話せなくなる可能性について考えて、そこから広がる世界やそうでなければわからなかったことなども垣間見て少しだけど齧ったものの、まだそのことについて書く余裕がなさそうだ。
でも忘れないように少しだけ。
たとえば、自分のジェスチャーのバリエーションの少なさについてとか!
カタコトの英語レベルぐらいは手話ができるべきだと思った。
首を縦か横に振る、
過剰なほど頭を下げる、
目元しか出ていない顔で笑う、
数字を指で表す、
拍手する、
手を振る、
ことぐらいしかないんだよ!
ありがとうもごめんねもなんで?も好きもつらいもたくさんしゃべってほしいも言えない。
相手が友達でなければ筆談ノートを持ち込む勇気も出ない。
声が出せていた時も自分が実際に言えていることは少ないと思っていたのに、声が出せないと言えることは皆無だ。そんなことも知らなかった。
声が出たり、出なくなったりするということを繰り返したのであまり楽観的になれないのだが、今は今できることをありがたく享受しようと思う。
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