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フリーランスという生き方、はじめました_トーキョー奮闘自営生活

2019年4月にパリから帰国して早4ヵ月。久しぶりに会う友人に必ず聞かれる「最近何しているの?」。
実は6月からフリーランスという生き方をはじめました。色々な選択肢がある中で悩みに悩みましたが、最近やっと整理して言葉にできるようになってきました。その理由や決め手になったおはなしは今後綴っていくとして、「パリ節約自炊生活」をフォローしてくださっている方のためにも、そもそもなぜパリに行くことになったのか、そして今どうしてフリーランスという生き方を選んだのか、簡単にまとめてみたいと思います。

サラリーマンと総合職と私

新卒で入社した会社で、私は13年間お世話になりました。とても良い会社で、現場、営業、マーケティング、新規事業と様々な経験をさせてもらい、最後の3年間は子会社の副社長という大役を任せていただきました。とても刺激的で充実した毎日でしたが、その反面、徐々に私の中でむくむくと違和感のような気恥ずかしさのような気持ちが湧いてきたのです。

初めて人に会う時、私は必ず社名と役職を名乗り、相手は社名と役職に対して「すごいですね!」や「(初対面でも)いつも大変お世話になっております!」と反応をしてくれる。でも、社名と役職を脱ぎ捨てた時に、私に一体何が残るのだろう。

そんなもやもやした気持ちを抱えていたある日、(後の)旦那さまに出会いました。旦那さまは「手に職のある人」で、所属ではなく自分の腕でご飯を食べている人。総合系学部を卒業し総合職で入社、「自分はこれの専門家です」と胸を張れるモノがない私にとっては尊敬する生き方をしている人です。

旦那さまとパリと私

そんな旦那さまと出会って3週間目のある日、夕食に待ち合わせしたレストランの席に着いた旦那さまが開口一番「パリに行くことになりそう」。そこから吃驚したり悩んだりするわけですがその辺りは割愛し、更に3週間後の七夕の日に「一緒に行きます」と伝えました。

前職は制度上仕方なく退社することになり、無職の状態で渡仏。言語の壁があるフランスで職に就くのは難しく、日本の知人とやりとりして何かできることはないかと思案する中で発見したのが、フリーランスという生き方でした。

そもそも一部上場企業で13年も働いていると、起業家やフリーランスという生き方をしている人に出会う機会はほぼありません。もちろん概念や言葉としてのフリーランスは知ってしましたが、全く自分事化されていませんでした。パリ節約自炊生活を通じて、そういう生き方もあるのだと漠然と思うようになりました。

パリ節約自炊生活とフリーランスと私

そんな1年間のパリ生活を経て帰国。元の会社に復職する、他の会社に転職する、など様々な選択肢がある中で、悩みに悩んでフリーランスという生き方を選びました。

サラリーマン家庭で生まれ育ち、やりたい事も明確でないまま総合系の学部を選択、みんなと同じように就活をして一部上場企業に入社して様々な職種を経験することに何の疑問も持たずに生きてきた私からすれば、相当コペルニクスな意思決定です。

ただ一つ言えることは、パリで見て、聴いて、味わって、綴った一つ一つが、私の考え方や生き方を大きく変えてくれたということ。ちょっと冒険して今までとは違う生き方をしてみても、まだ遅くないんじゃないかと勇気をくれたのです。パリ節約自炊生活に比べたら、どんな挑戦でも可愛らしく思える。

だから、私がフリーランスという生き方を選択したのは、パリ節約自炊生活があったから、そしてそのきっかけをくれた旦那さまがいてくれるからなのです。パリ節約自炊生活を楽しんでくださっていた方の興味関心とはもしかしたら離れてしまうかもしれませんが、パリ節約自炊生活があったからこそ感じられる、表現することができることを、「トーキョー奮闘自営生活」で綴っていきたいと思います。




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