「急に具合が悪くなる」かもしれないから
・久方ぶりに体調を崩した。じわじわと寒くなってきて、腰が痛くなってきて、あぁ、コレって熱がある状態なんだと理解するのに時間がかかった。
・家に着いたらフラフラで。私いま体調が悪い、治さなきゃ治さなきゃと焦って、食欲もあるんだかないんだか分らぬまま急いでご飯を食べて、モコモコとあたたかくして、水分を手元に置いて、自分は「病人」だと意気込んででベッドに入った。
・億%の回復の儀は功を奏して、晩は38度まであった熱は朝には36度まで下がり、「まァちょっと喉に違和感があるかな?」くらいまで復活した。
・今回の場合はどこでウイルス(菌かもわかりませんけど)をもらってきたかは分かってる。だから良い悪いは置いておいて、心づもりはできていましたね。
・ところで体の調子が悪くなると、私の場合は心の調子まで悪くなる。鬱っぽくなると筆が進む。ジメっとした文章がスラスラ書ける。
・ちょっと特別な日に、相手の体調が悪そうだったらみんなどうするだろうか?早く帰って安静にしてなよ、と間髪入れずに言えるだろうか?
・いつもよりも時間をかけてメイクをしてお気に入りの服を選んで、楽しみにしていたからって、少しでも長く一緒にいたいと思ってしまった自分の傲慢さに心底ガッカリしたし、自分のそういうところが嫌いだ。
・「大丈夫?」と聞いたら相手は「大丈夫」と言うしかないことなんて分かりきっている。その「大丈夫」は我慢すればの条件付きだったんじゃないか。
・それなのに「大丈夫」を鵜呑みにして、甘んじて。身近な人さえ労ることができないでどうするんだろう。そういう職業に就くのに。本当に自分自身に呆れてしまう。
・風邪はまだしも、例えば痛いのサインを軽んじて、実は脳卒中でした、ハイ手遅れですなんてことになったら私は一生私を呪うと思う。相手のためにも多少強引でも家で休んだ方がいいよは言えた方がいいし、自分を苦しめないためにも言わないといけない。
・たぶん私は他人よりも健康に対して気を遣っていて、それは体調が悪いと周りに迷惑をかけるからとか能率が悪くなるとか、理由はいくらでもつけられるけど、いちばんは死を意識しているからかもしれない。
・そんなの大げさだ、説教臭いと言われそうだけれど、どんなに楽しいこともつらいことも、生きていないと経験できない。楽しいことを一緒に経験したい人がいたら、私はその人の体調をこれでもかってくらい心配するし、健康でいてほしいと本気で思っている。
・病気を軽んじていると、いつか痛い目を見ます。絶対に。だってすごく気をつけている人にも理不尽に降りかかってくるものだから。対策も予防もしていなければ奴らはつけこんでくるに決まってる。
・「急に具合が悪くなる」は哲学者の宮野さんと人類学者の磯野さんの往復書簡。死との向き合い方がこれでもかと全力の言葉のキャッチボールで交わされる。
・感動とかじゃない、これがリアルで、こうやって生きた人がいて、怖いだろうに、逃げずにそれを受け止めた人がいることに泣いてしまった。
・人はいつか死にます。それは今じゃないかもしれない。でも明日かもしれない。急に具合が悪くなる可能性だってあること、そうなったらどうする?動じず生を追求できる?
・だんだん話がズレてきてしまいましたね。ただ、私は生きることへの、健康であることへの執着を持つことは悪くないんじゃあないのって思うって話です。