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000 ‖ ゆなつなという生き物について(自己紹介編)

はじめましての方は、はじめまして、そしてようこそ。
そうでない方は、いつもありがとう。ゆなつなです。


はじめに

さて、数多あるブログサービスやらSNSやら一通りやってきましたが、元々の性格が三日坊主であるからか、なかなか続きませんでした。
し、世界に発信して自己主張する、ということに特に興味がありませんでした。特に日本語で言語化することに対する苦手意識が強すぎて、何かを書いて発信するという行為に自己肯定感を得られないからだと思います。
振り返りも苦手で、都合よく言えば過去にこだわらずひたすら前を向くタイプで、とにかくイマを生きることに集中しがちだからというのもあるかもしれません。

ただ、前職がクリエイター集団だったので、みなさんnoteを始め様々なサービスを活用して、自分の存在を世界に訴えていらっしゃいました。
それがまぶしかったし、羨ましかった。

当時はあまり余裕がなかったけど、色々これから時間が取れそうなので、一念発起してわたしもnoteでアウトプットしていこうと考えました。

まだまだ不慣れゆえ、色々とご指導ご鞭撻いただけますと嬉しいです。


ということで、自己紹介編スタートです。
(自分の整理のためにも、年表形式にしました)


1989年 横浜に産み落とされる

北海道出身の両親の元に生誕。


1991年〜2004年10月 アメリカ在住期間

2歳の誕生日を迎える前に、エンジニアの父の仕事の関係で渡米。
シリコンバレーの外れで、プール付きの年季の入った平家にて伸び伸びと育つ。
平日は現地校、土曜日に日本語補習校へ通う日々。
周りのお父さんもほとんどがIT系従事者で、みな裕福で、アジア系アメリカ人(日系三世とか四世とか)が多く在住。子どもたちも優秀で、公立校からトップレベルの大学に進学する子多数。
テニス・スイミング・ピアノ・乗馬・YMCAを初めとした、様々な習い事をさせてもらう。また、幼少期より頻繁に日本へ一時帰国して、親戚回りついでに各地方の小学校へ体験入学したり、JAPAN RAIL PASSで日本横断旅行したり、北海道での19泊20日のサマーキャンプに通ったり、色々経験させてもらう。これに(今更ながら)両親にとてつもなく感謝。
駐在期間のうち、最後の2年間は東海岸へ移住。
ここで初めて「人種」というものを意識する。日本人に対する近所の目や、白人主義者や黒人差別する人が普通に周りにいてびっくり。自分の知っているアメリカは、ほんのひとかじりだったことに衝撃を受ける。


2004年11月〜2005年3月 帰国&ちょっとだけ日本の義務教育を体験

父の急な帰任により、10数年ぶりに日本へ本帰国。
今まで年に2回は一時帰国していたものの、自分のなかで日本は「長期休暇で遊びに行く場所」であって、日本人としての自覚は皆無。思春期真っ只中もあって、帰国に対して激しく抵抗。
本帰国前に母が何度か一時帰国して、わたしのような長期海外在住の帰国子女でも受け入れてくれそうな日本の高校を調査してくれて、4校ほどに受験を絞り込み、提案してくれた。うち1つに惚れ込み、帰国子女入試で無事合格。
帰国後は、一時的に住処を構えていた地域の、地元の市立中学校に在籍。日本の田舎文化、もとい、日本のteenager文化に衝撃を受ける。正直いえば、みんな幼く見えて、ひとりお高く止まっていた(いま思うとめちゃくちゃウザかったと思う)。受験シーズン真っ只中にも関わらず、こんなにもめんどくさい案件を受け入れてくれた学校に感謝申し上げます。その説は本当にお世話になりました&お騒がせいたしました。


2005年4月〜2008年3月 偏差値76の高校で落ちこぼれ生活

地元の某進学校に外部生として入学。
中高一貫校のため、中学からは7クラス持ち上がり、外部生2クラスの学年9クラス計360名程度のまあまあ大きな学校。外部クラスには帰国子女が10名ほど、スポーツ推薦も10名ほど。自己同一性を毎月説く校長先生が名物で、かなりユニークかつ自由な校風。
周りが優秀すぎるのと、元々勉強嫌いもあって、英語以外は3年間ほぼ赤点で、部活に明け暮れる生活を送る。
大学受験では、アメリカの大学と日本の私立大2校に絞る。
最後まで進学先を悩むが、入学金振り込み期日最終日、地元のターミナル駅のみずほ銀行の前で、入学金100万円の札束を母親に握らされ、決断を迫られる。号泣しながら決める。
ちなみに隣のクラスでは40人中10人が現役東大合格する、驚異の進学率。


2008年4月〜2012年3月 自分探しをした大学時代

某私立大学の某田舎キャンパスにAO入試で合格。
推薦およびAO入試者が一同に介する会を学校側が入学前に設けてくれたおかげで、AO入試仲間とたくさん知り合えて、入学に向けた不安を払拭できた(一方でみんな優秀すぎて内心ビビってた)。当時はmixiが全盛期で、みんなでコメントし合って盛り上がったり、あとお揃いのTシャツ作って大人の運動会に出場してみたり、とにかく青春してた。
入学後は、高校から始めた部活動を継続するためにメインキャンパスとの往復をする日々。
最初は実家から通学するものの、片道3時間近くかかるため、1年生の夏頃に挫折。横浜で一人暮らしを始める。
1年次、わたしの年度で始まった必修科目内の模擬選挙プログラムに立候補して、今でも交流ある大切な仲間と昼夜議論。結果、2位当選ではあったものの、完全燃焼。
秋学期が始まる頃に、模擬選挙も部活の新人戦も終え、ふっと力が抜けてしまう。鬱々とした日々が続き、課外活動やアルバイトやFXに明け暮れる。このころから部活を休みがちになって、同期や先輩後輩方には多大なる迷惑をかけてしまう。その説は本当に申し訳ございませんでした。
就職活動は早めにスタート、ベタにメディア(主にテレビ)を一通り受け、キー局は全落ちするも地方局に拾われる。そんな中、卒業間近の2011年9月11日に震災を経験、日本やばい!となり、日本のためになる仕事に就きたいとピボットし、ギリギリで総合商社内定に滑り込む。
体調のアップダウンがあるなかでも、なんとか授業を取り続け、研究会も先生やメンバーにサポートされなんとか卒論を出して、卒業。
卒業旅行として、内定仲間と南米はペルー・ボリビアのバックパッキング旅に出る。

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ウユニ塩湖での光景が忘れられない。


2012年〜2015年 社会人1社目

紆余曲折あって、結局総合商社の総合職として社会人生活をスタート。
毎年大体1部署につき1人の新卒が振り分けられるなか、ゴールデンウィーク明けの配属発表で、とある部署に11年ぶりの新人として配属。内定者時代から続いた中国語研修を週2日、始業前に1時間受講し続ける。いま思うと会社のお金で勉強させてもらえるなんてこの上ない幸せなんだから、もっと真面目に勉強しておけばよかった。
夏休み後に、同期より一足早く、しかもひとりで海外出張に出してもらうも、現地での商社ビジネスの現状を目の当たりにし、複雑な気持ちを抱く。


2015年〜2016年 社会人2社目

悶々としていたところ、とある筋からお話をいただき、外資系ITに転職。
超有名企業なのに、全く未経験の人事分野で迎え入れてくれる。優秀なマネージャーと同僚に囲まれ、福利厚生も最高な職場で幸せな仕事生活を送る。
原宿神宮前の大規模シェアハウスに住み、色んなバックグラウンドをもつ住人とワイワイ過ごす日々。
ただ、ここでもやはり悶々とする。


2016年〜2018年 暗黒時代

色々起こる。まだこの時点では詳細書けないかな。


2018年〜2019年 社会人3社目&人妻1年目

某面白法人に転職、クライアントワークとグループ戦略と人事という軸で色々挑戦させてもらう。けど、ここでも悶々。
そんな中、my knight in shining armorと出会い、人生で初めて自分を愛せるようになる。
ウルドゥー語で、

naz ー 誰かに無条件に愛されることによって生まれてくる、自信と心の安定

を意味する言葉があるらしいが、彼はわたしの全てを受け入れ支えてくれる人生最高のパートナーとなってくれました。そして結婚を機に寿退社。
披露宴はせず、その代わり親族のみの盛大な神前挙式を執り行ってもらう。
バリキャリで働くつもりだったけど、それよりも主人との生活のほうが大切で、思いもよらなかった専業主婦生活に勤しむ。が、また悶々とし始め、今後のキャリアについて悩む。一応再就職に向けての活動は細々と続ける。


2020年 現在

会社員に戻ることも検討しましたが、フリーランスで生きていこうと思います。
それは、いままで大手〜外資〜スタートアップと渡り歩いてきたけど、これからの日本において副業解禁やら終身雇用制度の崩壊やらが起こるとされていく中で、「組織」は死んでいくと確信したからです。これからは「個」の時代。
日本政府も、個人がよりよい生活を送れるための様々な施策を打ってくるし、税制優遇も行うだろうし、人生100年時代を迎える現代では「個」が強くないと生きていけないからです。
いつまでも組織にしがみついていてはいけません。
自分で自分を守らなくてはいけません。
そのためにも、今からしっかり準備を整えよう、そう決めました。


今後のこと

まだ色々構想段階ではありますが、2020年1月現時点でやろうと思うのは、

・新会社設立
・オンラインでMBA取得
・様々な事業規模の企業様に対して経営/組織/人事に関するソリューションコンサルティング提供
・様々な個人に対してキャリア/思考/心身の健康に関するカウンセリング提供
・上記に向けて様々な勉強や資格取得
・何よりも家族との時間を最優先

に取り組もうと思います。

パートナーシップのご相談、メンター立候補、お仕事依頼、取材、なんでも受け付けます。
TwitterのDM開放しておりますので、お気軽にご相談ください。


最初のnote投稿にしてはとてつもなく長文乱筆(書き始めてから現在2時間半経過)となってしまいましたが、三日坊主にならぬよう、またもっと読みやすく発信できるよう精進して参ります。
何卒ご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします。



2020年1月26日 ©︎ゆなつな

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