「マンスプ備忘録」スタート🌟
(1)居酒屋バイト系文系女子大学院生という肩書
こんにちは!私は都内の大学院で労働経済学を学んでいる文系女子大学院生です。研究内容は非正規労働で、特にフェミニズム・ジェンダー論に夢中で、日々学びを深めています。
そんな私ですが、実はここ数年都内の居酒屋でホールスタッフとして、アルバイトをしています。
大学1年生から複数の飲食のホールスタッフのアルバイトを経験してきました。私が初めて学校以外で大人と関わる場所もアルバイト先の飲食店でした。
接客の仕事には今まで自信をもって働けている感覚は持てていなくて、いつまでも慣れない仕事裁きで、時々お客さんをひやひやさせたりもしています。(笑)
でも、飲食業界は、私が普段関わるような自分と同じような境遇の人だけでなく、多様なバックグランドを持つ人たちが集まっています。例えば、推し且つガチ勢ほぼ正社員アルバイター(週5・6で働いている)、普段はゲーマーとして活躍していて、暇つぶしに居酒屋で働いている先輩、わたしより6歳も年下の正社員、ホストクラブが好きで週6で働いて、仕事終わってから新宿に繰り出すほぼ正社員、モデルや俳優業をやっている人もいます。あと自己肯定感が低めの東大生もいます。みんな癖が強くて、いくらでも深掘りできる人としての厚みがあります。というか、数年一緒に働いていも、会うたびに新たな一面が見れて、底知れぬ感じがあります。沼です。きっと、新卒で正社員として働いていたら、出会えなかった人たちだと思っていますし、彼女ら彼らとの関りは、私のこれまでのライフコースでがちがちに固められてきた価値観に、別の視野を与えてくれることがたくさんあります。
というか、逆に大学院生で居酒屋バイトは結構特殊なので、よく質問されます。(笑)
いつもなぜ自分が居酒屋で働いているのかについては、自分でも答えが出せず、時々やめてもっと別の仕事をしたいと思ったりもしています。なぜなら、社会的に居酒屋のバイトで得られる技術や技能は限られているとされているし、大文字の「キャリア」につながる経験と言えるのかというと、やっぱりそうでもないと思うからです。でも、この仕事は何年やっても難しい、慣れない、つかめない仕事です。
(2)居酒屋ホールスタッフで得られる技術?
毎日違うお客さんが来て席が埋まり、注文を取り、料理を運び、席の時間を管理して、いつ呼ばれてもいいように各席の動きを見守る。同じ店なのに、毎回毎時間、異なる空間にいる感覚です。そして、すごく繊細な感情労働を稼働させています。どんなに疲れたり、手が回らなくても、ある程度失礼のない対応をしなければいけないし、愛想も維持し続け、細かい要望に可能な限り答える。お客さんが何かを求める前に察知しないといけないとかも、よくバイトの先輩たちに指導されてきました。
そして、私がなによりひしひしと感じているのが、居酒屋という空間はとてもジェンダー化された場所だということです。まず、私のバイト先のホールスタッフは9割が女性。しかも若い女が好まれる。外見も重要視されるだけでなく、制服はまさかの「割烹着」。よく、お客さんに「割烹着がよく似合うね」と声をかけられますが、これ、内心本当に苛立ちます。こういう会話を挨拶だという人はいくらでもいるでしょうが、あなた(客)が向ける私への目線が嫌なんです。
割烹着が連想させるものは、料理上手の家庭的な女性だとしたら、私はただバイトでこれを指定されて着ているだけで、私にとってはエプロンでしかなく、身体の一部でもない。なのに、割烹着姿の私に投影されているのは、既存のジェンダー規範に都合のいい女性像そのものです。
割烹着は、私のバイト先に限った特殊な例かもしれませんが、スタッフが着物を着るお店や制服自体もかなり女性の身体の特徴を強調するようなデザインになっているものも良く見るので、飲食業界全体として、こういう傾向はあると言えるのではないでしょうか。しかも、割烹居酒屋で働いていた大学の友達から聞いた話ですが、着物を着る飲食店でバイトしている子は30分前にお店に入って着替えを行うそう。しかも、着替え時間は、無賃です。
こうやってジェンダー化された空間で働いていると、居酒屋のホールスタッフに向けられるお客さんからの性的な視線と露骨なジェンダー規範の強調に、日々精神が擦り減らされます。最初はお客さんからの心無い言葉や視線が、怖かったし、悲しかった。でも、いつの間にか慣れて、うまくあしらって、喜んでもらえたらいいかとか、たくさん注文してくれたからいいかとか、それが一つの能力のように思うこともありました。
でも、私はもうそれに我慢が出来なくなりつつあります。客や社員の一つ一つの言葉に苛立ち、怒りを覚えていて、なぜこの感情を我慢しなければいけないのか。うまく対応できたら評価されるのか。そんな評価にどのくらい意味があるのか。それを評価基準にするこのお店とこのビジネスが、どれほど働く人の意識と身体を静かに蝕んできたのかとか、考えてしまうのです。そして、つい今日の朝、今私の持つ感情を我慢するのではなく、ちゃんと記録して誰かに伝えようと思いました。
(3)フェミニズムに夢中な私は「マンスプ」を見逃せない
私はアルバイト以外の多くの時間をフェミニズム、ジェンダー・セクシュアリティの研究に割いています。なぜなら、私が生きる上での生きづらさや置かれる複雑な状況や、わたしを取り巻く権力関係を説明する言葉を与えてくれるからです。そしてこれらの理論に出会って、自分の表現を得て、同じような境遇にいる人たちの存在を確かめることができました。まだ、私自身がなにか社会に対して、あるいは他者に対してしたことはないけれど、少なくともこの社会を自分の頭で考え、別の道を切り開く土壌は作れたと思っています。
そして、なによりこれから私は、「マンスプ備忘録(マンスプレイニング備忘録)」なるものをこの場に書き綴っていこうと思っています。それは、様々な不均衡な権力関係によって、わたしの身に降りかかる、小さな出来事をちゃんと記録し、その時の怒りや悲しみを忘れずに、そのおかしさをちゃんと表現したいからです。
「マンスプレイニング」という言葉を私が知ったのは、2年ほど前ですが、実際に私がこれは「マンスプレイニングだ!」と認識することができるようになったのは、つい最近の出来事です。自分の先輩にあたる人が、多くの人が出席する公的な場で、マンスプレイニングに該当するような対応をされている瞬間を目の当たりにしたのです。ちなみにその先輩は日本国籍ではない30代の女性で、マンスプレイニングをしていたのは、彼女より年齢的には2・3歳上で、社会的に一定の評価をされてきた男性でした。
これを機に、マンスプレイニングの定義を確認してみました。マンスプレイニング(以下、マンスプと省略。)は英語表記だと"Mansplaining"で、「男性」を意味する"Man"と「説明」を意味する"Explain"を掛け合わせた造語だそうです。 Cambridge Dictionaryの定義をDeepLで翻訳すると、「相手が愚かであることを示唆するような方法で、誰かに何かを説明する行為。特に、女性がすでに理解していることを、男性が女性に説明するときに使われる。」でした。私の経験では、「無知」であることで正常に機能している既存の権力関係の危機のように思えます。従属的な位置に置かれるものが「無知でない」と主張することで崩れそうな権力関係をさらに管理することで、なんとか維持しようとするようなのです。
また、朝日新聞社は、2024年5月23日に独自で「知っていますか?マンスプレイニング」というアンケート調査を実施し、その結果も公開しています。知っていますか? マンスプレイニング - フォーラム:朝日新聞デジタル (asahi.com)
計209回答のうち59.3%もの回答者がマンスプをされたことがあると答えており、また12.4%がマンスプをしたことがあるとの興味深い結果になっていました。
さらに、ちょっとおもしろかったのが、BBCの記事です。マンスプをしていることを心配している人達が、自らの発言や行為がマンスプなのかを判断できるチャートが記載されていました。Mansplaining, explained in one simple chart (bbc.com)
メディアを中心にマンスプに関する情報や知見が蓄積されている状況が伺えます。
ちなみに、マンスプやセクハラ(セクシュアル・ハラスメント)を聞いた際に連想するジェンダーの力関係というと、一般的には、「する側」は男性で、「される側」は女性と連想しがちです。私の例でいえば、40代以上の年配の男性(客の場合が大半)が「する側」で、「される側」の私は若年女性(飲食店バイト、大学院生)です。ただ、実際はかなり複雑で多様な関係性で起きています。私の身に起こるマンスプも時によって状況は大きく違いますし、私自身の属性を自分が認識している以上に複雑なこともあります。そのため、私はもっと詳細な権力関係の把握が必要であると思っています。たとえば、両者がどのような社会的地位にあるのか、どの経済的基盤を持つか、セクシュアリティや、民族バックグランドについて、さらに障害の有無などを把握する。さらにそれらの重なり・複合性(intersectionality)についても捉え、マンスプが働く際の権力関係を分析していく必要があると考えています。
(4)私のマンスプ経験(小出しバージョン)
ここからは、マンスプレイニングに関する私の身近な例を挙げていきたいと思います。
私はバイト先で、60代前後の男女4人の席に配膳しに行った際に、一人の男性から「あなた何歳なの?」と言われ、正直に年齢を言ったところ、思いもよらぬ答えが返ってきました。それは、「あなたくらいの年齢の子を見ると、説教したくなるんだよ。」という言葉でした。私は内心、「出ました、説教おじさん。初めて会ったよ。」と思いました。
さらに、ちょうど昨日、また同じバイト先で30代の男性4人組の席の注文を取りに行ったところ、メニューに記載していた魚について「きみ、この魚のこと知っている?」と言われました。私はその魚のことについて知っているので「知っています」と言いました。私としては、お店で働いているのだから、料理や食材についてはある程度知っていますし、わからない際は必ず確認しています。でも、こういう何も知らないであろうというのを前提に、客が私に様々な質問をしてくることは本当によくあることで、しかも、「知らない」というと大概嬉しそうにして、説明を始めます。この前は、「この酒の酒蔵に行ったことはある、知っているの?」と聞かれ、「知らないです」と答えると、「そりゃあ、知らないか」と笑みを浮かべているような客もいました。
本当にこういう例を挙げていったら、きりがないので、次回からはその都度書いていこうと思っています。
(5)"社会に出てない若い女"は大学院でもマンスプされる
また、私の日常的なマンスプ経験は居酒屋だけの話ではありません。私が通う大学院という空間でも、同様の場面に頻繁に遭遇します。”若くて社会に出ていない”ジェンダー・フェミニズムを理論の基盤にして意見をする女子大学院生に対する大人(社会人大学院生や先生)たちの対応は、とても辛辣です。それはたとえ、私の意見がこれまでフェミニストたちが築き上げてきた重要な理論に基づいたものでも、”価値のない”ものと見なされます。私のする率直な意見にマンスプ的な対応を取っている姿を見ると、きっとマジョリティである彼らにとって”抑圧的”で”攻撃的”なものであるからなのだろうと思います。
すくなくとも私は自分の日常から、”若くて社会に出ていない女子”に向ける最初の本音が、「なにも知らないだろうから、教えてあげる」である瞬間は数えきれないほどあることを知っています。
そして、これに対してどれほど私が、論理的に問題であるのかを論証しようとしても、マンスプレイニングを無自覚に行う本人たちとその空間によって、無意味化されてきたのかについても経験してきたつもりです。
大学院では、私の意見には論理性がないというような態度がよく向けられます。そもそも、日本の大学院に経済学を専攻する新卒大学院生(特に女)がいなさ過ぎること自体、かなりの構造的問題が存在しています。さらに自分の意見を授業内で積極的に主張する人は本当にいません。私は、自分の意見や質問をしすぎると、自責の念に駆られることもありますが、その後毎回、自分を責める必要はないと思いなおします。なぜなら大学院には自分のために学びに来ているので。
でも、特にジェンダー問題や若年層の問題に関するトピックを扱うと、周りの学生たちの表情は険しくなります。最近よく出会うロジックは、「女性が社会的な活躍ができるようになったことで、女が強くなって、男は抑圧されている」とか、「今の若者は、自由な選択ができる社会で生きているのだから、生活が不安定で生きづらいのは自己責任だ」とか、「少子化が進むのは、女性が社会活躍をするようになったせいだ」とか、「若者が子どもを産まないのは、社会的責任を果たしていない無責任な人間だからだ」とか、「人々が多様性が大事というから少子化は進む」とか。率直にとても差別的です。それに対して反論しようとすると、大体遠まわしにでも言われるのは、「あなたはまだ若いから」「社会に出ていないから」「想像力がない」とか、あるいは「理想論だ」ということです。ちなみに私はかなり現実の例を用いて話をしています。さらに、より理論に基づいて、例えば「未婚化」や「非婚化」の動向について話をしても、理論に「偏り」がある、あるいはその意見は、「主流ではないから」と流されて、どちらかと言えば、データをうまく並べた発表が評価されます。また、そうした発表が評価されるポイントは、「グラフがきれい」、「データがいっぱいあって分かりやすい。」とかです(もちろん他者に向けた発表ではこういう評価基準はかなり重要で、私も発表において改善が必要だと思います)。
私は、この春取った授業で、自分の質問や意見が周りの意見と異質であったり、その場に即していないように思うことは何度もありました。そのたびに、私の認識が間違っているように思い、自分の勉強不足をとがめることもしてきましたが、評価してくれる人もいることで、少なくとも、私の意見が間違っているというよりは、私の属性によって意見が軽視されている瞬間が多くあるということに気づきました。そして、こういう経験をしている人は私だけではないだろうということも感じています。
(6)ここまで読んでくれた方、もう最高です!
なので、今後この「マンスプ備忘録」を地道にnoteに書き綴ることで、自分の経験を鮮明にここに残して、その都度考えたことを表現していければと考えています。次回からはもっと短めに話します!(笑)
長くなりましたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!!!