死について - 死は生の問いになる
ここ最近のプロセスの中で、「世界はバランスである」というヒントを頂いて、居心地の悪い感覚(フラストレーション)を抑圧すれば、生き生きとした喜びも麻痺すること、
清濁合わせた個性というものを抑えようとすれば、霊性も空想の世界になりかねないこと、地に足が着いていなければ天など感じられないこと、そんな事に思いを巡らせていた。
そういう流れもあって、死というものをタブーにしたり避けていると、生は立ち上がってこないのではないかと。
そこで、死について見つめてみようと思い、とある方の「死について」のラジオを聞いて、死について感じたことを今日は書いてみたいと思う。
ラジオを聴いて涙が止まらなかった
とある方のラジオをというのは「くりはらせいこ」さんのstand.fmのラジオチャンネル。その中の「死とは何か」について考え続けた11年を振り返るというもの。
約50分間のそのラジオを聴いて、私は涙が止まらなかった。
死というものに思い巡らせた幼い頃
まだ幼稚園に入ったか入っていないか、そのくらいの頃、毎日夜になると「死」について考えるようになった。
最初に浮かんでくるのは両親の死、いつか自分の前からいなくなってしまうのかと思うと、寒気を通り越して、どこか暗い暗いブラックホールのようなところに入り込んでしまうような恐ろしさや虚しさを感じた。
そして自分の死。いったい死んだらどこへいくんだろうか。どうなるんだろうか。記憶は残っているのだろうか。それとも一切が泡のように消えてすべてがなにもなくなってしまうのだろうか。
何度も転生を繰り返して、ずっとずっとずっと終わらない繰り返しと思うと、またゾッとするし、一切が消えてまったく何もなくなると思ってもゾッとした。結局、答えも解決も無いような問いで、最後はやっぱり恐ろしくなり、両親のところに走っていっては眠りについた。
ものすごくはっきり覚えていることは、小学生になった瞬間に、ここで生きないとと思ってこの世界に没頭しはじめたこと。死とかそういうものには蓋をがっちりして、誰かに問うこともできず、生きることになる。
死に触れる
10歳の頃、一緒に暮らしていた祖母が自ら命を絶った。突然の警察からの電話に家の中が騒然としたのを覚えている。前日の夜に、ベランダで最後に祖母と話したのは私だった。
孫の私が、何か一言でも生きようと思える言葉をかけられたんじゃないか。そんな悔恨の思いが何度も何度も出てきた。
祖母は、父の叔母さんで、父が10歳の頃に災害(伊勢湾台風)で家族すべてを亡くしたので、いくつかの家を転々としつつも最後に父を引きとって育てたのが祖母だった。
そんな背景も子供ながらに知っていたので、父の気持ちを思うだけで心が裂けてしまいそうだった。神様は、なんでこんな試練をまたしても父に与えるんだろうか。
何かを言葉には出来なかった。全員が悲しかったから。ぐっと心の中にしまいこんで、みんなが悲しみに暮れていた。
精神世界のことを学び始めた時も、何度も祖母のことは浮かんだ。消化しているような気もしたし、もはや感じないようにしているようにも思えて、わからないほどだった。
その後も、小中高と、同級生3人の死に触れて、20代にはまた、鬱病を患っていた友人の自死にも直面した。結局何も力になれなかった、どうにもならない、という思いに、その時も苛まれた。
死についてマインドフルでなければ、いかなる修行も表層的なものになる
そのラジオの中にあって、心に残った言葉のひとつは「死についてマインドフルでなければ、いかなる修行も表層的なものになる」というもの。
それを聴いて、最近の光と闇の話ともリンクして、死に蓋をして生きていても、やっぱりそれは片面だけのような気がした。
避けようの無い「死」というものを、どう感じゆくのか。蓋をするのでもタブーにもしなかった時に、生が立ち上がってくるのではないか。
けれど、一人でそれに向き合うことはとても重たく、そんなことをシェアできる場はこれまでなかったし、話したって無意味なんだと思ってきたけれど、ラジオを聴いただけで少し蓋をしないでおこうと思えた。それだけで何かがきっと違うはずだ。
死や喪失が必然の世界への怒り
そもそも、子どもの頃から「これができるのは最後かもしれない」「ここに来られるのは最後かもしれない」とか、いつまで生きていられるかなんてわからないという、そういう「死」と隣り合わせのような感覚がいつもあった。
両親でもパートナーでも、いつもそんな感覚で見ていると、あまりに一瞬のかけがえのない時を過ごしているという心持ちにもなって、上京した後に地元に帰省しては、帰る時には今生の別れのように涙が止まらなくなってしまうというのが常だった。
それでも、それは感動というよりは怒りに似ていた。なんで神様はこんな世界をつくったんだ。どれだけ喜びや幸せを感じたって、死や喪失が必然の世界に、なぜ私は生まれなくてはいけなかったのか。私の根底にはやっぱりずっと、このやり場のない怒りがある。生きる喜びと共にそれも、やっぱりあるのだ。
死は、闇は、悪いものなのか
また、ラジオで他に心に残った言葉として、「生老病死はメッセージとしてちゃんと受け取ること、出逢うことが大事」「不可避な困難、苦も楽も、それらと親密に触れ合って深く味わい知るという課題をするのが仏教」という仏陀の言葉。
そして、ラジオでお話しされている方が、死に関することを体感するワークの中で、「自分にとって最悪のシナリオで死んだ時に、身体がどう感じているか?」という問いに対して、身体を通して受け取ったメッセージが印象的だった。
「最悪のシナリオの中でも、驚くことにすごく深い安らぎを身体は感じていた」ということ。すべて朽ちていくことを元々身体は知っているし、どんな死に方でも、身体には元々その叡智が備わっていて、いいも悪いもないということ。良い悪いというのをのせているのはマインドなんだと思うと。
もう、その辺りの後半は嗚咽しながら聴いていたのだけど、「どんな死に方でも」という言葉、深い安らぎという言葉を聴いて、祖母の死への思いが少し軽くなったように思う。
私はどう生きたいのか
そんな、この世界への憤りを感じているような私でも、それでもこの世界でいったいどんな「生」を送りたいんだろう。
あまりにどうにもならないような「死」を前に、それでも「生」を楽しむということは綺麗事のようにも感じて、虚しくもあったけれど
この憤りは、生きて生きて生きたいのだという力になるかもしれない。逃げたくなるような闇や死の中に、いつか体験として安らぎを見出すことができるのかもしれない。
私は生も死も光も闇も、ジャッジメントで見るのではなくて、元々備わっている叡智で体感していきたい。そういう思いが心に灯ったような気がする。
祖母の死も、トラウマだとか昇華させないととか、そんなことよりも、たまに浮かぶその瞬間瞬間の思いが、その瞬間の真実として味わい受け取っていけばいい。何より、どんな過去の体験も「生きること」への問いにしていけばいいのだ。
まだはっきりと答えなんて出ないけれど、こうして、死というものを少し感じられたことが、きっとまた私を助けてくれるだろう。
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