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40歳と365日

夏に突破口が開ける。これが私のパターンである。

私は普段、スピリチュアル関連は全然信じない(むしろ苦手)であるが、自分の体験を振り返るときだけは都合よく気だの運だの縁だのを持ち出す。で、その代表的なのが「梅雨に煮詰まり、夏に突破口が見える」である。仕事などの転機を迎えるのも夏が多い。そしてこれは、夏の終わりに年を取るのが理由なのではないかと密かに思っている。まあ、私が片頭痛持ちで単に梅雨の時期がしんどいだけなのかもしれないが。

そして今年の梅雨時期も例年に漏れず煮詰まっていた。一番深刻だったのは、書くことがあまり楽しくなかったという問題だ。メインの仕事で毎日何かしらの〆切に追われるなか、好きに書かせてもらえる仕事ですらなんとか生み出すという状況で、ましてやnoteなんか書く余力は残っていなかった。いざ書き出しても結局消したり、1行も思いつかず白紙のまま閉じたりしていた。そんな日が続くと、前に一緒に食事した先輩ライターさんが「更年期に入って書くのが大変になった」と言っていたのを思い出し、もうそのときが来たのかと不安にもなった。

だからメインの仕事を縮小して〆切に追われる生活をやめ、精神的に余裕が持てる状況を整えた。これはなかなか勇気のいることだった。なにせ雇われの身でない個人事業主が稼ぐことよりも1円のお金も生み出さないことを優先するのである。それでも〆切をジャグリングする日々からの解放感はとても大きかった。そして隔週金曜の午後は自分の書き物に充てると決めた。

ところが、である。仕事を減らしても、金曜午後をCreative Fridayなどと名付けても、書けないのである。むしろせっかく時間を空けたのに筆が乗らない日々が続くと、一体私は何をしているだろうのかという気分になった。

でもとにかく何か書いていたい。完成度が低くても、書き続けることで何か見えてくるかもしれない。そんなとき、過去の日記を読み返したことで少しだけ気が楽になった。きっと今回もいつものように色々もがいているうちに解決するだろう。そう思うと、書けないしかし書かねばと気負っている自分が何やら少しおもしろく思えた。

そこでnoteを書くハードルを下げることにした。気軽に記事を書けるよう固定ヘッダーも作った。そうして最近公開した記事のなかには自分で納得していないものもある。公開翌日に大幅に書き直したものも。でも指を動かしているうちに、少しずつ調子が戻ってきた。そうすると仕事で書くのにも前向きになり、少し特にこの数日は自分でもいいものができたと感じられ、久々に味わう充足感に安堵した。

そうして迎えた今日は、40歳と365日目である。今年はやや遅かったけれど、またこうして夏に突破口が開いた。これで今年も心置きなく年を取れる。


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