片頭痛で諦めたキャリア構築
「体調不良は自分のせいじゃないのに、それでキャリアを築けないのはフェアじゃない」
これはある友人のキャリアストーリーを取材したときに彼女の口から出た言葉だ。前々回の記事でも触れたその人は、健康の不安と闘いながらMBAの学位を得て、今や女性の健康領域専門のベンチャーキャピタリストとして活躍している(詳しくはこちら)。
この言葉を聞いたときはうんうんと全力で賛同していた私だが、かつては「体調不良でキャリアを築けないのは仕方がない」という排他的な思想を抱いていた。そしてその考えに忠実に、キャリアをいったん諦めた過去がある。
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転職して8か月のとき、会社に行けなくなった私は産業医のすすめで精神科に行き、適応障害と診断された。そして抗うつ剤を飲みはじめ、心理カウンセリングを受けることになった。
私が会社に行けなくなったのは、とにかくひどい頭痛と吐き気があったからだ。前回書いたとおり異動による虚無感は大きかったし、希望していたはずの企画の仕事もまったくうれしくなかった点では、精神的にもやられていたのだと思う。精神科の医師の診断では、それが身体症状として表れているとのことだった。
ただ、抗うつ剤を飲み始めても、正直気分に大きな変化は感じられなかった。仕事から離れていたから、それで十分だったのかもしれない。精神科の診察で話すのは頭痛の調子がどうのこうのという話ばかり。一方で、カウンセリングは自分の思考の癖に気づくきっかけとなり、とてもよい機会だったと思っている。
このときの休職期間(正確には欠勤扱い)は2か月弱だったが、その間は怠けているような罪悪感が常につきまとった。加えて、異動という会社員なら当たり前の要求に応えられない自分はなんて情けないのかとも思っていた。ただ年明けに復帰すると、同じ企画グループで私以外に2人ほど休職が続き、「ああ私だけじゃなかったんだ」と不健全な安堵感を覚えた記憶がある。
復帰後は理解ある仲間のおかげで新たなチームにスムーズになじむことができた。もともと希望していた企画の仕事である。相変わらずPMSや頭痛を抱えていたものの、社外の人との接点が少なく自分でコントロールしやすい仕事内容だったため、編集者時代のように混乱せず自己効力感を抱きながら仕事を進めることができた。ただ波に乗った私は傲慢になりやすい。恥ずかしい話だが、「体調管理も仕事のうち」の考えにどっぷり浸かっていた私は、体調不良で休みがちな仲間に対して温かい態度ではなかった。「自分ががまんしているのだからお前もがまんしろ」というメンタリティである。
最初の欠勤から3年後、晴天の霹靂としか言いようのない異動をきっかけに私はまた適応障害と診断され、長期欠勤することになった。今度は5か月である。その経緯については以前のキャリアストーリーで書いたので割愛するが、この経験が決定打となり私は退職する決心をした。「体調を管理できない=社会人失格」と信じていたからだ。とはいえ表向きは結婚して元夫の住む仙台に行くという理由で、実際に辞めたのは復帰後1年が経ってからだった。
退職する1か月ほど前、相変わらず頭痛に悩まされていた私は、医療関係の仕事をする姉のすすめで初めて頭痛専門医のもとを訪れた。そこで私は30歳にして初めて、私は自分の頭痛が片頭痛と呼ばれる病気であり、専用の鎮痛剤や予防薬があると知った。
当時の症状はズキズキという痛みと吐き気だけだったが、その痛みは動作やにおい、光によって増幅される。よく覚えているのは、通勤時に渋谷駅で山手線に乗り換える階段で、一歩上がるごとにズキッズキッと痛みを覚えたことだ。しかも、頭痛の前には生あくびばかり出て、頭がまったく働かない。適応障害と診断された過去もあり、当時これらは精神的な何かだと思っていたが、頭痛外来の医師によると片頭痛の症状とのことだった。
このときに感じた安堵感ははかり知れない。それまでなぜこんなに頭痛が続くのか、自分は大げさなのではないかと、地味だけれども得体の知れない不安を抱えていたところに、「自分のせいじゃない」とお墨つきをもらった気分とでも言おうか。さらに処方されたトリプタン系の鎮痛剤は劇的に効き、これまで頭痛を相談してきた数々のクリニックではなぜ片頭痛の可能性を指摘してくれなかったのだろうと恨んだほどだ。
当時は引っ越しを控えていたため、その専門医には事情を話して仙台の病院への紹介状を書いてもらった。見ると宛先の診療科は脳神経外科とある。なんだか恐ろしげな名前にやや怯んだが、頭痛専門医との出会いで片頭痛治療への期待が膨らんだ私は、引っ越してすぐに片頭痛の治療に取り組み始めた。
仙台の脳神経外科での初めての診察で、適応障害も含めたこれまでの病歴を話した私に、医師は「そのとき、消えてなくなりたいような気分でしたか?」と尋ねてきた。「消えてなくなりたい気分ってどんな感じですか?」と聞き返す私に、その医師は「その感覚がわからないのなら、それはおそらく精神の病気ではなく、単に片頭痛がひどい状態だったのだと思います」と言った。
片頭痛のトリガーの1つは「変化」だ。適応障害と診断された頃は、ホルモン変化(PMS)、不規則な生活、そして異動という大きな環境変化によって、片頭痛発作が頻繁に出ていたのではないかという見立てだった。
それを聞いた私のなかにむくむくと広がったのは「やはり正社員の仕事を辞めて正解だった」という確信である。そもそも、組織の仕組みに体質が合っていなかったのだ。どの企業でも正社員ならば異動は免れない(このときに想定していたのは国内大企業の総合職だけであり、視野がたいへん狭かった)。「体調不良は自分のせいじゃない」という気づきまでは得たものの、組織に改善点があるとはまったく思わず、適応できない自分が悪いという考えであった。
実際に片頭痛患者のうち、望むキャリアを手放す人は多いという。その内容は昨年当時の担当医師に取材してまとめたので、ぜひこちらの記事を参照されたい。
医師の指導のもと頭痛ダイアリーをつけ、予防のために抗てんかん薬を飲み、発作時は専用の鎮痛剤をタイミングよく飲みすぐに頭を冷やすなどの対策を取るうちに、月に10日はあった頭痛の頻度が徐々に減ってきた。PMSの頭痛も片頭痛専用の薬を飲むことで対処できるようになったほか、「辞めて正解」と思えていたおかげか落ち込むことも減った(ただしイライラや眠気は相変わらずあった)。もちろんひどい頭の痛みで寝込む日もあったが、それが片頭痛発作と知っているだけで少し気が楽だった。
仙台に移住して3か月も経たない頃、私は新たな仕事を見つけた。正社員には向いていないと信じ込んでいた私が選んだのは、扶養の範囲内で週3日だけ働く簡単なパート仕事だ。しかしそんな仕事をする日々が4年も続くと、私のなかにも「フェアじゃない」という気持ちが膨らんでいった。(つづく)
(Image by Carolina Heza from Unsplash)
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