「悩んでもしょうがない」こともない
去年の日記を読み返してみると、感情のジェットコースターぶりに驚く。5月には孤独感に苛まれ、9月には色んなことにやる気満々である。
日記と言っても毎日つけているわけではない。私の場合、モヤモヤや吐き出したい感情があると書く。そのため日記の内容は極端になりやすく、ジェットコースターになっても不思議ではないのだが、改めてそれを目の当たりにするとなんだかもうお腹いっぱいである。
日記を取り出したのは実に5ヶ月ぶりだった。ここのところ私は色々と比較的順調で、だからこそ仕事以外で書くこと全般からは遠ざかっていた。それが昨日になって日記を開いた理由は、まさに「書けない」ことに悩み始めていたからだ。
別に書けなくても何ら問題はない。noteであれ日記であれ、そこで書くことは完全なる趣味だからである。けれどほかの趣味とは違って、それができない状態が苦しかった。
もちろん私の職業がライターだからという理由もあるだろう。けれど苦しさの原因をもっと突き詰めて考えると、書くことは私という人間の基本要素だからだと思い至った。もちろん自己認識においての話だ。
そんな気持ちを吐露しようと日記を開いたわけだが、書く前に以前の内容を読み返し始めた。そして気づいたことがある。なんだかんだで、悩みはすべて解決されているのだ。その時々で真剣に悩み、場合によっては悲壮感や絶望感が漂っていたとしても、今も引きずっている悩みは1つもない。
だからといって「悩んでもしょうがない」と言うつもりはない。それは結果のみにフォーカスした大変シンプルな発想だが、人生は結果ではなく過程である。今自分が結果だと思っていることだって、過程の一部でしかない。そして悩むことは立派な過程だ。苦しくても、行き詰まっていても、それも大切な人生の一部だ。
日記に残っていた内容は、まさに私が人生の過程を進む証だ。それは決して「しょうがない」で片づくものではなかった。あれこれ悩んだ過去を目にすると、今別の悩みを持っていること自体が進歩のように思えた。そしてこの悩みもまたいつの間にか解決され、来年には「もうお腹いっぱい」だと感じるのだと思うと、少し気が楽になった。
同時に、だからこそ今のこの瞬間に集中すべきなのだとも思う。結局悩みは解決されるのだから、今しっかり悩んでベストだと思える行動を起こすこと。それしかない。だから私はとりあえずこの文を書いている。