カナダの永住権が取れた
たまに、自分の人生はなぜこんなに変化が激しいのだろうかと思う。住むところ1つとってもそうだ。私が何か所も引っ越ししている間に、友人たちはずっとおなじところに住んでいる。私1人があっちに行きこっちに行きと忙しい。そんな話を実家でぽろっとつぶやいたら、家族に「ぜんぶ自分で種まいてるんやないか」と言われた。そのとおりなのである。
そんな私も、2年半前に地元の京都でひとり暮らしを始めて以来、なんとなくここに根が生えつつある。今住んでいるマンションは、人生で初めて「仮住まいではない」という気持ちになる場所だ(賃貸ではあるが)。だから、3年以上前に申請したカナダの永住権のことなんて、正直ほぼ忘れかけていたし、どうせ通らないだろうなという気もしていた。
事態が急展開したのは2024年9月。突然、1か月以内に指定の病院で健康診断を受けるようにという通知が来た。続いて10月に追加書類と犯罪経歴証明書(警察で出してもらう)の再提出を求められたと思ったら、10月末には永住権が仮認定された。その後11月に写真と書類を提出すると、2週間ほどでConfirmation of Permanent Residency(永住権認定書)が送られてきたのである。これを持ってカナダに入国すれば、私はカナダの永住者となるそうだ。
しかし今の私はカナダに移住したいのかというと、わからない。そもそも申請を思い立ったのは2020年、いろいろと準備して実際に申請を行ったのは2021年だ。この間に私は京都から東京に引っ越してまた京都に戻ってくるなど住む場所を2回も変えているぐらい、年月が経っている。もはやなぜ永住権を申請したのかもよく覚えていないほどだが、たしか当時は今よりも日本での生活を窮屈に感じていて、国外に出たいと思っていたのだと思う。
で、当初は住んだことのあるアメリカを検討したのだが、複数の移民弁護士に相談してみても今の仕事のままアメリカに住むのは難しいという結論になった。そんなときにカナダに住んだことのある友人の1人が「カナダはどう?」と言ってくれたのを受けて「そうか、カナダか。そういえば遠い親戚も移住したな」と思い立った。こうして書くとやはり今回もしっかりと人に流されている。ちなみに私のカナダ渡航歴は、ニューヨーク旅行のついでにナイアガラの滝を日帰りで見に行った数時間のみである。
そんな流れでカナダについて調べてみると、永住権の自営業カテゴリーというものを見つけた。これはスポーツおよび文化活動に従事する人向けのカテゴリーだが、私はライター/エディターという職業なので文化活動といえば文化活動である。さっそく友人に紹介された移民コンサルタントに相談したところ厳しい可能性はあるが申請してみようとなった、というのが申請までの経緯だ。
自営業カテゴリーの審査は時間がかかると聞いてはいたが、まさか3年以上もかかるなんてこのときは夢にも思っていなかった。最初の1年ぐらいはソワソワしていたけれど、それ以降、特に今の場所に住むようになってからはここでの生活をきちんと組み立てようという気持ちが強くなった。なんといっても京都は地元である。東京や仙台、サンフランシスコ郊外などに住んでいたときは毎日うっすら緊張して生活していたが、ここでは気を抜いてちょっと図々しいぐらいの気持ちで生きられる。その気楽さも相まって、これからはずっとここでいいかな、大家さんはこのマンションを売ってくれないかな...とさえ思っていたところだった。
そのため永住権の認定書類をもらってからしばらくは困惑する気持ちの方が大きかったのだが、少し落ち着いてくると達成感も覚えるようになった。何よりもうれしいのは、自分の仕事の実績で永住権が認められたということだ。かつてアメリカに住む方法を模索中のとき、「会社に就職するか、学生になるか、結婚するかの方法しかない」と言われた身としては、会社や配偶者などのサポートを受けず、住む権利を得るために仕事を妥協することなく、永住権を得られたのは大きなことだった。
すっかり京都のぬるま湯に浸かっている今、海外移住への腰は重い。かつてサンフランシスコでインターンすると決めたのは34歳の終わりで、当時は何の恐れも不安もなく、前しか向いていなかった。43歳の今は行かない理由が次々と出てくる。自分の会社はどうなるのかとか、税金とか、いろいろと考えることも多い。見知らぬ地でリモートワークだと孤独を感じるかもしれない。生活費も高いと聞く。
とはいえ、その一方でチャレンジできるチャンスはこれで最後かもしれないという思いも拭えない。そもそも現時点で私を縛り付ける物理的および環境的な要素も事情も一切なく、すべては自分の気持ち次第だ。この先を考えると親は老いるし私は更年期に入るしで、「行かない理由」ではなく「行けない理由」が出てくるだろう。だったら今のうちに少しお試し移住してみるのもありかな、と考える自分もいる。人生の川下りがまた加速する予感が漂う2025年の年明けである。
Photo: Bruno Soares by Unsplash