【短編】宿題
ノベプラからの転載です。「夏の5題マラソン」参加作品。
宿題は、子供のものだけではない。
子供の頃はやらされる方だが、大人になれば宿題をやらせる方へ変わる。
あるいはそうでなければ、宿題に付き合わされる方である。
私も既に宿題とは無縁の大人なのだが、夏になると付き合わされる方になることがある。
これはそんな話だ。
私の従兄弟の家は、田舎の山里にある。
お盆が近くなると一週間近く滞在し、そのあいだ、だらだらと田舎の涼しい風を堪能するのが毎年の日課であった。
もっとも最近ではこんな田舎くんだりでもクーラーが無いとダメな日というのは存在する。それでもその日は風が涼しく、いつものように畳でごろごろと自分の家のごとく横たわり、自堕落を言葉通り堪能していた。
「ねえ、夏休みの宿題手伝ってよ」
私はうとうととしかけていた目を開け、体を起こした。
寝ぼけていたのか、誰だっけ、と一瞬思った。
「ね、手伝って」
「手伝ってって、自分でやりなよ」
ああ、そういえば従兄弟の弟だったな、と思った。
「自由研究だからさ」
「何するの?」
「山の奥で虫を捕ろうかって」
「そんなの毎日やってるでしょ」
「大人がいないと入れないところにいるんだよ。どうせ暇なんだから、いいだろ」
そんなもの従兄弟と行けよと思ったが、図星をつかれては大人としての沽券に関わる。
私はしぶしぶ立ち上がると、庭のサンダルを履いてついていくことになった。
弟くんはどんどんと裏山のなかへ入っていった。山といっても、ある程度道が出来ている。だから小学生でもすいすいとのぼっていけるのだ。夏になるとここらへんは子供たちの遊び場となり、山は虫捕り、川は水泳、そして時に新たな遊びが爆誕している。
「どこまで行くの?」
「この先だよ」
どんどんと山の奥へと入っていくのは、さすが田舎の子だ。
しかし、それにしたって足が速くないか?
あたりは森に囲まれているせいか妙に薄暗くなり、次第に本当にこんなところに虫がいるのかというようなところへ進んでいくではないか。
「さすがに行きすぎじゃない?」
「もうちょっとだよ、こっちこっち」
するうちに、なんだかずるずると近くで音がするじゃないか。
「なあ、何か音がしてるけど。本当に大丈夫?」
「大丈夫だよ」
と弟くんが答えた瞬間、その後ろをずるずるーっと巨大な何かが通っていった。巨大なムカデの腹のようなものだった。私は目を疑ったが、まさかそんなものがこんなところにいるはずはあるまい。
「どうかした?」
弟くんが、怖いのかと言いたげに笑った。
なんでもないと言って、私はその後を追った。
しかし、異変はそれだけではなかった。突然何か馬の頭のようなものが落ちてきたり、がさがさいう音がしたかと思うと、やたらと首の長い男が着物姿で走り抜けていった。くねくねとした白いものが踊り、巨大な蜘蛛の足が天から降りてずずんと音を立てた。
節操がない!
私は慌てて弟くんを追ったが、どういうわけか追いつけない。焦って足を早めるが、まるで鉛のように足が重かった。
「弟くん。何かおかしいぞ。止まれ!」
「大丈夫だよ」
弟くんがにたりと笑ったような気がした。
ずるる、とその向こうで巨大な蛇の下半身をした女が、木々の合間を移動していくのが見えた。
背中に冷たいものが走る。
「うわっ」
そのとき、ついつい、足元がおろそかになって膝からがくんといってしまった。
何か小さな石のようなものにけつまずいたらしい。ひひひ、とその石が笑い、けたけたとどこかへ行ってしまった。なんたることだ。
ぞわりとしたものを振り払うように、手の甲で唇の端を拭う。唾までついてきたが、私は構うことなく、そのまま眉のあたりも拭った。なんてことない動作だった。
けれど、そのとたん――まるで何か視界が開けたかのように、ちかちかした。
「どうしたの?」
「いや、いま……行く」
見上げた弟くんの頭に見慣れないものがあった。
いや、そもそも、先程とは身長すら違って見える。
そこにいたのは弟くんではなく、タヌキだった。
「……ところで、まだ行くのか?」
「まだ行くよ」
私は誤魔化すように尋ねたが、弟くんの姿はあっという間に後ろ足で立ったタヌキに変じていた。
ばかな。どういうことだ。
よくよく見ると、木々の向こうでもタヌキが数匹、ほくそ笑むようにしてこっちを見ているではないか。
「さあさあ、はやく行こうよ」
そう言って弟くん……というより、弟くんだったタヌキは、枝をふりふりしはじめた。
私はさっさと歩き出すと、あれほど重かった足が動いた。
それどころか、あれほど近づけなかった弟くんにも、すいすいとその背中に向かっていける。意外と小さいので、仔ダヌキかもしれない。私は無防備なその背中にサッと手を伸ばすと、勢いよく尻尾を掴んだ。
きゃんっ、と怯えた犬のような声があがった。
他の仔ダヌキどもが一斉に逃げ出した。仲間がここでひとりとらえられているのに、薄情な奴らだ。ぱっと尻尾を離してやると、弟くんだった仔ダヌキがきゃんきゃん泣きながらその後を追った。
「次やったらタヌキ鍋にするぞー!」
恐れをなしたのか、仔ダヌキたちはひいひいと山の奥へと逃げていった。
*
「ああ。この時期にゃあ、たまにあるぞ。特に夏休みの間はな」
従兄弟はサイダーを飲みつつ、なんてことないように言った。
そういえば彼に弟はいなかったと思い出していた。だいたい、従兄弟の弟とは何だ。
「大昔は、夏には山で化かされる、みたいな話だったが、いまじゃあ山の学校の宿題だなんて言われてるぞ。山のガッコのしくだいで~、コダヌキ化かして七変化~って歌、聞いたことないか?」
「……いま適当に作った歌じゃないだろうな?」
「これだから都会の小娘は! ともかくあいつら、村の人間だと騙されないから、普段見かけないお前にちょっかい出しにきたんだろ」
そんなもんなのか。
「それよりお前、目を付けられたかもしれないぞ」
従兄弟は飲み干したグラスに、再びペットボトルからサイダーを注ぎながら言った。
どういう意味だと私が尋ねると、従兄弟は顎で裏山を示す。
「偶然とはいえ宿題の邪魔をしたんだ。タヌキどもがあのまま黙ってるはずないだろ。来年も覚悟しておけよ」
従兄弟はにやにやと笑った。
私は呆気にとられてあんぐりと口を開けるしかなかった。
まったく余計な宿題に付き合わされたものだと、私は涼やかな裏山を見ながら思った。
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