【雑記】小説にある「存在承認」の設定
自分の小説の中にうっすらと「存在承認」ってよく使ってるなという話です。
小説書きさんって、別の作品でもうっすらと似たような設定があると思うんですよね。
表面的な「魔法を使う」とか「機械を操る」とかではなくて、もっと下敷きみたいなところ。
そのうちのひとつに「存在承認」があるなという話です。
存在承認というのは、ある人物の存在を認めて、挨拶をしたり名前や顔を覚えること、みたいな感じなんですが、たぶん小説書きの中で同じ意味で使っている人は……どうだろう。現代モノならいざ知らず、ファンタジーやホラーだとまったく違う使われ方をしていると思いますね。
ある怪異の存在が知られて多くの人間から存在承認をされると、その怪異が本当に現実世界に現れる・あるいは強大になっていく、みたいな感じですかね。
例えば(少し古いですが)「八尺様」という怪異が掲示板に書き込まれて多くの人間が知ることで、怪異が本物になる……みたいな。
同じように、「とある作家によって存在が認知されるようになった」ものというのは古くから存在します。日本の雪女とか海外だと悪魔メフィストフェレスとかですね。
本当にねえ……たぶん好きなんですよ!
強大な存在承認があるが故に強い……みたいなのとか凄い好きです。
好きというか基本設定になってますね。
いやマジで。なのでよくやります。
でもこれってだいぶ日本的な感覚なんですかね。
どこだったかは忘れたんですが、キリスト教圏の人達なんかが、この「信仰の大きさによって神の力が変動したりいなくなったりする」のって不思議、みたいなコメントだかなんだかが流れてきて、向こうは「別に人が信じてようが信じていまいが神は神でしょ」みたいな感覚なのかなと思った次第。
閑話休題。
本来の意味とちょっと違うのは、これはもう自分自身に対してもそうである、みたいなこと。
逆に存在承認を失って、「自分自身を見失ってしまった者は、形すら失って黒い影のようになる」とか、あとは神・精霊など自然に近いものは、他人(特に人間)からの存在承認の影響を強く受けて、ほぼ全員が「あっ、あいつ死んだ」と思われる状況下になると死ぬとか。
このあたり、設定として使いすぎてて一概に言えません。
あと自分のキャラクターによっては「アイデンティティを失ってしまったため、とにかく手っ取り早く自分自身を定義付けないと繋ぎ止められなかった」とか、「自分をそう定義付けてしまったために体が変質してしまった」とか、「記憶喪失で自分自身への存在承認ができず、仮でもいいから名前をつけないとそのうち存在が薄れるところだった」とかありました。
よく考えればポンポン出てきますねコレ。
まあ誰のことかは私の小説を読んでいる方ならわかると思いますけど……。
というわけで、今日は「存在承認」の話でした。
ではまた次回ー。(あるのかな……)