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白血病児の親になる | Vol.6 | 待望の一時退院

こんにちは!白倉侑奈です。

長男が2022年12月、小児白血病と診断されました。2歳2か月の時でした。
前回の記事はこちら。

病気の症状が出たのが2022年11月で、退院出来たのが2023年8月。
その間私たちに起きたことを、

  1. 発症~診断

  2. 治療初期

  3. 親の心情

  4. 親の対応・面会スケジュール

  5. 一時退院期間

  6. 治療後半

の6つに分けて書いていきます。

今回は5について。その後の入院生活と待望の一時退院期間について書きます。


ちょっと穏やかな日々

前回記事で少し書きましたが、息子の方は入院開始から1か月ほど経った1月後半から、少しずつ話したり、笑ったり、遊んだりができるようになっていきました。

食べれるようになった最初のころは割けるチーズを好んで食べていました。
息子の病棟は土日だけ食べ物の持ち込みOKでした。
カートを使って病棟内のお散歩もできるように。
反応は薄かったですが、じっと周囲を見つめて景色の変化を楽しんでいるようでした。


このころちょうど仕事も繁忙期だったのですが、なんとか面会しながらのスケジュールで乗り切ることができ、「私たち、面会しながらでもなんとか働けるやん」とちょっと自信がついてきていた時期でした。

今思うとこの2月ごろが入院期間で一番穏やかだったかも。


退院準備

Vol.2でも書きましたが、9か月に及ぶ治療の全体像は、ざっくり3つの期間に分かれます。

最初の3か月はずっと入院での治療、次の3か月は白血球の回復を待ち入退院を繰り返し、最後の3か月はまたずっと入院での治療。

この時点で2月。最初の期間の終わりが見え、3月から始まる入退院を繰り返す期間のスタートが見えてきました。


入退院を繰り返す期間は、約10日間一時退院、5日間入院を2か月半繰り返します。

こんなイメージ。日付は便宜上適当に入れてます。


一時退院できるといっても、まだまだ治療の3分の1くらいが終わっただけで、中休みという感じ。

いろいろと制限があります。

まず、例の息子の胸に入った管はそのままで退院してきます。

そうなると、お風呂に入るにも濡れないようにカバーをする必要がありますし、管を定期的に消毒する必要なんかもあります。

また、投与の時間が細かく決まった薬もあり、全然気の抜けない一時退院期間です。

これらに加え、コロナもまだ流行っている期間でしたので、感染に注意し、人混みは避け、なるべく人に会わずに生活すべし、とのことでした。


退院中のお世話の練習

退院期間が近づいてきたら看護師さんから、患部の消毒の仕方など、数回に分けて人形を使って指導してもらいました。

病院にもらった説明用紙。


これが結構難しい。

練習は人形でやるのでうまくできますが、いざ家で息子にやるとして、暴れて管が抜けたらどうしよう…と不安は尽きなかったです。


いざ退院

3月上旬、いよいよ初一時退院日を迎えました。

息子も退院日の数日前に数か月ぶりに歩けるようになって、息子なりに準備をしているようでした。

点滴台を杖代わり歩く息子。



入院中、面会に入れるのは1人まで。
私たち夫婦も入れ替わりで面会に行っていたので、家族3人で会うことはできずにいました。

なので、退院日は、2か月半ぶりに家族3人で会えました




もうとにかく幸せでしたね。

静かだった家に息子の元気な声が響き、一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入り、一緒に布団を並べて眠る


言ってしまえばめちゃくちゃ普通なことなんですが、我々家族にはこの普通がものすごく遠くにあった2か月半だったので、ただただ幸せを嚙み締めました。


久しぶりに自分のテーブルでご飯を食べる。


人混みを避けて近所で夜桜見物。


今回のトップ画は、土日に近所に満開の菜の花を見に行った際のものです。
春の訪れが嬉しい。





忘れてたけど自宅保育って大変

さあ、このまま幸せだーーーで終わればよかったんですが、そう簡単にはいかなかった。


ここで、お子さんを保育園に預けて働いている方、想像してみてください。


1週間子供を預けたら、次の1週間は自宅保育、を2か月半続ける。
もちろん仕事をしながら。


できそう?



冷静に考えたらわかりますよね。厳しいです。
とりあえず、私たちにはめちゃくちゃハードでした。


上でも書いたようになるべく人と会わないようにとのことだったので、自分たちでどうにかするしかないと思い、休職するでもなく、シッターや実家を頼るでもなく、丸腰で一時退院期間に突入してしまいました。


「ここまで入院して面会しながらも働けてたんだし、交代で働けば自宅保育しながらでも働けるんじゃない?」
みたいな淡い期待もあったと思います。

最初の半月くらいは、退院ハイで、ただただ幸せだったんですが、徐々にやばさに気づきます


まず、入退院を短期スパンで繰り返すこと自体ハードです。

大量の荷物を持って、家と病院を行き来します。
体力の落ちた子供も連れているので、毎回1日仕事です。
これを毎週のようにやります。

仕事の方も、基本在宅勤務でしたが、息子はミーティングに乱入してくるし、朝どちらかが部屋にこもって仕事をしだすのも嫌だった様子。

全然まとまった仕事時間が確保できなくなっていきます。

作業時間などほぼなくなり、仕事が溜まりまくる溜まりまくる…。


また、息子がせっかく家に帰ってこられたのに、息子を部屋から追い出して働く自分の姿に「これ正解か?」と悲しくなりました。

誰が悪いわけでもないのにね。


いたずら大好き2歳児。


ピークは入退院繰り返し期間が始まって1か月半、ゴールデンウイーク直前くらいの時期でした。

ゴールデンウィークは人混みを避けろとのことだし、元々は特に出かける予定もなく、家に引きこもるつもりでした。

しかし、家族全員、煮詰まってしまっているのは明らか。


突然の鎌倉旅

このままでは夫婦のどちらかが倒れそう、くらいの時に夫が言い出します。

近場でいいから、どこかに行こう」と。

まさに救いの一言。

ということで、ぱっと宿の取れた鎌倉にいくことに。

懸念していた混雑も、時間や場所をずらせばそこまでひどくなかったです。



詳しくは書かないのですが、一つだけいえることは、この時私たちは鎌倉にいってよかった、ということです。


そこでみた景色に完全に心が奪われてしまいました。

特に稲村ケ崎からの夕日には、なんとも心をほぐすパワーがありました。

稲村ケ崎からの夕日。富士山と江の島もきれいにみえる。



年末に病気の診断がつき、その後の入院、面会の日々の中、常に緊張の糸を張ってきました。

基本悲しいことしか起きないので、何が起きても心が悲しい方に動かされないよう、カチカチにしておくみたいなイメージ。

この夕日をみたら、ふっと気持ちが緩んだのが自分でもわかりました。「あ、私はいま心を許して感動していいんだ」みたいな。



江ノ電の踏切。久々の生の電車に興奮。



5月の鎌倉は新緑が眩しかったです。


あとは、触れ合う人もなんともリラックスしていて、自然体で子供にやさしい、みたいな雰囲気にもやられました。

みんな好きで鎌倉に住んでるんだろうなという感じ。



夫もとても鎌倉が気に入ったようでした。


ここで、我々夫婦にしては非常に珍しく、突発的な意思決定をします。




「鎌倉に引っ越そう」





さあ、話がぶれてきましたね(笑)



闘病の話から逸れてしまいますが……、いや、逸れていないか。

小児がんを経験されたご家族が鎌倉に引っ越したなんて話も聞きますし、湘南エリアには病気を経験された方やその家族を惹きつける何かがあるんだと思います。

ということで、息子の入院をきっかけに、我々家族は湘南エリアに引っ越すことにしました。

この辺の話は毛色が変わってきてしまうので、別のマガジン

#移住日記

として連載していきたいと思います。
ご興味ある方はお楽しみに。



残りの一時退院期間

さあ、話は息子の一時退院期間に戻ります。

鎌倉でだいぶ癒された我々は、気を取り直して、自分たちだけで頑張りすぎるのをやめ、それぞれの実家を頼ることにしました。



ここまで実家というワードは出てきませんでしたね。
以前の記事で書きましたが、両家の実家は関東圏外にありますし、面会制限でじいじばあばは面会にいけませんでした。

でも、病気の報を受けてから、息子のことをめちゃくちゃ心配してくれていました。

面会に行けない分おもちゃがやたら届く。

それでも、まじめにやったら感染症の心配もあるし、一時退院期間は実家に帰らない予定でした。

しかし、自分たちがパンクしそうということで、1週間ずつそれぞれの実家に帰ることに。


両方の実家では、かわいがられて息子も喜んでいたし、幸い感染症などのトラブルもなかったので、よしとしたいと思います。

ばあばに絵本を読んでもらう息子。




ということで、待ち望んでいた一時退院期間は、幸せと大変が入り混じった時間でした。

今思い出しても、正解はなんだったんだろうという感じです。

保育園は退園になってしまっているし、シッターも白血病などの一時退院期間でも使えるのかよくわからず。

そう思うと、自分たちが休職する、くらいしか選択肢はなかったのかな。




自分たちなりのポイントとしては、「病気中の一時退院なんだからこうあるべし」とか「息子に申し訳ない」みたいな気持ちを持ちすぎないことでした。

息子が治療を頑張ってることも事実だし、息子を全力で「おかえり」したい気持ちも嘘偽りはない。


それでも日常があるんだから、自分たちが心地よく生活できる私たち流を探す、これ以外に解はないと、身に染みた2月半の一時退院期間でした。





いよいよ、次の記事から治療も終盤のフェーズに入っていきます。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。



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