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白血病児の親になる | Vol.3 | 治療初期

こんにちは!白倉侑奈です。

前回記事からだいーぶ空いてしまいました。
2月に第二子が生まれ、新生児育児が続いていましたが、ボチボチ続きを書いていきます。


長男が2022年12月、小児白血病と診断されました。2歳2か月の時でした。
前回の記事はこちら。

病気の症状が出たのが2022年11月で、退院出来たのが2023年8月。
その間私たちに起きたことを、

  1. 発症~診断

  2. 治療初期

  3. 親の心情

  4. 親の対応・面会スケジュール

  5. 一時退院期間

  6. 治療後半

の6つに分けて書いていきます(当初より項目が増えました)。
今回は2について。

診断の余談

本題に入る前に、前回記事で息子が白血病と診断されるまでの経緯を書きましたが、書ききれなかった余談を2つほど。

もっと早く白血病と気づけなかったの?

これ、診断されてから何度か自分に問いかけました。
というのも、発症してすぐのころは外科的な病気を疑い、整形外科などばかり問い合わせていた我々夫婦。もっとストレートに白血病の診断までこられたら、息子の苦しみも少なくしてあげられたかも、という思いはありました。

しかし、診断の際に主治医から「発症から診断が着くまで3週間ちょっと。決して遅くないので、自分を責めないでください。」と強調されました。

あとから聞いた話だと、息子のわずかな初見は、総合的な小児科医や大人の整形外科を専門にしている医師には、見つけるのが困難なものらしいです。
このMRIの結果で白血病を疑えるのは、我々がかかった成育医療センターを筆頭に日本にいるわずかな小児白血病専門の医師だけとのこと。

当時の息子のMRIの結果。左側の骨の周りがうっすら白くなっているのが白血病の兆候らしい。

そう思うと、素人で思いつく限りの病院は回り、異常なしと言われても食い下がり、診断がつくまで3週間。そこまで悪いものじゃないのかもしれないと素直に思えました。

主治医の丁寧な説明のおかげで自分たちを責めすぎたり、これまで回った病院を変に恨んだりすることはありませんでした

あれだけ強調しているのだから、自分を責めてしまう親御さんもたくさんいるんだろうな。悲しい。

足の痛みからはじまる白血病は一般的?

また、「こんな足の痛みや歩けないなんて症状から始まる白血病があるのか」という質問も主治医ぶつけたのですが、「こういう形で白血病が見つかることは珍しくない」とのこと。

確かに、今になってネット検索すると「白血病 足が痛い」などが上位に出てくるので、もっとフラットに情報を見られれば気づけたのかもしれません。

以下関連記事。息子とは関係のない患者さんのものです。

しかし、当時の我々は「まさかわが子が白血病なわけがない」と思っていたので、検索結果で出てきてはいたのですが、無意識に見ないようにしていました

自分にとって都合の悪い情報は無意識に読み飛ばす、確証バイアスって自分にもあるんだなあと後から痛感しました。

治療開始

2022年12月22日に白血病と診断されて、翌23日から早速治療が始まりました。

  • 12/23:カテーテル導入手術

  • 同日~:先行治療(ステロイド投与)開始

  • 12/31~:抗がん剤治療開始

箇条書きにするとあっさりしていますね。実際には3行じゃ書ききれないようなことが、まあ色々と起きました。

診断された段階では、「ステロイドの投与が始まれば痛みも緩和して、来週くらいには歩けるようになっているんじゃないですかね」とのこと。

治療の内容自体は恐ろしいものの、やっと診断がつき、治療が開始され、少しでも快方に向かうのであればと希望を抱きました。
でも、現実はそう簡単には進まない。

カテーテル手術

まず診断の翌日朝から、早速手術でした。

といっても、何か治療をするためのものではなく、抗がん剤等の投与するためのカテーテルを胸に埋め込むための手術です。

今後毎日何かしらの投与があるので、都度針を刺したり、腕に針を刺しっぱなしにするのも小さな子供には大変。
ということで、胸から薬剤投与用の管をだし、ここから薬剤を血管内に届けるというもの。

こんな感じ。実際に病院に渡された説明資料より。

息子の胸に常時管が刺さっているなんて想像しただけで痛々しかったです。
全身麻酔で手術時間は約2時間。

術後まだ麻酔で眠る息子。すでに胸には管が。暴れないように拘束されている。

手術直後はまだ話したり食べたりできていて元気でした。
苦しい治療の本番はここからでした。

先行治療

カテーテルが入るとともに、この後始まる抗がん剤治療の先行治療としてステロイドの投与が1週間続きました。

このステロイドは腫瘍細胞を壊す効果があるもので、人によっては医師の説明のように痛みが緩和されるようです。

しかし、息子はこの治療によりかなり痛みが出たようで、終始泣き続けていました。

主治医によると息子の骨には白血病細胞がパンパンに詰まっている状態なので、それが崩壊し始めて痛みがでているのでは、とのことでした。聞くだけでおぞましい。

夜通し泣いた息子。薬の影響もあってか顔が浮腫んでいます。

このあとの記事で詳しく書きますが、面会時間は11:00-20:00のみです。
それ以外の時間はたまに看護師さんや保育士さんが来てくれるものの、基本は一人で過ごすしかない

2歳になりたてで、親と離れて寝たことなどそれまでなかった息子には、めちゃくちゃつらそうでした。

入院当初は痛みとさみしさで夜通し泣いていたようで、朝11:00に病室に入ると泣きはらした顔の息子がいました。

並行して、39度を超える高熱も出て、ずっとうなされていました。
意識もおぼろげなのか、私が面会に到着しても目は開いているのに私を認識できず、ずっと「ママいない~」とうなされていました

当時の夫婦のやり取り。

付き添っていても、ひたすら泣いて痛がり暴れる息子をなだめることしかできませんでした。自分の無力さにかなりメンタルが削られます。

これまでみたことない息子の姿に「カオスすぎる。なんじゃこりゃ。」というのが正直な気持ちでした。
1人では耐えられないので、面会中もやたらと夫にLINEしていた記憶。

モルヒネ投与

あまりに痛がるので頻繁にナースコールをし相談した結果、「モルヒネを投与するのはどうか。」と主治医から提案されました。

「モルヒネだと…?モルヒネと言ったら末期がんとかの患者が、少しでも楽にするために投与する、あのモルヒネですよね?」という感じでした。
イメージで話していてすいません。当時なんの知識もない私はその程度の認識でした。

そんな強烈そうな薬をまだ2歳のわが子に投与するの?うちの子そんなに悪いの?」と思う反面、「もうとにかく痛がって泣く息子を前に、ほかに方法がないなら投与してもらうしかないのか?」と右往左往しました。

うなされる息子。今みてもちょっと辛い。


医師からも安全性は確認されているという説明を受け、結局投与してもらいました。

あとになって義母から「モルヒネなんか入れて大丈夫なの?!」と聞かれ(悪意はありません。心配から出た言葉です。)ても、私たちも「たぶん。だって死ぬほど痛がってるんだもん。先生も大丈夫って言ってたし…」としか返しようがありません。

次々と起こることについていけない

何が大変って、なにか判断を問われても、医療の知識もなければ、調べる時間的猶予もない。それでも、その場で判断し、同意書にサインするという作業が続くことです。

  • 全身麻酔をしていいか

  • 輸血をしていいか

  • 身体拘束をしていいか

  • モルヒネを入れてもいいか   etc.

主治医は何をするのか、なぜするのか、どんな効果があるのか、を丁寧に説明してくれます。
一つ一つは重要なことだし、息子の治療に必要なことだということは理解できます。

しかし、医療行為にリスクはつきもので、「○○人に1人の確率でこういった後遺症が残る」という説明もセットでされます。

同意書の一例。

妊娠出産のときも、陣痛促進剤の投与などでこういった説明を受けますよね。
でも、大抵の場合は次の検診までに1か月程度の時間的猶予があるので、自分なりに調べ、リスクを理解したうえで、夫婦で納得し、同意書にサインできると思います。
そして、多くの場合はそのまま何も起きずに終わります。

今回は次々と予期しない症状が起き、その都度スピーディーに対応するしかありません。
医師や看護師は優秀で、我々もついていけない早さで物事が進んでいきました。

自分たちの大切な息子の身に起きることなのに、理解したのか、納得したのか、よくわからないまま流れに身を任せるしかありません。

当時渡された説明資料と同意書の一部。面会の空き時間で読み返し、できる限り理解しました。


副作用は、何千人に一人という確率でしか起きず、基本は起きない。

そうはわかっていても、そもそも何万人に一人しかならない小児白血病になるという第1ゲートを突破して、ここにいる私たちです。

どんな可能性の低い後遺症や副作用も起きそうな気がしました。
感覚が麻痺していましたね。

痛み止めが入りやっと寝られた息子。


という感じで、まだ診断されて数日なのに、あれよあれよととんでもなく大変な闘病生活に転がり込んでしまった感じでした。

カレンダー上はちょうどクリスマス。
少し前に想像していた、家族でケーキを食べて、プレゼントを開けて、という普通なクリスマスからは、だいぶ遠いところに来てしまいました。

次の記事くらいまでしんどいめの時期が続きます。
次の次くらいからもう少し明るい話になっていきます。
今回はここまで。

トップ画はもはや痛がる気力もなく、反応薄め、無表情の息子です。

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